第73話 本戦の朝
長い一日が過ぎて早朝。
この日は昼近くから『御前試合』の『本戦』が始まる。
………………
昨日は丸一日寝込んでいた。今朝のボウガは微熱程度まで下がったが、左腕の痛みと全体的のダルさはまだまだ酷い。
それでもコロッセオまでは本人が行かなければならないので、何とかベッドで半身を起こして食事をするところだった。
昨日からチェリはずっと傍についていた。
今朝も食事と薬を持ってきて世話をしようとしている。
「ーーー、ーーー?」
「大丈夫。食事くらいなら自分で……」
「ーー、ーー!」
「あ……じゃあ……」
「ーーー♡」
一口分が盛られたスプーンをチェリがニッコニコで差し出す。それを見ながら、遠慮しつつも口を開けて食べさせてもらう。
「ーー?」
「うん。美味し……」
「そうか、美味いか」
「ングッ!? ゲホッ! ゴホゴホッ!!」
不意に横から入ったアロの声に、ボウガは完全に喉に詰まらせた。
「いや悪い。ノックしたけど、全然聞こえてねぇみたいだったから。まだ寝てんのかなぁって思ったら…………まぁ、元気になった、か?」
「ゴホ……はぁ、はぁ……ご、ごめん」
「ーーっ……」
ボウガとチェリは顔を赤くして、お互いにチラチラと見ている。アロはそれを見て見ぬふりして、部屋の入り口の方へと声を掛けた。
「あら、おはよう。少しは顔色良くなったわね♪」
「おはよー! だいじょぶかー?」
「よう。行けそうか?」
ケンティに続いて、アンクスとバグナが部屋に入ってきた。
「チェリ、こいつの世話してるところ申し訳ないんだけど、王族はそろそろ自分の用意して会場に行かなきゃならない」
「ーーー?」
「そうだ。観覧も一般人とは別になるから、簡単にボウガに会うのは難しくなる」
「ー……」
チェリとアロは王族らしい格好で試合を観ていることになる。チェリがボウガの“主人”でも、試合中に傍にいることはできないのだ。
「ーーー……」
「大丈夫だ。今回は試合中はケンティが付いててくれる。バグナとアンクスにも頼んでるから安心しろ」
「予選でもやったんだから任せとけ」
「おう、おれっち応援頑張るし!」
さらに行き帰りには、騎士団のから数人が護衛に来るという。
「今度何かしてくるようなら、そいつはその場でパンッパンに絞めてやるつもりよ…………騎士団の威信に懸けて、ね」
ケンティは背後から何か見えてきそうなほど、顔を険しくして遠くを見ている。
「それに、今日は魔術師師団も護衛に駆り出される。ついでに昨日は図書館の館長から何か言われて、夜遅くなのに全員が集められてたらしい」
「何か弱みでも握られたんじゃないかしら? 今朝も早くから団員たちが大忙しで走り回ってたし」
「“激おこ”だったみたいだもんなー」
護衛の他にも、師団の工房は昨夜からずっと稼働しているのが見えたそうだ。静かに怒り心頭のアテュスの指示で、何をやらされていたのかと考えて震える。
一昨日の事件を受けて、騎士団や魔術師師団も全力で今日の『御前試合』に向けて警戒しているようだ。
「だから、ボウガの周りはみんなが固めてくれるから、俺たちは俺たちの役目を果たさないと」
「ーーー……」
チェリはこっくりと頷くと、ボウガの方を向いて両手を広げた。
「チェリ?」
《……ちょっとだけ……良いでしょうか?》
「え? うわっ……!?」
《…………》
一言呟いて、ボウガの腰にギュッと抱きつく。
チェリの触角のような赤い髪の束が、顔にペシペシと当たってくすぐったい。右手にも長いふわふわの『薄い緑金』の髪がかかる。
《……ごめんなさい》
「……?」
《本当はボウガに“無理をしなくてもいい”って、言いたいです》
「…………」
《こんな怪我もしている人を、自分のために戦わせるのも嫌です》
「………………」
腰から背中に回された手は微かに震えていた。
完全に顔をボウガの胸に押し付けていて、チェリの表情は見ることができない。
《でも……私は、言わないといけない》
「……」
《……負けないでください》
「うん……」
《勝ってください》
「うん」
数秒だけチェリの手に力が入って、それからスルリと身体を離す。
《全部、見ていますから》
「わかった。行ってくる」
《いってらっしゃい》
ボウガが頷くと、チェリはにっこりと笑って部屋を出ていった。
「……絶対に勝たないと」
出ていくチェリの後ろ姿を見送り、息をつきながら呟いたところで、目の前に食べかけだった朝食の器が置かれる。
「……勝つなら、これ食っていこうか?」
「……………………」
アロが無表情で隣りに立っていた。
「それじゃあ、俺も行ってくるから……」
「い、いってらっしゃい…………」
出ていくアロの後ろ姿を見送ると、その先には呆れ顔のバグナ、ニヤけるアンクス、うっとりと微笑むケンティがボウガを見ている。
「お前らって、時々周りが見えてねぇよな」
「いいなぁ……おれっちも彼女欲しい」
「若いって可愛いわぁ〜♡♡♡」
「……………………」
三人に生温かい視線を向けられながら、黙って残りの朝食を自分で口に運んだ。
…………………………
………………
「3ポイントで『ポーション』をお願いします……」
コロッセオに着いて早々、ポイントの引き換え所で『ポーション』を手に入れた。
それを与えられた個別の控え室で一気に流し込む。
控え室にはケンティが付き添ってくれて、心配そうにボウガの顔を見ていた。
「はぁ……」
左腕がカァッと熱くなって、しばらく痺れるような感覚に襲われた。それが落ち着くと、巻いていた包帯がスルリと緩くなってズレてくる。
「わ……表面だけなら一瞬で治った……」
火傷で爛れた皮膚は見た目だけなら、すり傷も傷痕も何も無い状態になった。
「表面だけはね。動かしてみないと……」
「……っ! やっぱり、中はまだ痛みがあります」
「結構、深い傷だったもの。どの程度まで動くか試して、痛みがまだ酷いなら薬草を飲んでおきましょう」
受付けに預けていた荷物からショートソードを取り出して左腕で振り回す。
「強くは握れません。打ち合ったら弾かれるでしょう。利き手じゃなかったのが幸いです……」
幸い……とは言っても、火傷を負った部分の皮膚下はまだズキズキと痛み、動かす角度によっては激痛になる。身体が繋がっている以上、一箇所の痛みは体に伝わり、利き手の動きにも影響を及ぼす。
しかも、昨晩まで高熱で寝込んでいた分の体力消耗や、精神的疲労も動きに精細さを欠くことになるだろう。
――――それでも戦えるくらいには動く。細心の注意を払えば、一回戦二回戦くらいは繰り越しの武器と素手でいけるかも…………
残っているのは、『軽量の防具一式』と『ショートソード1本』、それと『ナイフ2本』である。
「ケンティさん、『本戦』で勝ったら2ポイント貰えますよね」
「ええ。一試合で2ポイントね」
「今は残りが1ポイント……」
こうなれば二回勝って、ポイントを武器ではなく『エリクサー』と取り替えて、完全回復して望んだ方がいいのかもしれない。
――――でもこれは、対戦相手にもよるか…………あの黒フードの人と当たったら、たぶん素手やナイフなんかじゃ勝てない。
正直、一昨日同じ『予選』を勝ち上がった者たちを見て、勝てるかどうかわからないのはあの黒フードの人物だけだった。ついでに言うと、10人中5人は一昨日の事件で失格になっている。
「対戦相手とか、まだ発表になってないんでしょうか?」
「たぶん、開会式の前後に発表されるはずよ」
「……なんか、貴族たちはもう知っている気がしますが」
「あぁ、それは……否定できないわね」
もしかしたら、対戦相手に多少の手を加えている可能性もある。
加えて先日、黒フードの人物が言っていたことも気になっていた。
「『予選』から来た人間は、決勝まで4回勝うと言われました。ですが『本戦』から出る貴族の“代理”は3回だけだと……」
「……トーナメント表が想像できるわ」
戦う回数が違うということは、ボウガの初戦の相手は同じく『予選』から上がってきた人間になる。
つまり、貴族たちの“代理”は『予選』からの人間の戦い方をじっくり観戦した後、ボウガたちの二回戦からの登場になるのだ。
たった一回だけ多いとはいえ、相手に手の内を晒してからの戦い方は簡単にはいかないはず。
現にごちゃごちゃと人の多かった『予選』でも、ボウガが初戦で“相手を即死レベルで仕留める”というやり方を披露したところ、二回戦からはそれを警戒した者が多少なりともいたからだ。
「たぶんだけど、ボウガくんの戦い方は研究されている可能性もあるわ。その辺の使用人や一般人を密偵にするなんて簡単だもの……」
「それでも、オレは勝たなきゃダメなんだ」
話している間にボウガは装備を整えていた。最後に頭を隠すための帽子型の兜を身に付ける。
『予選』からの持ち越しの『ショートソード』と『ナイフ』も全て持っていく。
「一つ前の試合で相手の様子を見ておくのも戦略です。見抜けるかどうかは、見た本人の技量の内ですから……」
「………………」
ケンティは思わず黙り込む。
時々、ボウガが戦闘の話をする時、記憶喪失とは思えないほどの見方をしていることがある。
この青年は本当に記憶が無いのか?
忘れることと、忘れずに残っているものの落差が激しすぎると感じた。だから気になることがある。
「ねぇ、ボウガくん。ちょっと聞きたいことがあるのだけど…………ボウガくんは、戦っている時って“楽しい”って思ってる?」
言われて、ボウガは驚いた顔をした。
「楽しそうに、見えますか……?」
「記憶が無い……でも、戦うことに躊躇もないから。もしかしたらあなたの記憶って、辛いことを忘れて、楽しいことは覚えている……そんな仕組みじゃないかなって」
「……そうかも、しれません」
以前、薬師のコーラルに指摘されたことがある。
“記憶喪失はあなたの望んだ結果”
“辛い記憶は忘れる防衛本能”
忘れたのは【種族】や『人種』などの自分の出自。
覚えていたのは全部、自分が生きていくために都合の良かったこと。
なんて、よく出来た『記憶喪失』だろう。
「でも、これのおかげでチェリたちを助けられるなら構いません」
「……わかった。頑張りなさい」
「はい」
今は記憶喪失などどうでもいい。
先のことを考えるのに必死なのだ。
………………
コンコンコン!
身支度が終わって少しすると、控え室のドアがノックされた。ドワーフの男性が部屋を覗く。
「158番さん、そろそろ会場までお越しください」
「わかりました」
どうやら出番が近いようだ。
部屋を出ると廊下にはバグナとアンクスが待っていた。
「今から開会式だってさ!」
「トーナメント表も、そっちに貼ってたぜ」
廊下の先、外に出る少し手前に看板のようにそれは立っていた。
「……呆れた。本当にあからさまじゃない」
「分かりやすくていいですよ……」
想像通り、ボウガたち予選組は一試合多く設定されていた。たった四人、二組の試合がまるで前座のように組まれている。10人中6人は一昨日の事件でリタイアした。
「良かった。初戦のオレの相手はあの人じゃない……」
あの黒フードの人物は『111番』だった。彼はトーナメント表ではボウガとは違う組で、当たるとしたら決勝戦である。
――――どこで誰と当たるにせよ、全員倒さないと……
ボウガは大きく息を吸って、廊下から外へ……コロッセオの会場へと出た。
とてもよく晴れた青空の下、満員の観客席が見えた。まだ始まっていないのに、人々の声が波のように聞こえる。
試合の受付けの時に一度だけ見た会場は、その時よりも何倍も大きく見えた。




