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追放された欠陥品の俺、実は『精霊の愛し子』でした。孤独な氷の魔王様を万色の魔力で救ったら、激しく溺愛されています  作者: 水凪しおん


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第4話「閉ざされた扉と、記憶の底に沈む声」

◆ルシア・フォン・ヴェルナー


『誰かに必要とされるなら、場所なんてどこでもよかった』


 氷の城の朝は、ひどく静かに訪れる。

 分厚い石壁は外の風の音を完全に遮断し、部屋の中には俺自身の微かな寝息だけが響いていた。

 掛け布団の縁を握りしめ、ゆっくりと重い瞼を押し上げる。

 視界に飛び込んでくるのは、冷たい青灰色に染まった高い天井だ。

 吐き出した息が白い靄となって、空中でゆっくりと形を崩していく。

 毛布の温もりから抜け出すのは、少しだけ勇気が必要だった。

 素足を冷たい床に下ろした瞬間、鋭い冷気がつま先から脳天へと真っ直ぐに駆け上がる。

 ここは人間が住む場所ではないのだと、毎朝この瞬間に痛感させられる。

 粗末な麻の服に袖を通し、帯を固く結ぶ。

 布地はひどく硬く、肌を擦るたびに小さな痛みが走る。

 それでも、実家で着せられていた派手だが薄っぺらい服よりは、ずっとマシに思えた。

 窓ガラスには、昨夜よりも複雑な模様の霜がびっしりと張り付いていた。

 指先でその表面をなぞると、ガラスの冷たさが爪の先までジンジンと響く。

 部屋を出て、どこまでも続く長い廊下を歩き始める。

 壁の等間隔に配置された青い炎の燭台が、俺の足元に濃い影を落としていた。

 炎は揺れているのに、熱をまったく発していない。

 靴底と黒曜石の床が擦れる音が、誰もいない空間にひどく大きく響き渡る。

 今日から俺は、この城の従者見習いとして働くことになっている。

 厨房にたどり着くと、すでに何人かの魔族が立ち働いていた。

 彼らは俺の姿を視界の端に捉えると、あからさまに顔をしかめて目を逸らす。

 魔族の多くは、人間を弱く浅ましい生き物だと見下している。

 その事実が彼らの態度に如実に表れていた。

 だが、俺は気にならなかった。

 透明な存在として扱われることには、実家でとうの昔に慣れきっている。

 むしろ、ここでは明確な役割を与えられているだけ、ずっと呼吸がしやすかった。

 冷たい水の入った木製の桶を渡され、東棟の床磨きを命じられた。

 桶の取っ手は凍りつくように冷たく、すぐに手のひらの感覚が消えていく。

 ひざまずき、濡らした布で石の床を拭き上げていく。

 水に触れた指先は赤く変色し、やがて紫色に変わっていった。

 それでも、俺は手を止めなかった。

 石の表面のわずかな汚れを見つけ、そこを何度もこすった。

 自分が生きてここにいる理由を、一つでも多く作り出したかった。

 役に立つ道具であれば、すぐに捨てられることはないはずだ。

 その思いだけが、冷え切った体を動かす熱源になっていた。




 昼過ぎになると、今度は裏庭の落ち葉掃きを指示された。

 竹箒を渡され、分厚い扉を開けて外に出る。

 城の外は、相変わらず色が抜け落ちたような灰色の世界だった。

 空は重く低く垂れ込め、太陽の光は厚い雲に遮られている。

 庭には葉の落ちた枯れ木が等間隔に並んでおり、その根元に乾いた葉が吹き溜まっていた。

 箒の先が石畳を擦る乾いた音が、風の音に混じって響く。

 枯れ葉を集める作業は、思いのほか骨が折れた。

 風が吹くたびに集めた葉が散らばり、何度も同じ場所を掃き直さなければならない。

 庭の奥へ進んでいくと、ひときわ大きく、古びた鉄の扉が目に入った。

 周囲の木々とは違い、その扉の周りだけが深い静寂に包まれている。

 ツタが絡まり、長い間誰も開けた形跡がない。

 他の使用人たちが、あの扉には絶対に近づくなと噂していた場所だ。

 俺は吸い寄せられるように、その扉の前に立ち止まった。

 冷たい鉄の表面に、そっと指先を這わせる。

 その瞬間、鍵穴の奥で重い金属音がカチャリと鳴った。

 俺は何もしていないのに、頑丈な閂がひとりでに外れ、扉がわずかに開いたのだ。

 隙間から、ひどく甘く、そして凍りつくような冷たい空気が流れ出してくる。


「何をしている」


 刃物のように鋭い声に、俺は弾かれたように振り返る。

 そこに立っていたのは、魔王の側近であるカイルだった。

 灰色の外套を纏った彼は、少しだけ開いた扉と俺を交互に見て、顔色を変えた。


「その扉を開けたのか」


「いいえ、俺が触れたら勝手に……」


「嘘をつけ。その扉には、魔王様の強力な封印が施されている。古参の魔族でさえ、触れることすらできない代物だ」


 カイルは足早に近づいてくると、扉を強く押し閉めた。

 重い金属音が鳴り響き、再び頑丈な閂が掛かる。

 彼は俺の前に立ちふさがり、威圧するように見下ろしてきた。

 その時、俺の周囲の空気が微かに揺らいだ。

 風が止み、耳鳴りがするほどの静寂が唐突に庭を包み込む。

 視界の端で、小さな光の粒が明滅した。

 手を止めて顔を上げると、空中にいくつもの淡い光が浮かんでいる。

 それはまるで、真冬の空に舞う蛍のようだった。

 光の粒は少しずつ数を増し、俺の周囲をゆっくりと旋回し始める。

 精霊たちだ。

 彼らが動くたびに、微かな鈴の音のような、水滴が弾けるような高い音が響く。

 冷え切っていた俺の頬に、光の粒が一つ、ふわりと触れた。

 その瞬間、凍えるような冷気が嘘のように消え去り、春の陽だまりに似た温もりが肌から染み込んでくる。

 彼らは俺の肩や頭、差し出した手のひらの上に次々と降り立った。


「人間」


 カイルの声は、尋問するように低く重い。

 精霊たちはカイルの気配に警戒し、俺の背中に隠れるようにして光を瞬かせた。


「なぜ、精霊がお前に群がる」


「わかりません。ただ、昔からこうなんです」


 俺は箒を握り直しながら、正直に答えた。

 カイルの瞳が、俺の全身を品定めするように細められた。

 彼の視線は、俺の顔から首筋へ、そして少しはだけた襟元へと移った。

 その瞬間、カイルの足が止まった。

 彼の視線は、俺の胸元にある火傷の痕のような模様に釘付けになっている。

 カイルは無言のまま距離を詰め、俺の胸ぐらを乱暴に掴んだ。


「これは……」


 彼の声が、驚愕に微かに震えている。

 襟元を無理やり広げられ、冷たい外気が直接肌に触れる。

 俺は抵抗することもできず、ただ彼の顔を見つめ返した。


「誰がお前に、この封印の刻印を施した」


「封印……?」


 俺は彼が何を言っているのか理解できなかった。

 これはただの生まれつきの痣だと、ずっと教えられてきたからだ。


「物心ついた時からありました。誰も何も教えてくれませんでした」


 俺の言葉に嘘がないことを見抜いたのか、カイルは舌打ちをして手を離した。

 よろけた俺は、石畳の上にひざまずく。

 カイルは俺を見下ろし、吐き捨てるように言った。


「その刻印は、お前の命そのものを縛り付ける呪いだ。お前は、自分が何者なのかも知らずに生きているのか」


 彼はそれ以上何も言わず、外套を翻して城の中へと戻っていった。

 残された俺は、胸元の刻印にそっと触れる。

 指先から伝わるのは、脈打つような不気味な熱だけだった。




 その夜、俺はひどく深く、暗い夢を見た。

 周囲には何もない、ただ白い光だけが無限に広がる空間。

 足元すら見えず、自分が立っているのか浮いているのかもわからない。

 遠くから、ひどく優しい足音が近づいてくる。

 光の向こうに、輪郭のぼやけた人影が立っていた。

 その人は俺の目の前まで来ると、そっと手を伸ばして俺の頭を撫でた。

 その手はひどく温かく、俺は思わず泣き出しそうになる。


『お前は道具ではない』


 声は鼓膜を震わせず、直接頭の中に響いてきた。


『でも今はまだ、目覚めてはいけない。その時が来るまで、静かに眠りなさい』


 人影がゆっくりと遠ざかっていく。

 待って、と叫ぼうとしたが、喉から声が出ない。

 必死に手を伸ばしても、その指先はただ空を切るばかりだった。

 光が強さを増し、俺の視界を真っ白に染め上げる。

 息苦しさに目を覚ますと、心臓が早鐘のように打っていた。

 額には冷たい汗がにじみ、呼吸がひどく荒くなっている。

 暗い部屋の中、俺はベッドの上に身を起こし、胸の刻印を強く握りしめた。

 俺は何者なのだろう。

 この刻印は、俺から何を奪っているのだろう。

 答えのない問いが、静寂の城の中で俺の心をゆっくりと削っていく。

 窓の外では、変わらず冷たい風が音もなく吹き荒れていた。

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