卒業、そして東京へ
少女はカレンダーの前で、深刻そうな顔をしていた。
(センター試験も自己採点ではほぼ満点だったし、本試験もやれれるだけやった。全力を尽くしたんだから、悔いは無いはずよね。後は、結果発表を待つだけ。でもどしてかなぁ。T大に受かるって事は、四月から東京で生活するんだよなぁ。博くんとは、今みたいに毎日会えなくなっちゃう。なんだか寂しいな。って、もう合格した気でいるし。わたし、何考えてるんだろう)
少女は、大好きな少年と会えなくなる事が残念だった。
(そうだよね。わたしが大学落ちたとしても、博くんが外国かどっかの研究所へ行ったら、結局会えなくなるんだ。CERNとかMITとかから、来て欲しいっていわれてるって言ってたし。どっちみち、四月からは会えなくなるんだ。わたし、博くんと会えなくなってもだいじょぶかなぁ)
と、同じような事が何度も頭の中を駆け巡るのだ。
「生美、そろそろ時間じゃないの」
階下から母の呼ぶ声が聞こえた。
「はぁーい」
と、少女は返事をすると、最後に姿見で服装を正すと、階下へ降りて行った。
「じゃぁ、行ってきます」
と、玄関で声をかけると、少女は、最後になるであろう、学校への道を急いだ。
少年はいつもの別れ道へと来ていた。彼方には手を振る少女の姿が見えていた。
「生美、遅いぞ。卒業式に遅刻じゃ、相当目立つぞ」
「良いもぉーん。博くんといるだけで、もう有名人だもん」
「おいおい、それはヒドイい言い方じゃないか」
少年が困ってそう言うと、少女はクスクスと笑い始めた。
「どうしたんだよ、生美」
そう訊かれて、少女は少年の方を見ると、
「いつもとおんなじ博くんだぁ」
とそう言った。そして、みるみるうちに、目に涙が溜まり、頬を流れ落ちていった。
「ど、どうしたんだよ生美」
少年が更に困っていると、少女は、
「だって博くんが、本当にいつもと同じなんだから。でも、それも今日で終わりだと思うと、急に辛くなっちゃって……」
少年は周りを気にしながら、ポケットからハンカチを取り出すと、少女の涙を拭いた。
「おいおい、生美。卒業式も始まってないのに、今から泣いてどうすんだよ。まるで俺が泣かしてるみたいじゃないか」
少年がそう言って少女をなだめていると、
「わーるいんだ、わるいんだ。阿久津くん、女の子を泣かせちゃダメじゃないか」
そう言って表れたのは、いつものお邪魔虫一号の間野であった。
「おかわいそうに、生美さん。そこの悪い男どもに虐められたんですね。ささ、こっちへいらして下さい。涙を拭きましょうね」
そう言いながら、少女の手をとったのは、お邪魔虫二号の、天野だった。
「うん、大丈夫。ちょっとセンチになっただけだから。だいじょぶだよ、博くん」
少女は、そう言って少年の左手にぶら下がった。
「あ~、良いなぁ。朝からラブラブだ」
間野がそう言うと、
「そう。わたし達、ラブラブなんだよね、博くん」
そう言われた少年は、照れながら少女のしたいようにさせていた。もう、今日で終わりなのだから。
天野朱里は、内心苦々しく思いながらも、間野の手を取った。
「おやおや、どうしたの朱里ちゃん」
「黙って、私をエスコートなさい。きょ、今日で終わりなんだから……」
「ああ、そうだね」
そう言って、いつもは他の大勢の女の子に声をかける間野も、背筋を伸ばして、天野の腰に手を回そうとした。
「そこまでは許していませんことよ」
ぺしっと音がして、間野の手が弾かれた。
「ははは、いつも通りキツイね、朱里ちゃんは」
そう言うと、天野朱里は、少し赤い顔をして、
「殿方も、女性を引き立てるためには、たまには必要ですのね」
と、小声で囁くように言った。
そして、四人はいつも通りに学校へ行くと、いつも通りに席についた。そう、いつも通りに。
卒業式で、やっぱり少女は泣いてしまった。少女と仲の良かった、由香里や志乃も一緒に泣いていた。
「生美ちゃん、東京行っても、メールちょうだいね」
「由香里ちゃん、未だ合格するかどうか分かんないんだから」
少女は泣きながら応えた。
「生美ちゃんなら、きっと合格してるよ。だって、あの阿久津が太鼓判押したんだから。今まで阿久津のいうことに、間違いなんて無かったじゃないか。良いことだって悪いことだって」
「そうですわね。わたくしもそれだけは、保証しますわよ、生美さん」
朱里も、なだめるように少女に声をかけた。
(高校生活も今日で終わりだと思うと、わたくしも泣けてきますの。たかが人間の学校と侮っていましたが、友人という者との別れが、こんなに辛くなるとは。わたくしも丸くなったものですわ)
天界の番人である天野朱里も、思わず涙を流していた。
「阿久津はどうするんだろう?」
由香里は、少女に問いかけた。
「まだ分からないの。多分、どっかの研究所に行く事になるとは思うけど」
「あの、アホウが。こんな時くらい、生美ちゃんの事を考えてやれよ。あいつの頭ん中は、方程式しか詰まって無いのかよ」
そう言われた少女は、首を横に振ると、
「博くんは、そんなんじゃないよ。わたしも最初は由香里ちゃんと同じように思ってたけど。知ってる? 博くん、わたしと付き合いだしてから、表情が出てくるようになったんだよ。それまでは、ホント、ロボットみたいだったのに。だから大丈夫なんだ、わたし達。由香里ちゃん、自分でも言ったじゃない、博くんの言うことに間違いは無いって。だって、博くんには未来が見えてるんだよ」
と、言った。
「そうかも知れませんわね」
いつもは、少年の悪口ばかりを言う、天野朱里さえそう言ったのだ。
(そう、大丈夫。このお方がいれば、人類は滅亡への道を歩まずに済む。主よ、そうですわね)
天の御使いである、天野朱里は心からそう思っていた。
「あっ、博くんだ。ちょっと行ってくるね」
「良いよ。思いっ切り甘えて来い。結婚式には必ず呼ぶんだぞ」
少女はそう言われながら、由香里達に手を振りながら駆けて行った。
「博くん!」
「おう、生美。また泣いてたのか。目が真っ赤だぞ」
「ふ〜んだ。そんな事言うんだったら、外国の研究所に行く事になっても、羽田まで見送りに行かないんだから」
上辺だけ強がっている少女に、少年は苦笑すると、ふわりと少女の身体を抱きしめた。
「わっ? ひゃっ? ど、どしたの、博くん」
「もう、ここで会えるのはお終いだから。それで、ちょっと生美が本当に俺の人生の中にいたんだって、確かめたくて」
「うん、うん。いるよ。わたしはここにいるよ。だから、博くん。辛くなったらいつでも戻ってきてもいいんだからね。わたしが博くんの居場所になってあげるから」
「そうか。そうだな、生美。ありがとう」
そうして卒業式の日、少年と少女の高校生活が終わりを告げた。
そして、T大学の合格発表の日、少女はキャンパスの掲示板の前まで来ていた。
(あるかな? どうかな? わたしの番号。うわぁ、皆の影で見えないや。……番号、わたしの番号)
少女は、受験票と掲示板を代わる代わる睨みながら、自分の番号を探していた。
「あっ、あったぁ! わたしの番号だ。やったぁ、合格だ。……そうだお母さん達に知らせなきゃ。あ、由香里ちゃんにも」
「榊くん合格おめでとう。で、私に知らせてくれるのは、順番では最後かい?」
少女が合格に興奮していると、後ろから声をかけた男性がいた。その男は、キチッとしたスーツに、縞柄のネクタイを締めていた。
「ひ、博くん! な、な、な、なんで? どうしてこんなところに?」
「ははは、俺、四月から、T大素粒子物理学研究室の准教授になったんだ。講義もやることになってるから、俺の授業の単位は落とさないように」
「そ、そんなの聞いてないよぉ。ひ、ヒドイよぉ。博くんのイジワルゥ」
少女は半分泣きべそをかきながらではあったが、少年の胸に飛び込んだ。
「博くん、わたし合格したよ。頑張ったよ」
「そうだな。生美はよく頑張った。ところで、来春から東京暮らしだが、住まいは決まってるかね、榊生美くん」
少年はやや大人気振った口調で、少女に訊いた。
「あっ、そうか。そうなんだ。でも、全然決まってないの。どうしよう……」
少女が困っていると、少年は彼方を指さしながら、こう言った。
「お嬢さん。いい物件があるんだが、今ならお安くしときますよ。家賃は、そうさなぁ、三度の食事でどうかな?」
少女は、少年の指差す方を見ると、見慣れない高層マンションが見えた。
「もしかして、あれ、博くんち?」
「その通り。察しがいいねぇ、榊くん。あそこの最上階の三フロアが私の住居だが、残念ながらハウスキーパーがいなくてね」
「最上階三フロアって、もしかして……」
「おっ、もう分かったのか。優秀、優秀。俺の元住んでいたマンションの最上部三区画を、切り離して、ヘリで空輸して、あのマンションに乗っけたんだ。眼紋認証なんかもそのままだし、生美の部屋もそのままだから、今すぐにでも住めますが。お客さん、どうします?」
「ん、もう! 博くんたら。どおりで、卒業式でも、ケロッとしてると思った。イジワル、イジワル、イジワルゥ」
少女は、そう言いながら、少年の胸をポカポカと叩いた。
「ははは、悪い悪い。で、お住まいの方はどうされますか、お嬢様?」
「イエス。決まってるじゃない、イエスよ。毎朝、美味しいお味噌汁作ったげる」
「おいおい、生美。そりゃぁプロポーズの台詞だぞ」
「そうよ。そのとおりよ。婚約指輪は給料の三ヶ月分なんだからね。分かってる!」
「分かりましたよ、お嬢様。じゃぁ、契約成立な」
「うん、東京でも一緒なんて、すっごく嬉しい。嬉しいよぉ」
と、少女は涙をふきふき応えた。
少年と少女は、また向こう何年かを一緒に暮らすことになった。
こうして、人類はその滅亡へのカウントダウンを、もう何年か先まで延ばすことが出来たのだった。
(了)




