第6話 隻腕の元S級
バルトロはすっとカウンターの向こうに行くと、棚にあるワイングラスをひょいと傾けた。すると、ゴゴゴゴゴと地響きが起き、隠し扉が開かれた。
「何をぼさっとしておる。あまり老人を待たせるんもんじゃないぞ」
そう言うと、左腕のない袖をバサッと振ると暗い階段を降りていった。
「どうする、ホントについてっていいのか?あの爺さん、ぱっとみそんなに過ごそうじゃなかったけどな。」
「ジャック、あんたはほんとに見る目ないわね。あのプレッシャーを感じて何も感じなかったの?……認めたくなけど、あいつ、数段レベルが違うわよ。」
階段を降りきるとそこは地上からは想像もつかないほどの広大な石造りの大空間が広がっていた。
壁には対火属性の魔法陣が刻まれており、いくら暴れても壊れそうにない。
「ほっほっほ。ここならどれだけ火を吹いても安全じゃて。……さて、お前さんたちの実力、まずはワシが見てやろう」
バルトロは壁に立てかけられていた一本の古びた木刀を右手でひょいと拾い上げ、だらしなく構えた。左の袖は、相変わらず虚しく揺れている。
「三人まとめて、どこからでも、どんな手段でもかかってきなさい」
その言葉を合図に、テール先輩の鋭い槍が風を切り、ジャックの矢が闇を裂き、ルークが瞬転で斬り掛かった。
が、それらはすべて空を切った。
「ほっほっほ、そんなんじゃ当たらんぞ。もっと気合い入れてこんかい。」
再びルークは瞬転でバルトロの懐に飛び込み、斬り上げた。しかし、それも木刀一本で簡単にいなされてしまった。その隙にテールは槍の柄を滑らせ、間合いを一気に倍へと伸ばす。電撃を思わせる鋭い最速の一突きが、バルトロの胸元へと突き刺さる──はずだった。
テール先輩の槍は、まさに教科書通りの完璧な一突きだった。
目にも留まらぬ速さで放たれた穂先が、一直線にバルトロの胸元へと向かう。
「ほぅ、鋭い突きじゃ」
しかしバルトロは、ほんの数センチ首を傾げただけでそれをかわす。
テール先輩は即座に手元を引き、槍の軌道を変えて、無数の残像を残す連続突きへと移行した。
空気を切り裂く鋭い風切り音と共に、目にも留まらぬ高速の連続突きが放たれる。
だが、バルトロは右手の木刀を軽く、叩くように振るうだけで、その全弾を「カン、カン、カン!」と正確に弾き落としていく。
「無駄がない。実に美しい槍じゃな、お嬢ちゃん。……じゃが、綺麗すぎる。型にこだわりすぎて、次の動きが完全に読めてしまうわい」
バルトロはそう言うと、テール先輩が次の突きを放つために引いた槍の柄を、木刀の先でコン、と軽く叩いた。
それだけで槍の軌道が大きくブレて、テール先輩の体勢がガラ空きになってしまう。
「あっと、体勢がガタガタじゃぞ」
バルトロは足元をすっと滑らせると、一瞬でテール先輩の懐へと潜り込んだ。
そして、空いている右手の指先で、テール先輩の無防備な脇腹を「つん」と小突く。
「ひゃ!?」
情けない声を上げて飛び退くテール。バルトロは指先をクイクイと動かしながら、下卑た様子もなく、いかにも悪戯が成功した子供のようにケラケラと笑った。
「ほっほっほ! 良い声が出るのうお嬢ちゃん。やはり若い娘の脇腹は柔らかくて──」
──ドガッ!!!
「ぶふぇっ!?」
言い終わるより早く、顔を真っ赤に染めたテール先輩の槍の柄が、バルトロの脳天へクリーンヒットした。
「この、最低最悪のエロジジイッ!! 死ねばいいのに!!」
「痛たた……容赦がないのう。今のを避けないあたり、ワシの優しさじゃぞ?」
バルトロは痛そうに額をさする。
だが、そこには赤みはおろか、傷跡すらまったく残っていなかった。
「嘘だろ……。テールさんのあの一撃を食らって無傷で済むなんて、どんな体してるんだよ」
ジャックが戦慄し、思わず声を漏らす。
「教えてやろうか?」
「っ!?」
気がつくと、バルトロはすでにジャックの目の前に立っていた。
残像すら残さない神速の接近。
ジャックは本能的な恐怖から、とっさに腰のダガーを引き抜き、ブンブンと力任せに振り回した。
「経験もあるがの。“コツ“があるんじゃよ、“コツ“が。お主みたいな力任せの坊主とは違ってな」
バルトロは刃を紙一重でかわしながら、ジャックの脇腹にそっと手のひらを添えた。
ただ、軽く押しただけに見えた。
──ズドォンッ!!!
しかし次の瞬間、ジャックの巨体が凄まじい勢いで吹き飛び、地下室の石壁に激しく叩きつけられた。
「がはっ……!? 嘘、だろ……何も、見えなかっ……」
そのまま崩れ落ちるジャックを一瞥し、バルトロはだらしなく笑う。
「ほっほっほ。悪いが、ワシは男には厳しいんでな」
バルトロは、何事もなかったかのように腕のない左袖の埃をポンポンと払った。
そして──未だに一歩も動けずにいる、ルークへと視線を向ける。
「ほれ、どうした。もう終わりか?」
バルトロはそう言うと、右手の木刀をクイクイと挑発するように動かした。
ルークはその誘いに乗り、爆発的な踏み込みと同時に最速の距離(間合い)を詰める。
残像を残すほどの激しい剣技で、バルトロへ猛攻を仕掛けた。
上段、下段、斜めからの容赦のない連撃。
キィン、カァン、と高い金属音が地下室に連続して響き渡る。
だが、次々と繰り出される神速の刃を、バルトロはまったく息を切らさずに、木刀の先だけで平然といなしていく。
──届かない。掠りもしない。
焦りが極限に達したルークは、全精力を込めてさらに剣を大きく振り上げた。
渾身の力で叩き潰そうとした、その刹那。
「勝負を急いだの」
ふっと、老人の声がすぐ耳元で聞こえた。
──一閃。
バルトロがだらしなく構えていたはずの木刀が、目にも留まらぬ速さで振り抜かれた。
「カハッ……!?」
みぞおちを正確に打たれ、ルークの肺から一気に空気が吐き出される。
視界がぐにゃりと歪み、ルークはその場にどさりと膝をついた。
握力を失った手から、片手剣がカランと虚しい音を立てて床に落ちる。
「お主たち、素材は良いが、まだまだじゃな」
床に伏せる3人を見下ろし、バルトロは飄々とした調子で話し始めた。
「まず槍使いの女子、お前は型にこだわりすぎじゃ。教科書通りの綺麗な基本だけじゃ、相手に簡単に見切られてしまうぞ」
痛む頭を押さえていたテール先輩が、核心を突かれて息を呑む。
「次に弓矢の少年。お前は自分の力に頼りすぎじゃ。ただ力任せに放つだけでは、お前の持つ本当の才能を活かしきれんぞ」
壁際で呻いていたジャックも、悔しそうに奥歯を噛み締めた。
バルトロはそこで一度言葉を切り、ゆっくりと、未だにみぞおちを押さえて膝をつくルークの前へと歩み寄った。
その隻眼が、じっとルークの瞳の奥を見透かすように細められる。
「最後にお主じゃ」
バルトロの声から、先ほどまでのふざけたような軽さが消えていた。
「剣筋はあれほど良いのに、すべての剣に迷いが乗っておる。……挙句の果てに、自らの『異能』を恐れておるな?」
「っ……!」
ルークは顔を跳ね上げた。
暴走する火の力、それを制御できずに周りを傷つけるかもしれないという恐怖──そのすべてを、この老人は見抜いていた。
「それじゃあいかん。潔く自分を解放してみい。……まずは、己を知ることじゃ」
「じゃあ、どうすればいいんだ……っ!!」
ルークは床を強く叩き、悔しさをぶつけるように叫んだ。
「俺の力は、俺にだって制御できないんだ! そんなの……そんなの解放したら、またみんなを傷つけてしまう……!」
かつて引き起こしてしまった暴走の記憶が、ルークの心を縛り付ける。
だが、それを聞いたバルトロは、怒ることも呆れることもしなかった。
ただ、慈愛に満ちた、優しい笑みを浮かべた。
「簡単じゃよ」
老人は静かに、しかし絶対的な確信を込めて言葉を紡ぐ。
「自分を信じてみるんじゃ。お主は自分が思っているより弱くない」
バルトロはそっとルークの肩に手を置いた。元S級の温かい手のひらが、ルークの震えをピタリと止める。
「大丈夫。解放してみい──お前の『火』を」
ルークはあの時(暴走の記憶)を思い出す。
身体が恐怖で拒絶反応を起こしそうになるのを、強い意志でねじ伏せた。
──もう、あの時とは違うんだ。
ルークはスッと目を閉じ、深く呼吸を整える。
──来た。あの感覚だ。
ドクン、と心臓が跳ね上がり、体中に凄まじい熱量が湧き出る。
いつもなら、この段階で恐怖に駆られ、暴発しないように必死で力を込めて抑え込んでいた。
だが、今は違う。
ルークはあえて逆に入っていた力を抜き、自分の中に燃え盛る『火』の感覚に、その身を預けてみた──。体から、スーッと抵抗がなくなっていく。
今まで自分を縛り付けていた恐怖の鎖が、嘘のように解けていく感覚。
ルークがゆっくりと目を開けると──
その手のひらには、以前のような暴走の気配は微塵もない、純粋で、轟々と赤く燃え盛る『火』が灯っていた。
「……ほっほ、おいおい。本当にやりおったか」
バルトロは隻眼を大きく見開き、驚きを隠せない様子で声を上げた。
表向きは飄々とした調子を崩さないようにしているが、その背中には冷や汗が伝っている。
(正気か……? 初めて異能の恐怖を乗り越えたその場で、これほど純度の高い炎を完全にコントロールしてみせるとは……。この小僧、ワシの想像を遥かに超えておるぞ)
バルトロは驚きを噛み締めながら、小さく息を吐いて不敵に微笑んだ。
「期待以上じゃな。まさか一発でやってのけるとは。……これでやっとスタートラインじゃな。それこそが、お前の本当の力じゃ」「それこそが、お前の本当の力じゃ」
バルトロの言葉のあと、地下室を沈黙が支配した。
ルークの手のひらで轟々と燃える綺麗な炎を、横で見ていた二人が信じられない表情で見つめている。
「嘘、でしょ……。あんな短時間で、あの火をモノにしちゃうなんて……」
テール先輩が呆然と呟き、壁際のジャックも「はは、とんでもねぇ化け物と同席しちまったな」と苦笑いしている。
しかし、二人の目には、ルークの急成長に対する強烈なライバル心が灯っていた。
「ほっほっほ、良い刺激になったようじゃな。お嬢ちゃんも坊主も、へばっておる時間はないぞ?」
バルトロが木刀を肩に担ぎ、意地の悪い笑みを浮かべる。
こうして、元S級指導のもと、三人の地獄の特訓が本格的に幕を開




