十人十色の幸せ(Side 生徒会長
結局、まともに面会が叶ったのは、前回時雨に頼んでからゆうに2週間も経過した時だった。
音沙汰もなく過ぎてしまった2週間という時間は、思いがけずに強く、二人をためらわせていた。感情や勢いがすっかり殺がれてしまっているからだ。
今現在生徒会室にいるのは4人。
利春と秋吉の当人たち。それと利春の逃亡防止用に椿、秋吉の逃亡防止用に時雨だ。結城は別室で待機中で、鉄心と英は彼のお守り兼別件の対応中だ。
ソファに、向かい合うように座る。利春は腕を組んで後ろに寄りかかり、秋吉はズボンの太もも部分を握りしめて俯いていた。椿は肘掛けに頬杖をついて二人を観察し、時雨はきょろきょろと落ち着きなく各々の顔を見比べている。
室内は重苦しい沈黙で満たされ、時雨と椿は元より、秋吉も、利春も口を開かなかった。
午後の穏やかな空気が窓の外には流れているというのに。利春は小さく舌打ちをした。
その瞬間、酷く怯えた顔でこちらを向く秋吉が視界に映った。慌てて顔を向けるが、秋吉は気まずそうに目をそらしただけだった。
「……あ、」
「全く、何やってるんですか」
溜め息と共に軽く睨まれて、利春はぐしゃりと乱暴に前髪をかき混ぜた。
「このままじゃ切りがないですね。僕たちはここにいますから、会長たちはあっちで話してください」
椿があっち、と示した先は資料室。代々の生徒会で使用した書類が納められている場所だ。特に機密を守らなくてはならない事はないのだが、一般生徒には使い道もないので、資料室への入り口は生徒会室にのみ繋がっている。
すぐには外に出れないので、逃亡防止役が見張っていなくても大丈夫、とそういうことなのだろう。
利春が立ち上がると、遅れて時雨に促される格好で秋吉も立ち上がった。
「ちゃんと向き合ってくださいね」
背に向けてかけられた声に利春は顔をしかめた。
資料室は埃とカビの混じる古本の匂いがする。
ぱたんと静かに閉じられる扉で秋吉も入ってきた事を知った。振り返れば珍しく秋吉が顔を上げていた。
「あのっ……!」
「あのさ、……」
見事にハモった声に暫しの沈黙が落ちる。
利春がジェスチャーで話の続きを促すと、秋吉は小さく息を吸い、勢いよく、頭を下げた。
「今まですみませんでした!」
「……何がだ?」
何のことか予想は立っていたが、利春は話を促すだけに留めた。それ以上何も言わずにいると、タイミングを計っていたらしい秋吉が口を開いた。
「あ、の……、御影様の呼び出しに答えずにいたこと、です」
「あぁ、あれか。拒否されているかと思った」
少しだけ、恨めしそうに言えば、秋吉は申し訳なさそうに眉を下げた。
「その、ことなんですが……」
彼がそう、いいかけて目を泳がせたことで、利春は違和感に気がつくべきだった。しかし、利春はそれに気付かず、その先を止めることはできない。秋吉は決意を固めたような真剣な目をして口を開いた。
「私は御影様の親衛隊を抜けようと思います」
「……は? どういう事だ! 何かされたのか? それとも何か言われたのか?」
思わず思い切り掴んだ腕が痛いのか、秋吉は顔を歪めた。
気付いてはいたが、利春は力を抜くことができない。親衛隊だから、いつでも会えるからと安心していた。秋吉が親衛隊をやめるなど、考えもしなかった。
「いいえ、私が自分で決めました」
「……理由を、言え」
あぁ、何故自分はこんな言い方しかできないのだろう。
「私は、御影様の親衛隊として、御影様のお役に立とうと行動して参りました。私はあなたの影であればそれで満足だったんです。感謝されなくとも、御影様の糧になれていると思えば、それで満足でした。でも、今は……違います」
そこで秋吉は、徐々に高ぶっていった声を抑えるように深呼吸を一つした。
「見返りを求めるようになってしまったのです。私がどれだけ頑張ったとしても、あなたは私を見てはくれない。あなたが見ているのは結城だけ。分かっています。結城は御影様の補佐ですから、御影様が関心を寄せるのは当たり前です。でも、その当たり前が我慢出来なくなってしまった」
僅かに震えて響く声はまるで泣いているかのようだった。
覗き込んでみれば、秋吉の頬に涙は伝っていなかったが、瞳が膜を張ったように揺らいでいた。
思わず見惚れてしまい、慌てて利春は目をそらす。
「親衛隊の中には、見返りを求めている人もいます。一般の隊員であれば許される範囲でしょう。ですが、私は隊長なのです」
「見返りを一切求めないのは難しいだろう?」
正論とも言える利春の言葉に、秋吉は首を緩く振ることで否定を示した。
「親衛隊は元々私設団体であり、親衛対象と損益で結ばれている訳ではありません。勝手に作って行動しているのに、対象に見返りを求めるなどおかしな話でしょう?」
「……俺は気にしないのに」
「1つ許せば要望は際限なく膨らみます。だから、隊長は絶対に見返りを求めてはいけない。他の隊員に態度で示すのです。……それができなくなった私は隊長失格です」
下を向き、手はキツく握り締められ、震えている。
「お前はしっかりやってくれてるよ。隊長失格だなんていうな」
辞めて欲しくない一心で秋吉に言った。それでも、彼の顔は下を向いたまま、利春と目が合うことはない。
「ダメなんです」
きっぱりと言い切った秋吉との間に壁を感じた。拒否されているような気分になり、利春は秋吉の腕から手を離した。
いつも感じていた遠慮や立場からくる壁、溝、段差。
利春と同じ土俵に立とうとしない秋吉はある意味、卑怯なのかもしれなかった。
「お前はもう、俺のことは嫌いか……?」
意地悪な質問だとは分かっていた。自身の親衛隊、しかも隊長である秋吉を信頼していないともとれる内容だ。だが今、彼の利春への親愛は確信が持てない。これで、嫌いになったと言われれば、利春になす術はないだろう。
自分で尋ねておいて、返答を聞くのが怖いだなんて。
急な話題の転換についていけなかったのだろうか、秋吉は目を大きく開けて利春を見つめていた。瞬きを繰り返し、考えているようだ。
質問の意図なのか、どう答えたら利春を傷つけずにすむか、なのか。
本来は僅かな時間なのだろうが、利春には終わりのみえない拷問のようだった。
やがて秋吉がおもむろに口を開く。利春は覚悟を決めて秋吉の言葉を待った。
「嫌いになるはず、ありません。……」
「そうか。良かった」
利春はその言葉がただ嬉しく、不自然に残った間の意味や秋吉の表情にまで心を割く余裕がなかった。
「嫌いじゃないなら、俺の傍にいて欲しい。補佐は結城かもしれないが、俺にはお前がいいんだ。……秋吉」
初めて呼んだ愛しい者の名前は、ソーダ水のように唇を甘く刺激した。
「好きなんだ」
「……え?」
ぽろりと口を突いて零れる言葉。音にしてしまえばすんなりと受け入れることができた。
「だ、めです! だって、あなたは……」
「家は関係ない!」
自分でも思っていないほど大きな声が出た。
利春の剣幕に圧されたのか、秋吉は口を噤んでしまった。
「『今』一緒にいたい奴くらい自分で決めたっていいだろう……?」
椿も英も平塚もランキングで選ばれたとはいえ、気に食わなければ関わりなど持たなかった。
立場が近い者がいた所為だろう。馴れ合いのような関係が心地よかった。
未来になればなるほどしがらみは増える。
今の内、学生の間はできるだけそれらのものから遠ざかっていたかった。
そう考えれば秋吉たち親衛隊は、自分が格別な存在だと知らしめられる存在だ。だが、秋吉が隊長になってからの親衛隊は驚くほど静かだったのだ。まるでいないかのように。しかし、呼べば誰よりも早く駆けつけた。
さりげないサポートは利春を普通に生活させるために必要不可欠だった。
「最初はいつもと同じだと思ったんだ。学校では普通でいたいのに、周りがそれを許さない。……親衛隊が一番それを突きつけてくる。でも、お前は違った」
眼裏に浮かぶのは初めて会った日の秋吉。身体が小さく、頼りないように見えていたのはただの錯覚だった。
「まさしく影だったよ。俺でも気付かないぐらいにさりげなかった」
「そうです。影であれば満足だったんです。光に知られてしまった影になんの価値がありましょう。太陽は影のことなど考えてはいけません」
「俺の前に来い。俺が照らす」
「強すぎる光は身を滅ぼします」
頑な過ぎる態度が邪魔だった。これでは二人の距離は永遠に近付くことなどない。しかし、秋吉は今以上を望まない。望まない者に無理強いをさせるほど利春は傲慢ではなかった。ましてや、相手は想い人である。強く出ることができない。
「……どうしてもそばにいるのが嫌だと言うなら、」
声が、途切れる。少しだけ勇気がいった。
これは一種の逃げであり、現状維持の効力しかない。だが、今の利春にはこの方法しか思い付かなかった。離れてしまうよりは、現状の維持を望んだのだ。
「影でいい。想うことだけは許して欲しい」
「そんな……、許すだなんて!」
意外と強い瞳とかち合う。
袖を掴んだ手が震えていた。
あぁ、こんなにも近くて、遠い。
「俺が好きでいたいんだ」
「御影様……」
「好きだ。わがままを言えば、これからも俺の親衛隊でいて欲しい」
もう、これ以上は何も言えない。
あとは、秋吉の気持ち次第だ。
「……御影様。私もあなたをお慕いしております」
「それなら……!」
「でも、私は、あなたの傍にはいられません……! 私のこれは恋慕ではありません。ただの、依存です」
俯いて、叫ぶ。
身が裂かれるように悲痛に響いた。
「1つ許されればもっともっと欲しくなります。いつか離れなければならないなら、私は、いらない……!」
先ほどの台詞は、親衛隊だけに向けたものではなかった。
「俺は気にしないと言っただろう?」
「……重いですよ?」
「構わない」
「あなたの為なら死んだっていいんです」
「それは、遠慮してもらいたいな」
利春がそう言うと、秋吉は顔を俯けたまま小さく震えた。
きっと誤解をしているんだろう。
「お前には生きて俺の傍にいて欲しい。だから、死ぬのは止めてくれよ」
「………ぁ」
「俺はお前を好きでいていいんだよな……?」
ぱっと上げた顔は赤い。
薄く開いた唇から、もったいないお言葉です、と声が漏れた。
「ありがとう。秋吉」
目立った進展はなく、関係が進んだのかさえ定かではないが、二人にはこれが精一杯だった。
「戻ろうか。二人が待ってる」
手を差し出せばおずおずと触れてくる、その小動物のような姿が愛おしかった。触れた手を離さないように握りしめる。
離さない。呟いた声は小さく秋吉には届かない。しかし、利春は自分に言い聞かせるように、強く、強くそう呟いた。
了
最終回でした。
今までありがとうございました。
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