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追放された欠陥品の俺、実は『精霊の愛し子』でした。孤独な氷の魔王様を万色の魔力で救ったら、激しく溺愛されています  作者: 水凪しおん


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第8話「腐った金色の使者と、氷王の拒絶」

◆ルシア・フォン・ヴェルナー


『捨てたはずの過去が、腐臭を纏って追いかけてきた』


 グラシエル城の静寂な空気は、その日の朝、不快な熱波によって唐突に破られた。

 城の正面玄関に続く長い大階段。

 黒曜石の冷たい輝きを汚すように、魔界には存在しないはずの黄金色の魔力が渦巻いている。

 俺は階段の上の回廊から、その光景を息を潜めて見下ろしていた。

 空気中に漂うのは、高級な香木と、甘ったるい欺瞞の臭気。

 人間界から訪れた使者の集団。

 その先頭に立つのは、銀糸のような美しい髪を揺らす、見慣れた男だった。


「ヴェルナー男爵家長男、レオナ・フォン・ヴェルナー。魔界の統治者たるゼファリアス殿に、人間界からの使者として拝謁を願う」


 よく通る冷ややかな声が、広間に反響する。

 俺の義兄だ。

 優秀な魔術師として名を馳せ、俺を家から追い出した張本人。

 彼がなぜ、ここにいるのか。

 胸の奥底で、忘れかけていた古い傷口が開くような痛みが走る。

 広間に立つカイルが、警戒の色を隠すことなくレオナの前に立ち塞がった。


「人間界の使者が何の用だ。我が主君は、無用な謁見を好まれない」


「無用かどうかは、聞いていただいてから判断していただきたい」


 レオナは余裕のある微笑を浮かべたまま、一歩も退かない。


「数ヶ月前、我が愚弟がこの魔界の結界を越え、行方不明となった。調査の結果、彼がこの城に匿われているとの情報を得てな」


 俺の肩が、微かに跳ねた。

 彼らは俺を探していたのか。

 いや、違う。

 俺という家族を心配して探していたはずがない。

 教団の記録にあった通り、俺が『精霊の愛し子』という重要な道具であることに気づき、取り戻しに来たのだ。


「身柄の引き渡しを要求する。彼は人間界の法において、我が家の管理下にある」


 レオナの瞳が、階段の上で立ち尽くす俺の姿を正確に捉えた。

 ガラス玉のような冷たい視線が、俺の全身を舐めるように動く。

 その視線には、かつての無関心とは違う、隠しきれない焦燥と、悲痛な執着が混じっていた。

 彼の杖を握る手が、微かに白くなるほど強く握り込まれて震えていることに、この時の俺は気づけなかった。

 俺は無意識のうちに後ずさる。

 逃げなければ。

 あの金色の檻に連れ戻されたら、俺は今度こそ、心まで完全に殺されてしまう。


「随分と勝手な言い分だな」


 背後から、空気を凍らせるような低い声が響いた。

 俺の肩越しに、漆黒の外套が翻る。

 ゼファリアス様だった。

 彼は俺の横を通り過ぎ、大階段の最上段にゆっくりと歩み出る。

 彼が現れた瞬間、レオナが放っていた金色の魔力が、圧倒的な冷気によって一瞬にしてかき消された。


「我が領土に足を踏み入れ、我が城の者に手を出そうというのか。人間」


 ゼファリアス様の声には、怒りすら含まれていない。

 ただ、虫けらを払いのけるような無慈悲な冷酷さだけがあった。

 レオナの顔から、余裕の微笑が消え去る。

 彼もまた、目の前の存在が自分たちとは次元の違う力を持っていることを本能で理解したのだろう。


「……ゼファリアス殿。これは人間界の内部問題です。彼を魔界に留めることは、両世界の均衡を崩す要因になりかねない」


「均衡だと」


 ゼファリアス様は、階段をゆっくりと下り始めた。

 一段降りるたびに、周囲の空間が青白く凍りつき、氷の結晶が空中に舞い散る。


「お前たちが裏で何を企んでいるか、余が知らないとでも思ったか。星詠み教団の犬め」


 その言葉に、レオナの瞳孔が微かに収縮した。

 図星を突かれた人間の、明確な動揺だった。


「彼は我が城の従者だ。余と契約を結び、余の庇護下にある。引き渡す気はない」


 ゼファリアス様の宣告は、絶対的な力を持っていた。

 レオナは数秒の沈黙の後、奥歯を噛み締めるような表情を作った。

 ここで武力に訴えれば、自分たちの命がないことを理解している。


「……承知しました。本日はこれにて引き下がらせていただきます」


 レオナは恭しく頭を下げた。

 しかし、引き返して城を出る直前、彼は再び階段の上の俺を見上げ、声を出さずに唇だけを動かした。


『お前は道具だ。逃げられない』


 その呪いのような言葉が、俺の脳裏に焼き付いた。

 重い扉が閉まり、使者たちが立ち去った後も、広間には不快な緊張感が残っていた。

 俺は階段の上に立ち尽くしたまま、動くことができなかった。

 視界が歪み、呼吸の仕方がわからなくなった。

 家族として愛されたかった。

 少しでも認めてほしくて、必死に足掻いた。

 それなのに、彼らにとって俺は、ただの利用価値のある道具でしかなかった。

 その事実が、今更になって俺の胸を鋭くえぐっていく。


「ルシア」


 足音が近づき、ゼファリアス様が俺の目の前に立った。

 俺は顔を上げる。

 彼の青い瞳を見た瞬間、ずっと抑え込んでいた感情の糸が、音を立てて切れた。


「……俺は」


 言葉にするより先に、目から熱い雫がこぼれ落ちた。

 俺は慌てて手の甲で涙を拭うが、次から次へと溢れて止まらない。

 みっともない。

 魔王様の前で、こんな姿を見せるなんて。

 謝らなければならないのに、喉が痙攣して声が出なかった。

 ゼファリアス様は何も言わなかった。

 ただ、静かに片腕を伸ばし、俺の肩を抱き寄せた。

 硬い黒曜石のような鎧越しの、冷たい感触。

 しかし、そこに宿る不器用な優しさが、俺の震える体をしっかりと包み込んでいる。


「泣け。余が許す」


 その短い一言で、俺は完全に崩れ落ちた。

 彼の外套に顔を埋め、声を上げて泣きじゃくる。

 俺の体から涙と共に溢れ出す悲しみと痛みを、彼は逃げることなくすべて受け止めてくれた。


『この冷たい胸の中だけが、俺の本当の居場所だ』


 永遠に続くかと思われた氷の王の孤独が、俺の涙で少しずつ溶かされていく。

 夜の帳が下りるまで、俺たちは誰もいない階段の上で、ただ静かに寄り添い続けていた。

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