第四話 追放
突然の出来事に、ルークは激しく混乱した。
なぜこの人は、俺が『黒の渦』の一員だと言っているのだろう。
それにまだ、さっき発現した力のことすら、自分の中で理解が追いついていない。あんなの、俺の力じゃない。
「ちょっと待ってください! 俺、そんなこと言われたってわかんないです! そもそも、俺はこの村から一回も出たことないんです。ましてや黒の渦の人たちとなんて、会ったこともありません!」
だが、その必死の声を強く遮るように、ルードは冷酷に言い放った。
「黙るんだ。言い訳なら協会で聞く。貴様の処分を決めるのは我々ではない。大人しくついてこい」
ルードはルークの手首をぐいっと強く引いた。ルークは必死に抵抗したが、先ほどの異能の反動のせいで身体に全く力が入らない。ズルズルと引きずられる中、ルークの胸の奥から、ふつふつと激しい怒りが湧き上がってきた。
(なんでこんなことをされてるんだ。勝手なことばかり言って……! 魔獣を倒して、みんなを助けたのは俺じゃないか。一体なんなんだよ……!)
憤怒の感情に呼応するように、またあの禍々しい力が身体の奥底から暴れ狂う。
ルークはその力を、感情のままに解き放った。
「離せよ……ッ!!」
ルードの手を思い切り振り払った瞬間、凄まじい衝撃波が巻き起こった。
激風に煽られ、Sランク冒険者であるルードの巨体が数メートル先まで吹き飛ぶ。
はっと周囲を見回すと、衝撃波の余波によって、いつの間にか闘技場の各所に激しい火の手が上がっていた。
「やはり貴様、我らの敵か!」
吹き飛ばされたルードが、背中から鋭い大剣を引き抜く。
ルークはもう、何がなんだかわからなくなっていた。
「違う……違う! 俺じゃない! 俺は敵じゃないんだ!」
だが、その悲痛な叫びは誰の耳にも届かない。容赦なく迫り来るルードの殺気を前に、ルークは本能的にその場から逃げ出した。
「ルーク! 待って!」
後ろからテールの声が聞こえた気がしたが、ただひたすら前を向いて走り続けた。
ルークが放った火は、折悪く吹き荒れた乾いた風に乗って、あっという間に燃え広がっていった。会場だけでなく、近くの屋台にまで引火し、辺りは一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
逃げ惑う村人たちの人混みに、ルークも必死に紛れ込んだ。
悲鳴の隙間から、自分を探す兵士たちの鋭い怒声が聞こえる。きっと、自分を捕らえようとする『灰色の鋼鉄』の配下たちだろう。
ルークは急いで、燃え盛る屋台の物陰へと滑り込んだ。
荒くなった息を必死に落ち着かせ、呼吸を整えようとする。
ふと自分の手を見ると、魔獣の赤黒い血でべっとりと汚れていた。身体は異常なほど熱く、頭がうまく回らない。
(俺じゃないんだ……。俺はあんなことやりたくなかった。あんなの、俺の力じゃない。俺じゃないんだ……)
──俺は一体、何なんだ。
その時、すぐ近くからガサリと物音が聞こえた。
金属が擦れ合う微かな音。おそらく、追手の戦士だ。
とっさにルークは、腰の片手剣の柄に手をかけた。あんな大騒ぎを起こしてしまった以上、もう弁明など通じないだろう。
(……後戻りができないのなら、もう躊躇する必要なんてない)
覚悟を決め、ゆっくりと音の主へ近づこうとした、その瞬間。
物陰から一気に人影が飛び出してきた。
強烈な力で地面に押し倒され、ルークは完全に身動きを封じられる。
「しっ……! 静かにしろ!」
ルークの口を大きな手でがっしりと抑え込んできたのは、ジャックだった。
そして、その後ろには──テールの姿もあった。
「二人とも……っ!? なんでここに……! 俺の近くに居ちゃだめだ、お前らまで敵だと思われる! 早くどこかへ行ってくれ!」
「ルーク、ちょっとあんた黙りなさいよ」
テールは、身を隠しながらルークをきつく睨みつけた。
「私たちがわざわざここに来たってことは、あんたを助けに来たに決まってるでしょ。さっさと落ち着きなさい」
「ルーク。俺らはお前の敵なんかじゃない。お前を助けに来たんだ」
ジャックが静かに、落ち着いた声で語りかける。
「お前が自分の意志であんな事を合するやつじゃないってことくらい、俺らが一番よく分かってる。お前は誰よりもこの村を大切にしてただろ。俺らはお前を信じてる。だから、お前も俺らを信じてくれ」
ジャックの真っ直ぐな言葉に、ルークの荒んでいた胸が驚くほど静まっていく。ゆっくりと深く息を吐き出し、ルークは頷いた。
「ああ……ありがとう。本当に助かるよ。だけど二人とも、これからどうするんだ?」
「ルーク、落ち着いて聞きなさい」
テール先輩が矢継ぎ早に、冷徹な現実を突きつける。
「『灰色の鋼鉄』はあんたを捕まえるために、すでに村を包囲し始めてる。このまま包囲網が完成したら、あんたはもう二度とこの村から出られなくなるわ。そうなったら、あんたはあいつらに理不尽な罪を被せられるだけ。……その前に、この村を出るのよ」
周囲からはまだ、村人たちの避難する悲鳴が聞こえるが、その声は徐々に遠ざかっている。テール先輩の言う通り、すでに包囲網の形成が進んでいるのだろう。
「ちょっと待てよ。それってつまり、あいつらを敵に回して逃げるってことか? この村を捨てて……?」
「他に何か名案がある? これはあんたを守るためよ。──あんたはどうしたいの。このまま何もせずに大人しく捕まるか、それとも今までのすべてを捨てて、自分の名誉と命を守るか。あなたが選ぶのよ」
時間がどんどん過ぎていく。
村人たちの声は完全に消え失せ、代わりに段々と、ルークを捜索する戦士たちの足音が近づいてくる。
タイムリミットが迫る中、ルークは葛藤の末に、とうとう消え入るような声で決断を下した。
「……ごめん。やっぱり俺、あいつらの所に行って、罪を──」
「ここに居たのかよ、化物」
ルークが言葉を言い切る前に、頭上の屋台の屋根から、不敵な声が降ってきた。
見上げると、そこには腕を組んだロミアが立っていた。
ハッとして、ジャックとテール先輩が即座に武器を抜く。だが、ルークだけは動けなかった。
「おいおい、どうしたんだよ化物。俺と戦わないのか?」
ロミアが屋根からひらりと飛び降り、挑発するように問いかけてくる。
「……ああ。俺は大人しく捕まるべきなんだ」
ルークは拳を握りしめ、地面を見つめた。
「一時の感情に身を任せて、自分の力を暴走させ、村をこんな危機に晒したんだ。俺は、ちゃんと罪を償わなきゃいけない」
「ふーん。あんなに団長に啖呵切っといて、もうそんなに弱気になってんのかよ。期待外れだな」
ロミアはつまらなさそうに鼻で笑うと、肩をすくめた。
「だが残念ながら、その要望は受け入れられねえな」
「……どういうことだ?」
ルークは思わず問い返した。
「そもそもさ、お前みたいな『能力者』なんて、敵だけじゃねえんだよ。こっちの王国陣営にだって何人かいる。上に行けば行くほど、能力者なんてさして珍しい相手じゃねえんだ。ただ、大体の能力が特定の家の血統によるものだから、団長も疑っちまったわけだ。能力が発現した初期に制御できねえなんて、よくある普通の話だ。そんなに思い悩むことじゃねえよ。最も、お前の能力は規模がデカすぎるがな」
ロミアは淡々と、しかし詳しく説明してくれた。
「それでも、俺が村に火をつけた罪が消えるわけじゃない。俺はちゃんと……」
「お前、まだ言うか。罪を償うって、具体的に何するつもりだ? 捕まって、地下牢にぶち込まれて、罰を受けて、それで終わりか? それで満足かよ」
「どういうことだよ。それがお前ら『灰色の鋼鉄』の狙いじゃないのか!?」
「少なくとも、団長はそうしたがってる。……と思う。あの人は俺たち部下にも詳しく手の内を教えちゃくれないからな」
ロミアは一歩近づき、鋭い緑の瞳でルークを真っ直ぐに見据えた。
「だが、俺は違う。お前の力は、純粋な能力の規模だけで言ったら、俺が今まで見てきた中でも間違いなくトップクラスの上澄みだ。──その力、国のために役立てる気はねえか?」
しばらくの間、誰も言葉を発せなかった。重苦しい沈黙の後、ジャックがゆっくりと口を開く。
「つまり……お前は俺たちを逃がしてくれるってわけか?」
「最初からそう言ってるだろ。今、前線では『黒の渦』の強力な能力者どもが猛威を振るい始めてる。正直、今の戦力じゃ前線を維持するだけで精一杯なんだよ。そこでお前の出番だ。お前がその能力を完璧に制御できるようになれば、こっちの戦力は大幅に跳ね上がり、黒の渦を完全に追い返せるかもしれない。──どうだ? 乗る気になったか? 最も、この提案を蹴るってんなら、俺はお前を気絶させてでも団長のもとに連れて行くだけだがな」
新たに提示された、予想もしていなかった選択肢。
だが、ルークが迷ったのは、ほんの一瞬だった。
「……俺たちは、どこに行けばいい」
「へっ、そうこなくちゃな」
ロミアは満足そうに口元を歪めた。
「まずは、ここから遠く離れた『冒険者協会』に向かえ。そこで俺が紹介する奴に会いに行け。その人なら、お前のそのクソデカい力を鍛えてくれるはずだ」
「その前に、まずはこの村を抜け出さなくちゃ始まらないでしょ。今の包囲状況はどうなってるの?」
テール先輩が焦るように口を挟む。
「そう焦んなよお嬢さん。すでに二つの正門は完全に包囲された。残るは南の門と西の門だ。一番包囲の完了が遅れてるのが西の門だ。そこに、俺が手配した荷車が置いてある。それを使って、まずは都市『アドレナ』まで行くんだ。……ここまで教えれば十分だろ。ほら、さっさと行け」
ロミアが西の方角を親指で指し示す。
3人は顔を見合わせ、即座に西の方へと駆け出した。
「期待してるぜ、化物」
背後から聞こえたその言葉を最後に、ロミアはまるで風のようにその姿を消した。
西の門までの道のりは、ロミアが言っていた通り手薄で、包囲の手はまだ届いていなかった。
身を屈めながら物陰を伝い、三人はついに西の門へとたどり着く。
「みろ、あいつが言ってた荷台だ。すぐに乗るぞ。ルーク、テールさん、お前らは荷台の中に隠れてくれ。馬の御者は俺がやる」
「ちょっと待ちなさいよジャック。なんであんたが危険を冒すのよ。御者なら私だって……」
「よく考えてよテールさん」
ジャックは少し悔しそうな表情を浮かべながら、自嘲気味に笑った。
「すでにテールさんととルークは、団長のルードにバッチリ顔を見られてる指名手配犯だ。逆に俺は、ロミアに一瞬で負けただけのモブだからな。誰の印象にも残ってねえよ。だから俺がやるのが一番安全なんだ」
もともとジャックにとって、この大会は『灰色の鋼鉄』からのオファーを勝ち取るための大舞台だったのだ。その可能性が完全に潰れてしまったことを自ら口にするのは、どれほど辛いことだろう。
「ほら、そうと決まったら早く乗り込め! 時間がないんだぞ!」
ジャックに急かされ、ルークとテールは急いで荷台の奥へと潜り込んだ。そこには大量の藁が敷き詰められており、二人を完全に隠すには十分な空間だった。
程なくして、御者台のジャックの合図とともに荷台が静かに動き始める。
馬の蹄の音と同じリズムで、荷台がガタゴトと二人の身体を揺らした。
暗闇の藁の中で、テールが息を殺すように、小さな声でルークに話しかけてきた。
「……ルーク。さっきは、言いそびれちゃったんだけどさ」
「え?」
「その……さっきはありがと。助けてくれて、本当に」
ルークは驚いてテール先輩の顔を見ようとしたが、明かりのまったくない荷台の中では、彼女の表情を窺い知ることはできなかった。
「いいですよ、そんなの。こっちこそ、その後に何度も助けられたし。お互いさまじゃないですか」
「いいえ、お互い様じゃないわよ。現に、私がもう一回あんたのこと助けてるじゃない」
暗闇の中で、テール先輩がふふっと小さく笑う気配がした。
「まあ、今回のことは特大の『貸し』にしとくわ。──だからさ、もう二度と、勝手に諦めたりしないでよね」
「……うん。ごめん」
しばらくして、ガタガタと揺れていた荷台が静かに停止した。
「おい、二人とも! もう出てきて大丈夫だぞ!」
御者台からジャックの弾んだ声が聞こえる。
藁を掻き分けて荷台の外へと顔を出すと、ルークの眼前には、どこまでも続く広大な高原が広がっていた。
「やっと村の領地を抜けたぞ。これで一旦は一安心だな」
辺りはすっかり深い夜に包まれ、満天の星々と美しい月明かりが、静原を白く照らしている。
夜空は、ルークの重苦しい心境とは裏腹に、不条理なほどに美しかった。
「流石にちょっと馬を飛ばしすぎたみたいだ。馬がへばってる。ここからは少し歩くぞ」
ジャックが馬の手綱を引きながら、歩き始める。
「……これで、俺たちまで指名手配犯の仲間入りだな」
ジャックがガッシリした体つきをすくめ、その繊細な黒い瞳に苦笑いを浮かべながらも、ルークの背中をポンと叩いた。
遙か背後には、未だに黒煙を上げ続ける、変わり果てた故郷の残骸。
「ほら、行くわよ」
テール先輩が、その美しい蒼色の混じった黒髪を夜風になびかせながら、少し冷たい手でルークの手をぎゅっと引いた。
「……分かった」
ルークは低く呟き、腰に帯びた一本の『謎の片手剣』の柄を、今度は逃げるためではなく、生きるために強く握り直した。
二度と、あの力を暴走させない。
自分の内にある『化け物』を完璧に御し、自らの意思でコントロールしてみせる。
それだけが、この地獄を生きていく自分に課された、唯一の贖罪だ。
少し明るい茶髪を夜風に揺らしながら、前方を歩く二人の背中を追う。
その澄んだ水色の瞳からは、すでに涙は完全に消え失せていた。
少年は自らの宿命を背負い、自らの足で、新しい運命の泥沼へと一歩を踏み出した。
(第1章・完)




