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第23話 裏切り・違和感

西の戦線を出発したルークたちは再び馬車に乗り、協会本部があるアドレナへと歩みを進めた。三人は道中再びネファリエンスなどの襲撃があるのではないかと恐れたが、三人の想像とは裏腹に、襲撃どころか魔獣一匹すら見かけない、とても平和な旅路となった。


――数日後、三人は長い旅路を経てアドレナへと帰還した。


「やっとついたわね。それにしても全く敵襲がないなんてびっくりしたわ」


「ソッチのほうがいいじゃないすか、テールさん。そもそもあなた、まだ戦える体じゃないでしょ」


「なによ、私はもう大丈夫よ!」


テールがプンプンしながら馬車の扉をバンと開け、そのまま降りていった。それに続くようにルークたちも馬車を降り、冒険者協会の本部へ向かった。


「みなさん!西でのご依頼、お疲れ様でした!みなさんが無事で何よりです」


本部に入るとすぐに受付嬢が迎えてくれて、ルークたちの荷物を預かってくれた。


「早速ですが、ミドレアさんが皆さんをお呼びですので、ご案内します」


そう言うとそそくさと階段を登っていった。ルークたちは顔を見合わせながら神妙な顔つきでついて行った。なんせ、今から行く部屋の中に、ネファリエンスとの繋がりがある人物がいるかも知れないのだから。


「失礼します、お連れしました」


そう言って受付嬢がドアを開けると、前回と同じようにミドレアがその白い歯を見せびらかしながら大きく手を広げている…と思っていたが、どうやら違うようだ。


部屋に居たのはいつもミドレア、ルード、ルーデウス、ハインツの4人だったが、ルーデウスはまだ西の戦線に残っているから居ないのはいいとして、ハインツ、ルードも居なかった。いつもは4人のほかそれぞれの従者などが付き添い、ひとけが会った大きい部屋がまるでしばらく誰も居なかったかのように静まり返っていた。


「おい、こりゃ一体どういうことだ?ルードも、ハインツさんも居ないし、どうなってんだ全く」


ジャックが部屋を見渡しながら顔をしかめて言った。机には少し埃が溜まっており、ここ数日はまともに使われていなかったことが一目で分かった。あの活気のあった円卓の部屋が、まるで機能停止した抜け殻のようだ。


その部屋の奥、大きな窓を背にして、ミドレアだけがポツンと椅子に座っていた。

いつもなら仕立ての良い高級な服を着こなし、嫌味なほどの白い歯を見せて「よく戻ったね、諸君!」とでも大仰に手を広げる男だ。だが、今の彼にその余裕は微塵もなかった。


服の襟元はだらしなく緩み、髪は少し乱れている。何より、その顔には酷い隈が浮き出ており、明らかに心身ともに追い詰められているのが見て取れた。


「……ああ、戻ったのか。ルーク、ジャック。それにテールも」


ミドレアの声は、以前の朗々としたものとは別人のように掠れていた。ルークたちの帰還を喜ぶ風でもなく、ただ義務的に視線を向けるだけだ。


「ミドレアさん、これは一体どういう状況なんですか? ルードやハインツさんはどこへ行ったんですか?」


ルークが一歩前に出ながら、張り詰めた声で問いかけた。

西の戦線でルーデウスから聞いた「本部の情報漏洩」、そして内通者の存在。誰も信じられないこの緊迫した状況で、部屋のこの有り様は、明らかに本部に「異変」が起きていることを物語っていた。


ミドレアは力なく首を振ると、机の上に置かれた数枚の書類を、震える指先でトントンと揃えた。


「……ハインツ殿は、二日前にここを去ったよ。いや、正確にはギルドの『円卓』としての権限を一時凍結され、自身の領地へ事実上の謹慎処分となった」


「謹慎……!? なんであの上級貴族のハインツさんがそんな目に遭うんだよ」


ジャックが信じられないといった様子で声を荒らげる。

ハインツは本部の財政を支える大物であり、ネファリウスとの繋がりを疑うには十分すぎる権力者だったが、まさか処分を受けている側だとは予想外だった。


「理由は……情報の隠匿、およびネファリウスとの内通疑惑だ」


ミドレアの口から出たその言葉に、ルーク、ジャック、テールの3人は息を呑んだ。自分たちが疑っていたことが、すでに本部で問題になっていたのだ。


「じゃあ、内通者はハインツだったってこと……? でも、だったらルード様はどこにいるのよ。あの人がハインツを捕まえたんじゃないの?」


テールが怪我の残る体を少し強張らせながら尋ねる。

だが、ミドレアはさらに深い絶望を瞳に宿し、ゆっくりと顔を上げた。


「……ルード殿は、ハインツ殿の容疑を固めるための『証拠』を持ってくると言い残し、三日前から消息を絶っている。ネファリウスの本拠地に単身で乗り込んだという噂もあるが……現在の行方は、私にも全く分からない」


ミドレアの言葉が、静まり返った部屋に重く響く。

最強のS級冒険者であるルードの失踪。それは、このギルド本部が完全に「盾」を失い、ネファリウスの脅威に無防備に晒されていることを意味していた。


「そんな……ルードが、行方不明……」


ルークは腰の『赫剣』を握る手に、思わず力が入った。

西のキャンプであれだけの死闘を繰り広げ、命からがら本部に真実を伝えにきたというのに、頼るべき最強の味方はおらず、目の前にいるのは完全に怯えきったミドレア一人。


「……信じられないわ」


テールが唇を噛み締め、悔しそうに声を震わせた。


「あのルード様が、そんな簡単にネファリウスの後れを取るなんて。ハインツ様の件だってそうよ。あの方が内通者だなんて、にわかには信じられないわ。何かの間違いじゃないの?」


「間違いであってほしいさ、テール。私だって、彼らを信じたかった……!」


ミドレアは机に両肘をつき、苦しげに頭を抱え込んだ。その肩は小さく震えており、本当に組織の崩壊を嘆いている男の姿、そのものだった。


「だが、ハインツ殿の執務室から、ネファリウスの暗号文が見つかってしまったんだ。ルード殿はそれを見て、激昂して飛び出していってしまった。私は、私はただ、ここでこうして、ギルドの崩壊を待つことしかできないのか……っ」


悲痛なミドレアの告白。

だが、その言葉を聞いていたジャックの目が、ふと、部屋のある『一点』で止まった。


ジャックの視線の先──それは、ミドレアが座っている豪華な椅子のすぐ脇にある、小さなサイドテーブルだった。

そこには、飲み干されたばかりの高級な紅茶のカップが置かれていた。かすかに湯気が立っており、部屋に入った瞬間に漂った「しばらく誰も使っていなかったような埃っぽい匂い」とは明らかに矛盾する、上品で華やかなアールグレイの香りが残っている。


(おかしいな……)


ジャックは細めた目で、じっとミドレアを観察した。

彼の服は確かに乱れ、隈も酷い。だが、その爪先は綺麗に切り揃えられており、だらしなく緩められたはずの襟元からは、高価な香水の香りが漂っている。本当に心身ともに追い詰められ、寝食を忘れて絶望している人間のそれではない。


何より──ルーデウスがまだ西にいて、ハインツが謹慎、ルードが行方不明。

ということは、今この本部で全ての権力を握っているのは、目の前で頭を抱えているこのミドレア、ただ一人ということになる。


(……こいつ、本当に『被害者』か?)


ジャックの脳裏に、冷や汗が流れるような最悪の疑念が浮かび上がった。しかし、確たる証拠は何もない。今ここで突っ込めば、逆にこちらが危ない。ジャックはルークとテールの背中を睨みながら、あえて口を閉ざし、気配を殺した。


「ミドレアさん」


ルークが、まだその違和感に気づかぬまま、一歩足を踏み出す。


「僕たちは西のキャンプで、ネファリウスの幹部を名乗る『セレイア』という女に襲われました。奴らは、僕の持つこの火を狙っています。本部に内通者がいるのは間違いありません。ハインツさんが捕まったなら、もう安全なんですか? 僕たちは、これからどうすれば……」


「……セレイア、か。やはり奴らの幹部が動いていたのだね」


ミドレアはゆっくりと顔を上げ、酷く疲弊した目元をこすりながら、痛ましそうにルークを見つめた。


「本当によく生きて戻ってきてくれた、ルークくん。ハインツ殿が処分されたとはいえ、まだ本部に奴らの息がかかった者が潜んでいないとも限らない。君のその『火』は、我がギルドにとっても、ネファリウスにとっても、今や最大の鍵だ。絶対に奴らの手に渡すわけにはいかない」


ミドレアは立ち上がり、ルークの肩にそっと手を置いた。その手は温かく、どこまでも親身な大人のそれだった。


「ルークくん、ジャックくん、テール。済まないが、君たちにしか頼めないことがある。ルード殿が消えた今、本部の守衛すら私は完全に信用できない。……ルード殿が向かったとされる、ネファリウスの潜伏先の調査を、君たちに極秘でお願いしたいんだ」


ミドレアは机の引き出しから、一枚の古びた地図を取り出し、ルークたちに差し出した。


「ルード殿を救い出し、ハインツ殿の決定的な証拠を掴む。それができれば、このギルドは救われる。どうか、力を貸してほしい」


ただ、ルークの心には迷いがあった。


「すいません、返事は少し待ってもらってもいいですか?俺達も三人で色々と話し合ったりしたいので」


「ほう、意外だね。君たちなら二つ返事で受けてくれると思ったのに。まあ西で相当つかれただろうからね。それじゃあ3日後まで返事を聞かせてくれるかい?」


「ありがとうございます」


そう言いながらルークは頭を下げ、部屋を後にした。


「おいルーク!なんで受けなかったんだ?いつもならすぐに受けてただろ」


「待ってジャック。ルーク、なんか気づいたの?」


「はい。詳しいことは言えないんですけど…なんか、おかしい」


廊下を早足で歩きながら、ルークは声を潜めて言った。その表情はいつになく険しい。


「おかしいって、何がだよ?」


「ミドレアさんの話、なんか状況が綺麗に繋がりすぎてないかな? ハインツさんの執務室から暗号文が見つかったことも、ルード様がそれを見て一人で飛び出していったっていうのも……まるで、誰かが用意したシナリオ通りに事が進んでるみたいに思えてさ。そんな危険な場所に、僕たちだけで調査に向かうのはあまりにリスクが高すぎる」


ルークの言葉に、ジャックはハッとして足を止めた。

ルークはさらに言葉を続ける。


「ここで二つ返事で依頼を受けて、もしその情報自体が罠だったら、僕たちはネファリウスの真っ只中に自分から飛び込むことになる。だから……まずはこの依頼の真偽を確かめるのが先だと思ったんだ」


「……あんた、意外とよく見てるじゃない」


二人の後ろを歩いていたテールが、感心したように、でもどこか硬い声で呟いた。服の襟元を気にするように押さえながら、彼女の瞳にもジャックと同じような警戒の色が浮かんでいる。


「テール先輩も、そう思いますか?」


「ええ。本部の最高幹部であるハインツ様やルード様が、これほど同時に動きを封じられるなんて普通じゃないわ。それに……さっきのミドレアの様子、酷くやつれてはいたけれど、どこか『演じている』ような違和感があった。ジャック、あんたも気づいてたんじゃない?」


「……チッ。やっぱり、そう思うよな」


ジャックは頭をガリガリと掻きむしりながら、忌々しそうに吐き捨てた。


「あの部屋に入ったとき、埃っぽい匂いがしたのにさ、ミドレアの机の脇にあった紅茶のカップからは、まだ湯気が立ってやがったんだ。アールグレイのいい匂いがな。本当に絶望して引きこもってたなら、あんな優雅に淹れたての高級茶なんか飲んでねえよ。爪だって綺麗だったし、襟元からは香水の匂いまでしやがった。そんな奴の持ってきた話だ、裏がないわけがねえ」


「じゃあ、やっぱりあの依頼自体が……」


ルークの背中に、冷たいものが走る。

ミドレアが嘘をついているのだとしたら、彼から提示された「ルードの捜索依頼」そのものが、自分たちをアドレナから遠ざける、あるいは消し去るための罠である可能性が極めて高い。


「あいつの言う通りに動くのは危険すぎるな。かと言って、この本部の人間は誰も信用できねえ。どうする、ルーク?」


ジャックが声を低くして、周囲の守衛を警戒しながら問いかける。

ルークは腰の『赫剣』にそっと手を置き、進むべき場所を心に決めた。


「……一人だけ、頼れる人がいる。僕の師匠の、バルトロさんのところへ行こう」


剣の師であり、酸いも甘いも噛み分けた老練な冒険者であるバルトロなら、このギルド本部の異常な事態についても、何か別の視点から真実を見抜いてくれるかもしれない。何より、あの師匠なら絶対に自分たちを裏切らないという確信があった。


「バルトロ殿ね。確かにあの人なら、この本部の腐った空気の外側にいるわ。現状を相談するには一番いい相手かもね」


テールが静かに賛同し、小さく頷いた。


「よし、決まりだ。ギルドの宿舎に寄るフリをして、足がつく前に親父さんのところへ急ごうぜ」


ジャックが不敵に笑う。

ミドレアから与えられた猶予は3日間。ルークたちは、張り巡らされた欺瞞の蜘蛛の巣をすり抜けるようにして、確かな信頼を置ける師・バルトロの元へと、密かに足を進め始めた──。

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