第13話 敵の奇襲・快進撃
「ひ、引き返すぞ! 本部に増援を要請──っ」
A級クラン『歯車の騎士』の団長、ハインツが悲痛な叫びを上げた。
だが、その声は渓谷の奥から吹き付ける、生臭く冷たい『黒い霧』の風にかき消される。逃げ道など最初から存在しなかった。退路はすでにどす黒い闇に覆われ、周囲の岩肌からはネファリウスの魔道士たちが使役する岩の巨躯──アースゴーレムが、地響きを立ててその包囲網を狭めてきている。上空を見上げれば、視界を埋め尽くさんばかりのガーゴイルの群れが、刃のような翼を羽ばたかせて冷酷にルークたちを見下ろしていた。
安全だと思われていた、この北の戦線。
しかし実態は、敵組織『黒の渦』が連合の裏をかくために用意した、能力持ちを擁する「大本命の急襲部隊」の実験場だったのだ。
「ハァ、ハァ……ダメだ、我々のマジックアイテムが、あの霧のせいで完全に無効化される……っ!」
ハインツが膝をつき、血の気の引いた顔で絶望の声を漏らす。
『歯車の騎士』の団員たちが放った拘束魔法や、爆破の魔道具。そのどれもが確かに敵の肉体を捉え、破壊していた。だが、傷を負った瞬間、魔獣やゴーレムの身体からはウジ虫のように『黒い霧』が湧き出し、何事もなかったかのように肉体を再生させてしまう。
物理攻撃も、通常の魔法も通じない。これでは、どんなに経験を積んだA級冒険者であっても、スタミナと精神を削られ、いずれ一方的に圧殺されるのを待つだけだ。
ネファリウスの魔道士たちが、勝ち誇ったように不気味な笑い声を上げる。
彼らが一斉に杖を掲げ、ハインツたちにトドメを刺すための広範囲破壊魔法を唱え始めた。暗黒の魔力が渓谷の空を紫に染めていく。
「──ハインツさん、下がっててください」
全滅の二文字が全員の脳裏をよぎったその瞬間。
ルークが静かに、しかし確固たる足取りで一歩前に出た。
「ル、ルークくん!? 無茶だ、君たちのような新米が突っ込んでも──」
「大丈夫です。あのS級のルードって人に、言われっぱなしじゃ悔しいですからね」
ルークは恐怖など一ミリも感じていない真っ直ぐな瞳のまま、不敵に微笑んだ。そして、腰の剣の柄に手をかけた瞬間──ルークの体内の奥底、バルトロの地獄の特訓によって完璧に制御された魔力の源流が、爆発的な勢いで沸騰した。
一気に剣を引き抜く。
瞬間、渓谷の冷たい霧をすべて一瞬で蒸発させるほどの、圧倒的な紅蓮の熱量が大爆発した。
──『赫剣』。
「みんな、いくよ!! 俺が道を切り拓く!」
ルークの放つ強烈な光と、肌を焼くほどの熱波に、ネファリウスの魔道士たちの顔が初めて驚愕へと歪んだ。
ルークたちの真の力を世界に見せつけるための、本当の戦いの火蓋が切って落とされた。
「小癪なガキめ! 押し潰せ!」
魔道士の号令と共に、十数体のアースゴーレムが、丸太のような豪腕を振りかざしてルークへと突撃してくる。普通の人間なら、その巨体が放つ風圧だけで押し潰されるような超質量。
だが、ルークの視界の中では、その突進はまるで泥の中を泳いでいるかのように「遅く」見えた。バルトロの、視認することすら不可能だった神速の木刀。あれを何千、何万回と見極めてきたルークにとって、ただ肉体のパワーだけに頼った魔獣の動きなど、止まっているも同然だった。
「おおおおおおおッッ!!」
ルークは地を蹴り、爆発的な加速で先頭のゴーレムの懐へと滑り込んだ。
流れるような挙動で、紅蓮に燃え盛る剣を一文字に振り抜く。
ズバァァァンッッ!!!
激しい大爆発の轟音。
ルークの剣が触れた瞬間、岩の巨躯を持つゴーレムは、その頑強な身体をごっそりと焼き切られ、悲鳴のような音を立てて崩れ落ちた。
「ふん、無駄なことを! 我らが大厄災の霧がある限り、どれほど斬ろうとも──」
魔道士が鼻で笑おうとした、その時だった。
「……な、何だと!?」
魔道士の言葉が、驚愕で途切れた。
いつもなら、崩壊した断面から即座に這い出て肉体を繋ぎ合わせるはずの『黒い霧』が、ルークの炎に触れた瞬間、ジチジチと気化するような音を立てて、細胞ごと、存在ごと完全に「消滅」していったのだ。
再生しない。それどころか、ルークの『赫剣』の炎は、ゴーレムの核を包み込み、そのままドロドロのマグマのように融解させてしまった。完全なる消滅だ。
「馬鹿な……! 大厄災の力が、ただの火魔法で焼き尽くされただと……っ!?」
魔道士たちがパニックに陥る。
ハインツたち『歯車の騎士』の面々も、呆然と目を丸くしていた。A級の自分たちが寄ってたかって傷一つつけられなかった不死身の怪物が、D級の新米の一振りで、文字通り塵も残さず消し飛ばされたのだ。
「驚くのはまだ早いぜ、悪党ども!」
ルークの背後から、ジャックの鋭い声が響いた。
ハインツたちが地面に設置したものの、敵の再生能力の前に無駄になっていた『拘束罠』。ジャックはその魔道具のワイヤーが、上空のガーゴイルの足元に絡みついている瞬間を見逃さなかった。
流れるような滑らかな動作で、ジャックが長弓を引き絞る。
限界まで張り詰められた弦から、風を切り裂いて放たれたのは──一矢ではない。同時に3発、いや4発の矢が、まるで光の弾幕のように放たれた。
シュシュシュバッッ!!!
「ギャァァァッ!?」
「グァッ!?」
寸分の狂いもない正確無比な連射。ジャックの放った矢は、罠によって一瞬だけ動きを止められたガーゴイルたちの、翼の関節の「最も脆い一点」を完璧に撃ち抜いていった。
翼を破壊されたガーゴイルたちが、次々と悲鳴を上げて地面へと墜落していく。
「そこを──通さないわよぉッ!!」
落ちてきたガーゴイルの群れに向かって、テール先輩の身体が躍動した。
低く、最短距離を這うような鋭い踏み込み。バルトロに叩き込まれた、泥臭くも確実に相手の息の根を止める実戦仕様の槍捌き。かつての教科書通りの美しいだけの動きではない。
「ハァァァッッ!!」
裂帛の気合と共に放たれた槍の穂先が、墜落したガーゴイルの眉間を正確に、超高速で次々と刺し貫いていく。その一撃一撃には無駄な力みが一切なく、流れるような連撃となって魔獣たちを瞬殺していった。
「す、凄い……! なんて無駄のない連携なんだ……!」
ハインツが震える声で呟いた。
前衛のルークが敵の絶対的な防壁であるゴーレムを消滅させ、後衛のジャックが完璧な精度で空を制圧し、中衛のテールが漏らさずトドメを刺す。
その戦闘能力、そしてお互いへの絶対的な信頼が生み出す陣形は、すでにD級どころか、自分たちA級クランをも遥かに凌駕していた。
「おのれ、おのれぇっ! 狂え、もっと狂えぇっ!!」
戦況をひっくり返されたネファリウスの魔道士たちが、血走った目で呪詛を吐き散らし、残った全ての魔獣をルークたちへと差し向けようとした──その時だった。
「……どけ。お前たちでは、あの『火』には勝てん」
魔道士たちの背後から、低く、冷徹な声が響いた。
そこに立っていたのは、禍々しい紫色のオーラを全身から立ち上らせている、一人の男。東や西の戦線で連合を苦しめていたという、ネファリウスの『能力持ち(異能者)』だった。
「あ、あなたが直々に……!」
魔道士たちが怯えたように道をあける。
男は冷酷な視線をルークへと向けると、その手を前に突き出した。
「我が異能は【重力変質】。──地に這いつくばれ、羽虫めが」
男がそう呟いた瞬間、ルークたちの周囲の空間が、目に見えてひずみ始めた。
ドスゥゥン!!! と、大気がきしむような凄まじい衝撃波と共に、ルークたちの身体に、通常の数十倍もの凄まじい「重圧」が圧しかかる。
「くっ、身体が……っ!?」
テール先輩が悲鳴を上げ、槍を支えにして何とか踏みとどまる。ジャックも弓を構える腕が激しく震え、地面に膝をつきかけた。地面の岩盤が、重力に耐えかねてバリバリと蜘蛛の巣状にひび割れていく。
「ははは! 潰れろ! そのまま肉塊となれ!」
能力持ちの男が、残酷な笑みを浮かべてさらに重力を強めようとする。
だが。
「……重い、けど」
ルークは、ゆっくりと、確実に、その重力の檻の中で足を前に踏み出した。
「──バルトロ師匠の、あのシゴキに比べたら……こんなの、全然軽すぎるんだよっ!!」
「な、何だと……っ!?」
男の顔から余裕の笑みが消え去った。
あり得ない。この重力の中では、並の冒険者なら骨を砕かれて立ち上がることすらできないはずだ。なのに、目の前の少年は、まるで少し強い向かい風を受けているだけのように、平然と剣を構えて歩み寄ってくる。
ルークの肉体と精神は、あの元S級の地獄によって、すでに常識の枠を遥かに超えた領域まで鍛え上げられていたのだ。
「世界を創り変えるとか、勝手なこと言ってんじゃねえぞ……!」
ルークは咆哮した。
体内の魔力を、今度は完全に、限界を超えて解放する。
瞬間、ルークの持つ剣から、渓谷全体を真昼のように真っ白に照らし出すほどの、圧倒的な紅蓮の業火が天に向かって噴き上がった。それは重力の歪みそのものを、熱量によって強引に焼き切っていく。
「これでお前らの企みも、その黒い霧も、全部──消え失せろォォォッッ!!!」
ルークは地面を爆破するようにして跳躍し、重力を切り裂いて男の懐へと肉薄した。
全力を込めた『赫剣』の一閃。
──ズバァァァァァンッッッ!!!!!
渓谷全体が震動するほどの、凄まじい大爆発。
紅蓮の炎が渦を巻き、能力持ちの男の防具を、そして彼が放っていた紫色の重力のオーラごと、全てを真っ向から焼き滅ぼした。
「ガ、アァァァァァァッッッ!? なんだこの火は……大厄災の力が、喰われていく……っ!?」
炎の中で、男が絶叫する。
ルークの火は、大厄災の力を根こそぎエネルギーとして焼き尽くす、まさに絶対的な天敵だった。
「おのれ……お前は一体、何者なんだァァァッ!!」
男の身体が炎によって炭化しかけたその瞬間、彼の背後の空間がぐにゃりと歪んだ。
11話でミドレアが言っていた、【負傷した奴らを一瞬で回収する特殊な能力者】の力が発動したのだ。男の身体は、炎の渦の中から引き剥がされるようにして、強制的な転移魔法によって空間の彼方へと消え去っていった。
直後、主を失ったネファリウスの魔道士たち、そして残っていた魔獣たちも、ルークの放つ圧倒的な熱量に恐れをなし、蜘蛛の子を散らすようにして渓谷の奥へと脱兎の如く逃げ出していった。
嵐のような戦闘が、終わりを告げる。
じわじわと立ち上る白い煙の中、ルークはふぅと息を吐き、剣の炎を収めて鞘へと戻した。
気がつけば、あれほど渓谷を埋め尽くしていた敵の軍勢は完全に壊滅し、周囲の森や岩肌からは、不気味な黒い霧の気配が一切消え失せていた。
静寂。
その中で、A級クラン『歯車の騎士』の面々は、完全に言葉を失って呆然と立ち尽くしていた。
「君たち……本当に、本当に、登録したばかりのD級の新人なのか……?」
ハインツが、ガタガタと小刻みに震える声で呟いた。その目は、目の前の少年たちを、まるで伝説の英雄か何かを見るかのように見つめている。
「あはは、一応、これでもバルトロ師匠の弟子ですからね」
ルークが頭を掻きながら笑うと、ジャックとテール先輩も「疲れたー!」と言いながらその場にへたり込んだ。
「あ、そうだ! 団長、すぐに本部に連絡を!」
団員の一人に言われ、ハインツはハッと我に返ると、懐から緊急通信用の大魔導水晶を取り出した。その手はまだ、興奮と衝撃で激しく震えている。
魔力を流し込むと、すぐにアドレナの連合本部へと通信が繋がった。
水晶の向こうから聞こえてきたのは、作戦室の重苦しい空気。そして、相変わらず傲慢なルードの、低く冷淡な声だった。
『──『灰色の鋼鉄』のルードだ。ハインツか。北の状況はどうだ。新米どもは、泣き叫んで足を引っ張っていないだろうな?』
ルードの、鼻で笑うような声。
ハインツはゴクリと唾を飲み込むと、水晶に向かって、作戦室全体に響き渡るような大声で、叫ぶように報告を叩きつけた。
「ろ、ルード殿……っ! 緊急報告です!! 北の戦線に、ネファリウスの主力、および魔道士十数名、さらに『能力持ち』1名を含む大軍勢の強襲を受けました!!」
『何だと……!?』
水晶の向こうで、ルードの息が止まるのが分かった。作戦室が一気に騒然となる気配が伝わってくる。
『おい、ハインツ! 無事なのか!? 持ちこたえろ、今すぐロミアたちを──』
「いえ、その必要はありません!! 敵の軍勢、および能力持ちは──同行したルークくんたちの『火』の能力、そして彼らの圧倒的な連携により、たった今、【完全に全滅・撃退】いたしました!!! 北の戦線、異常ありません!!」
『……な、何と言った……?』
水晶の向こうのルードが、今度は完全に絶句した。
「足を引っ張るガキ」だと舐め腐っていた新米3人が、A級クランすら全滅しかけた敵の主力を、たった3人で捻じ伏せたのだ。
沈黙する水晶を前に、ルークはフッと不敵に笑った。
自分たちの力は、世界に、そしてあの偉大な壁たちに、確かに届き始めていた。新米冒険者たちの快進撃は、ここからさらに加速していくのだった──。




