編み物
『廻天』
第二話 編み物職人
「こいつ、ちゃんとストレッチしてるのか?」
男が止まる。
目の前にいるのは、間違いなく先ほど壁へ叩きつけた男――カイだった。
だが、違う。
目。
呼吸。
重心。
何より、雰囲気が違う。
「……誰だ」
男の問いに、カイの身体を借りたシュウが肩を回す。
「シュウ」
「シュウ?」
「そうだ」
「試験体に、別人格……?」
シュウは眉を動かした。
「試験体?」
男は笑う。
「知らないのか」
「何を」
「なら、知る必要もない」
黒い力が男の腕へ集まる。
男が踏み込んだ。
速い。
シュウは「……!」と息を呑み、ぎりぎりで首を傾ける。
拳が頬を掠め、血が一筋流れた。
シュウは目を細める。
『え』
内側から、カイの声が響く。
『弱くない?』
「黙ってろ」
『いや、もっとこう……』
「何だ」
『俺の中にいる謎の人格って、普通めちゃくちゃ強くない?』
「知らん」
『今ギリギリだったじゃん』
「うるさい」
二撃目が腹へ飛んでくる。
シュウは腕で受けた。
ドン!!
「ぐっ……!」
身体が吹き飛び、地面を転がる。
カイが叫ぶ。
『弱いじゃん!!』
「こいつが強いんだ!」
『本当に?』
「たぶん!」
『たぶん!?』
⸻
男が動きを止める。
「妙だな」
シュウは起き上がった。
「何が」
「人格が変わっただけにしては、動きが違う」
「そうか」
「だが、大したことはない」
男が構える。
シュウは黙って男を見た。
カイが言う。
『言われてるよ』
「聞こえてる」
⸻
男が消えた。
シュウは見失う。
「っ!」
背後から拳が飛んでくる。
振り返る。
間に合わない。
ドッ!!
拳が肩へ直撃し、シュウの身体が壁へ叩きつけられた。
「……っ」
カイが尋ねる。
『チェンジする?』
「お前に戻してどうする」
『確かに』
「少し黙ってろ」
シュウは立ち上がり、右肩を動かす。
痛い。
肋骨は、たぶん無事。
左脚が少し痺れている。
相手は速い。
力も上だ。
まともにやれば、勝てない。
シュウは息を吐いた。
「……」
男が言う。
「諦めたか」
「いや」
シュウは男の服を見る。
黒いコート。
袖口が少しほつれている。
カイが尋ねた。
『何見てんの』
「糸」
『は?』
「袖」
『今!?』
⸻
男が踏み込む。
シュウは今度、避けなかった。
「死ね」
拳が迫る。
シュウは見る。
肩。
肘。
手首。
拳。
一本の動きが、すべて繋がっている。
シュウは小さく呟いた。
「……似てるな」
『何が』
「編み物」
『何言ってんのお前』
拳が直前まで迫る。
シュウは半歩、内側へ入った。
男が目を見開く。
「!」
シュウの肘が男の腕へ触れる。
ほんの少し押す。
拳の軌道が数センチずれ、頬の横を通過した。
シュウは言う。
「ほら」
男が戸惑う。
「……?」
シュウは男の腹を蹴った。
ドッ。
だが、効かない。
「硬っ」
男の顔が歪む。
「貴様……!」
裏拳が飛んでくる。
シュウは直撃を受けた。
「ぐっ!」
身体が転がる。
カイが言う。
『結局食らってんじゃん』
「黙れ!」
⸻
だが、シュウは笑った。
分かった。
相手の力を止める必要はない。
受ける必要もない。
勝つ必要すら、今はない。
ただ、少しだけずらせばいい。
編み目と同じだ。
一目間違えれば、全体が歪む。
逆に言えば、一目動かせば、全体が変わる。
男が三度、踏み込んだ。
シュウは見る。
肩。
「そこ」
触れる。
軌道がずれる。
拳が空を切った。
男が驚く。
「なっ……」
二撃目。
腰。
「そこ」
膝が崩れる。
三撃目。
足首。
「そこ」
男の体勢が大きく崩れた。
カイは黙っていた。
『……』
シュウが尋ねる。
「何だ」
『いや』
一拍置いて、カイが言った。
『編み物、ちょっとすごいな』
シュウは答える。
「だろ」
『調子乗んな』
⸻
男が距離を取る。
表情が変わった。
「……何をした」
シュウは答える。
「別に」
「俺の異能を消したのか」
「異能?」
シュウは本当に分からない。
男は眉をひそめる。
シュウは自分の指を見る。
「お前が力を入れる順番を」
指を一本立てる。
「ちょっと変えただけだ」
男は沈黙した。
「……」
次の瞬間、黒い力が爆発する。
今までとは量が違った。
シュウの顔が固まる。
「……」
カイが呼びかける。
『シュウ』
「ああ」
『あれも編める?』
シュウはしばらく黒い力を見つめた。
「無理」
『即答すんなよ!!』
⸻
黒い力が道路を覆う。
逃げ場はない。
シュウは身体を動かす。
だが、遅い。
「……っ」
黒い力が迫る。
その瞬間、シュウの視界で何かが揺れた。
細い。
白い。
一本の線。
「……?」
糸ではない。
そんなものは、ここにはない。
なのに、見える。
黒い力の中に、一本だけ白い筋が走っている。
シュウは無意識に手を伸ばした。
摘む。
ドクン。
世界が止まった。
男が目を見開く。
「……何だ?」
シュウは自分の指を見る。
そこには何もない。
なのに、確かに触れている。
カイが呼びかける。
『シュウ?』
「……カイ」
『何』
「お前」
一拍置いて、シュウは尋ねた。
「普段、客を触ってる時」
「何が見えてる?」
カイは戸惑う。
『……?』
シュウは白い何かを指先に絡ませる。
一本を引く。
黒い力の流れが、ほんの少し変わった。
シュウは目を見開く。
「……」
カイが尋ねる。
『何』
シュウは答えない。
その代わり、初めて笑った。
「面白い」
『何が』
シュウは白いものを見る。
それはまだ、糸ではない。
能力でもない。
名前もない。
ただ、二人が初めて同じ何かへ触れた瞬間だった。
⸻
遠く離れた高層ビルの屋上で、一人の女が戦いを見ていた。
「人格転換を確認」
耳元の通信機から声が返る。
『適合率は』
「不明」
『旧世人格は覚醒したか』
女はシュウを見る。
「いいえ」
一拍置いて、続ける。
「予定にない反応をしています」
『……何?』
女は目を細めた。
「試験体カイと」
「内部人格シュウ」
風が吹く。
「二人で何かを作り始めています」
通信の向こうが沈黙する。
そして、命令が下った。
『回収しろ』
女は答える。
「了解」
通信が切れる。
女は屋上の縁に立ち、下を見た。
「……カイ」
小さく呟く。
「やっと会えるね」
⸻
シュウも、カイも、まだ知らない。
自分たちが偶然出会ったわけではないことを。
カイが作られた理由。
シュウが選ばれた理由。
そして、二人を繋いだ者が、すでにすぐ近くまで来ていることを。
――第二話・了




