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追放された欠陥品の俺、実は『精霊の愛し子』でした。孤独な氷の魔王様を万色の魔力で救ったら、激しく溺愛されています  作者: 水凪しおん


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第6話「永遠の冬に咲く、ただ一輪の春」

◆ルシア・フォン・ヴェルナー


『その花は、世界で一番静かな奇跡だった』


 魔力供給の儀式を始めてから、俺とゼファリアス様の間の空気は確実に変わりつつあった。

 言葉を交わす回数が増えたわけではない。

 相変わらず彼は玉座に冷たく座り、俺は黙々と床を磨いている。

 ただ、すれ違う時の距離が、ほんの数センチだけ近くなった。

 彼の視線が俺を捉える時間が、ほんの数秒だけ長くなった。

 その微かな変化が、俺の毎日に小さな色彩を与えていた。

 その日、俺はカイルに連れられて、城の最奥部にある大きな鉄扉の前に立っていた。

 以前、俺が落ち葉掃きの途中で触れ、勝手に開いてしまったあの禁域の扉だ。

 カイルの顔は、かつてないほどに強張っている。


「本当に、あ方がお前をここへ呼んだのか」


 カイルの声は、疑念というよりも恐怖に近い感情に震えていた。

 俺はこくりと頷く。

 朝、すれ違いざまにゼファリアス様から直接、午後にこの場所へ来るよう命じられたのだ。

 カイルは深くため息をつき、扉の鍵穴に複雑な形状の鍵を差し込んだ。

 重い金属音が連続して鳴り、巨大な扉がゆっくりと内側へ開いていく。

 隙間から流れ出してきたのは、息が白く凍るほどの強烈な冷気だった。


「ここは〈霜の庭〉。魔王様が数百年かけて育て上げた、彼自身の内面そのものとも言える場所だ」


 カイルは扉の取っ手から手を離し、後ずさりした。


「私はここまでだ。私は、あの方が誰かをこの庭に入れるのを、一度も見たことがない」


 その言葉の重みに、俺の足がすくむ。

 俺なんかが、そんな大切な場所に足を踏み入れていいのだろうか。

 しかし、ここで引き返す選択肢はなかった。

 俺は一歩、冷気が渦巻く扉の向こう側へと足を踏み出した。




 視界が開けた瞬間、俺は息を飲み込んだ。

 そこは、完全に時が止まったような氷と霜の世界だった。

 地面は真っ白な霜に覆われ、歩くたびにサクサクと崩れる音がする。

 道の両脇には、透明な氷でできた木々が等間隔に並んでいる。

 枝の先には、同じく氷で精巧に作られた花々が咲いていた。

 バラ、ユリ、名も知らぬ魔界の植物たち。

 それらすべてが、一片の曇りもない氷で構成され、青白い光を反射して輝いている。

 美しい。

 しかし、そこには生命の温もりが一切存在しなかった。

 完璧な形を保ちながらも、永遠に香ることも、散ることもない死の彫刻。

 それが、ゼファリアス様が数百年を過ごしてきた孤独の形だった。

 庭の中央、氷の噴水がある広場に、彼の姿があった。

 漆黒の外套が、純白の庭の中でひどく浮き上がって見える。

 彼は俺の足音に気づくと、ゆっくりと振り返った。

 その青い瞳は、周囲の氷の花よりも冷たく、そして澄んでいた。


「来い」


 短い命令に従い、俺は彼の数歩手前まで進み出た。

 空気がひどく冷たく、呼吸をするだけで肺の内側が凍りつきそうだ。


「ここは、誰も入れたことがない」


 ゼファリアス様は、周囲の氷の花々に視線を向けながら静かに言った。


「すべてが凍りついている。変化することもなく、失われることもない。余にとって、ここだけが唯一の安らぎだった」


 彼の言葉には、長い時間を一人で耐え抜いてきた者の諦観が滲んでいた。

 感情を殺し、心を凍らせることでしか、王としての責務を果たすことができなかったのだろう。

 俺は胸の奥が締め付けられるのを感じた。


「ルシア」


 彼が初めて、俺の名前を呼んだ。

 いつもは「お前」とか「人間」としか呼ばなかったのに。

 その響きは、氷の庭に落ちた一滴の温かい水滴のように、波紋を広げた。


「お前がここへ来ると、どうなるのか。見てみたかった」


 彼がそう言った瞬間だった。

 俺の周囲の空気が、ふわりと温かくなった。

 風が吹き抜け、氷の枝がかすかに揺れて澄んだ音を立てる。

 視界の端から、光の粒が次々と湧き上がってきた。

 精霊たちだ。

 いつも俺の周りに現れる彼らが、この氷の庭に満ちていく。

 彼らは氷の花々の上を飛び回り、高い声で歌い始めた。

 その歌声は、冬の終わりを告げる春の風のようだった。

 俺の胸の刻印が熱を持ち、俺の体内から無意識に魔力が漏れ出す。

 精霊たちは俺の魔力を浴びてさらに光を増し、庭中の氷の花へと降り注いでいった。

 その時、奇跡が起きた。

 俺の目の前にある一輪の氷のバラに、精霊の光が宿った。

 透明だった氷の表面に、かすかに赤い色が滲み出す。

 色は次第に濃くなり、氷の硬い質感が柔らかい花びらへと変化していく。

 微かな香りが、冷たい空気に混ざって俺の鼻腔をくすぐった。

 永遠に咲かないはずだった氷の花が、俺の魔力に触れて、本物の命を持ったバラとして咲き誇ったのだ。




 ゼファリアス様は、その一輪の赤いバラを言葉もなく見つめていた。

 彼の瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれていた。

 数百年の間、何の変化も許さなかった彼の絶対的な世界に、俺という異物が入り込み、色をつけてしまった。


「……申し訳ありません」


 俺は慌てて謝罪した。

 彼の完璧な庭を壊してしまったと思ったからだ。


「俺の魔力が、勝手に……」


「謝るな」


 ゼファリアス様の声が、俺の言葉を遮った。

 彼はゆっくりとバラに近づき、黒い革手袋を外した指先で、そっと赤い花びらに触れた。

 氷ではない、本物の花の柔らかい感触。

 彼の横顔には、俺が今まで見たことのない、ひどく無防備で、そして脆い表情が浮かんでいた。


「数百年前に……似たようなものを見た記憶がある」


 彼はぽつりとつぶやいた。


「忘れていた。色が、こんなにも温かいものだったということを」


 彼はバラから指を離し、ゆっくりと俺の方へ振り返った。

 その瞳の奥で、厚い氷の層が音を立ててひび割れていくのがわかった。

 俺たち二人の間には、もはや数歩の距離しかない。

 彼は何も言わなかった。

 俺も何も言わなかった。

 ただ、静寂の中で視線だけが絡み合い、互いの呼吸の音が重なる。

 冷え切った庭の中で、俺と彼の間にだけ、見えない春の陽だまりが存在していた。

 彼の指先がわずかに動き、俺の頬に触れようとして、空中で止まった。

 何かを恐れるような、ためらいの仕草。

 俺は背伸びをして、自分から彼の冷たい指先に頬を寄せた。

 彼が小さく息を飲む音が聞こえた。


「俺は、ここにいます」


 俺の言葉に、彼はゆっくりと、本当にゆっくりと目を閉じた。

 そして、ためらっていた指先が、俺の頬を不器用に、しかしひどく優しく撫でた。

 氷の庭で咲いた一輪のバラは、俺たちの間に芽生えた決して消えない熱の、最初の証だった。

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