第24話 信頼できる人
冒険者協会を後にしたルークたちは城下町にあるバルトロがいる酒場に向かうためにくらい裏路地を使っていった。すぐそこに協会を裏切ったやつの追手がいるかも知れない。そもそも、本当にハインツが裏切り者なのか。ミドレアを信用してもいいのか。ルークたちはもはや何も信じられなかった。そんな中、唯一心のそこから信頼できて、状況をわかってくれる人のもとに早く着きたい一心で、三人は足早に路地を抜けていった。
太陽が傾き始めたアドレナの街は、いつも通りの活気と喧騒に溢れているように見えた。行き交う商人たちの威勢のいい声、談笑する住民たち。だが、現在のルークたちの目には、すれ違う通行人の視線や、路地裏に佇む守衛の姿のすべてが、自分たちを監視するミドレアの目であり、ネファリウスの息がかかった私兵に見えて仕方がなかった。
「……追っ手はいないみたいね。ジャック、そっちはどう?」
湿っぽく薄暗い路地裏の影に身を潜めながら、テールが荒い息を整えつつ尋ねる。ジャックは壁の隙間から大通りを油断なく見回し、短く顎を引いた。
「ああ、今のところ尾行らしい影は見えない。だけど、本部の周辺はいつもより守衛の巡回ルートが密になってるな。やっぱり、あのアールグレイ野郎、俺たちをこの街から簡単に出す気はねえのかもしれん」
「急ごう。バルトロさんの家は、この先の下町の賑やかなエリアを抜けた、少し外れにあるんだ」
ルークが先頭に立ち、極力目立たないように衣服のフードを深く被り直して、アドレナの喧騒の奥へと足を速めた。
華やかな中央大通りを外れ、石畳の隙間から雑草が顔を出すような、古びた下町の入り口へと差し掛かる。建物の密度が増し、生活臭の漂う細い路地をいくつか曲がった先。周囲の民家に混ざるようにして建つ、木製の壁が随分と年季の入った一軒の道場が見えてきた。そこはつい数日前と全く変わらないボロ臭い看板をぶら下げた酒場があった。
ルークは周囲の気配を最後に一度だけ鋭く確かめてから、古びた引き戸を静かに、しかし確実にノックした。
「バルトロさん! ルークです。……中に入ってもいいですか?」
トントン、という音が響いた後、しばしの沈黙が流れた。やがて、床板をきしませる重い足音が近づいてくる。ガラリと大きな音を立てて扉が開くと、そこには相変わらずの岩のように頑強な体躯に、無精髭を蓄えた厳つい男──バルトロが立っていた。その鋭い眼光は、三人のただならぬ様子を一瞬で捉えた。
「……ルークか。それにジャックと……なんだ、テールよ、どうしたんだその怪我は」
バルトロは三人の衣服に染み付いた砂埃と、その目に宿るただ事ではない緊張感を一瞥しただけで、それ以上は何も言わず、顎を小さくしゃくって「入れ」と室内を指した。
「済まねえな、バルトロさん。ちょっと、冗談じゃ済まねえ厄介事に巻き込まれちまってよ」
「気にするな。酒場じゃわしゃ酒が止まらんでな。上にあるわしの部屋に行くぞ」
三人はバルトロの部屋にに入りながら、ようやく張り詰めていた息を大きく吐き出した。
部屋の中には、手入れの行き届いた数々の木刀や大剣、剣術の道具が整然と並んでいた。そこには、ギルド本部のあの埃っぽく不気味な空気とは違う、どこか張り詰めつつも心を落ち着かせる、懐かしい木の匂いと汗の匂いが漂っていた。
「西での大立ち回りは、引退した俺の耳にもいくつか入っているぞ。急に進化した『オレンジ色の炎』を操るようになったガキと、それを後ろから支える生意気な弓使い、それに……手負いの槍使いか」
バルトロは中央の木椅子にどっかと腰掛け、太い腕を組みながら三人を見据えた。
「で、その面いっぱいに『困り果ててます』と書いてある理由はなんだ? せっかくアドレナに戻ってきたってのに、本部に報告へ行ったんじゃないのか」
ルークは一歩前に出ると、先ほど本部でミドレアから告げられた内容、そして自分たちが感じた数々の違和感を、一切の隠し立てなくありのままに伝えた。ハインツの突然の謹慎処分、ルードの不可解な失踪。そして、ミドレアから提示されたあまりにも話が出来すぎている「ルードの捜索依頼」のこと。
ルークの話を黙って聞いていたバルトロだったが、次第にその眉間の皺を深くしていった。
「……ハインツが内通者として謹慎、ルードが証拠集めのために消息不明、か。笑えん冗談だな、そりゃあ」
「バルトロさん、やっぱりおかしいですよね? あのミドレアさんの話、どこか僕たちを罠に嵌めようとしているようにしか思えなくて……。だから僕、返事を保留にしてここへ来たんです」
ルークの真っ直ぐな問いかけを聞いた瞬間、バルトロの纏う空気が、ガラリと変わった。
以前の彼なら、頭ごなしに怒鳴るか、大雑把に笑い飛ばして煙に巻いていただろう。だが、死線を越えて一回り大きく成長したルークたちの目をじっと見つめたバルトロの眼光には、かつて数々の修羅場をくぐり抜けてきた『一流冒険者』としての冷徹な凄みが宿っていた。
ルークたちを、守るべき子供ではなく、一人の「対等な冒険者」として認めたからこその、重く、理知的なトーンへと、その低い声が変化していく。
「ルーク、お前がその依頼をすぐに受けず、持ち帰ったのは大正解だ。だがな、まだミドレアが頭から真っ黒だと決めつけるのも早すぎる」
「え……? でも、あの状況はどう見てもミドレアさんが仕組んだように……」
ジャックが疑問の声を上げると、バルトロは木椅子に深く腰掛け直し、静かに腕を組んだ。
「あいつは昔から上に取り入る泥縄工作と、自分の手を汚さずに立ち回ることだけは一級品のキツネだ。だがな、剣を振るだけなら『気合を入れろ』で済むが、ギルドの上層部ってのはそんな単純な奴らの集まりじゃねえ。……そこにどんな『政治的な思惑』が絡んでいるか、そこを考えろ」
「政治的な思惑、ですか?」
テールが未だに黒い紋章が疼く身体を気にしながらも、真剣な眼差しで問いかける。
「ハインツは強欲な貴族だがな、ギルドそのものを崩壊させるような致命的な真似は絶対にしない。なぜなら、ギルドが潰れれば自分の利権や財源が真っ先になくなるからだ。あいつはそこまで馬鹿じゃない。そして、あのルードの馬鹿がだ、ハインツの部屋から出た暗号文ごときを真に受けて、罠の可能性も考慮せずに単身で敵地に突っ込むか? あいつは私生活こそ荒っぽいが、戦況の分析に関しては誰よりも冷徹で慎重な男だ」
バルトロは一度言葉を切り、三人を諭すようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「つまりだ。何者かが裏で糸を引いて、そのハインツとルードという二大巨頭を同時に盤面から弾き出した。ミドレアはそれを知っていてお前たちを都合よく動かそうとしているのか、あるいはミドレア自身も、その大きな陰謀の流れの中で踊らされている被害者なのか……今の段階じゃまだ、何も分からねえんだよ」
本部の幹部たちの本質を誰よりも知るバルトロの冷徹な分析は、熱くなっていたルークたちの頭を冷やすのに十分な重みがあった。
「ミドレアを完全に敵だと決めつけて動けば、本部の守衛全員を敵に回すことになる。それは悪手だ。だが、あいつの言う通りにのこのこ指定された場所へ向かえば、本当にネファリウスの罠に飛び込むことになるかもしれない。お前の持つその『オレンジ色の炎』は、奴らにとって喉から手が出るほど欲しい果実だろうからな」
「じゃあ、親父さん、俺たちはどうすりゃいいんだよ? あいつから与えられた猶予は3日しかねえんだぜ」
ジャックが焦れったそうに弓の弦を指で弾く。バルトロは立ち上がり、壁に立てかけられていた一本の大きな木刀をルークに放り投げた。ルークはそれを慌てて両手で受け止める。
「ミドレアには『3日間じっくり考える』と言ったんだろ? なら、その3日間をまるまる使って、あいつの持ってきた情報の裏を取るんだよ。ミドレアの言う通りにアドレナの街を出る必要はねえ。街の中に潜伏しながら、ハインツが本当に謹慎されているのか、ルードが最後にどこで目撃されたのか、自分たちの足で調べるんだ」
バルトロはそう言うと、いつもの豪快さを少しだけ取り戻した不敵な笑みを浮かべ、ルークの肩を叩いた。
「敵の用意した土俵に無理に乗る必要はねえ。ミドレアと敵対するでもなく、従うでもなく、泳がせるのさ。3日後、あいつの前に立つ時までに、こっちが真実を握っていればいいだけの話だろ?」
師の現実的で冷静な提案に、ルークの心から焦りが消え、代わりに確かな決意が宿った。
まだミドレアが敵か味方かは分からない。だからこそ、自分たちの目で確かめる。
「分かりました、バルトロさん。……僕たち、この3日間で本部の本当の状況を調べます」
「おうよ。ハインツの親父さんの屋敷の周りなら、俺の隠密スキルで探りを入れてみせるぜ」
ジャックがニヤリと笑い、テールもまた「私もこれくらいなら動けるわ」と小さく微笑んだ。
ミドレアとの決定的な破局は避けつつも、その張り巡らされた欺瞞の糸を逆手に取るようにして、ルークたちの「3日間の隠密調査」が、この下町の道場から静かに幕を開けようとしていた。




