第72話 意外なところから
「…………」
チェリはボウガの右手を握りながら、時間が過ぎるのを待っているしかない。
高熱のために額の氷嚢はすぐに温い水になってしまう。アロがまめに新しい氷と取り替えてくれるが、その時間さえも長く感じて、時計を見る度にため息をつく。
コンコン……部屋の扉が小さくノックされる。
《…………どうぞ》
それにチェリも小さく返事をした。
そろそろアロが氷を持ってきてくれる時間だ。
空になった洗面器を持って立ち上がると、部屋の扉が静かに開いた。
「チェリ、大丈夫か?」
「…………!?」
アロが部屋に入ってきたのだが、その後ろにぞろぞろと人がついてきていた。
「ーー……!」
「おー。チェリ王女、これまた一段とお美しくなられて……」
図書館の前館長マシューが、場を弁えて控えめに挨拶をする。
「大変だと聞いて見舞いに来た」
「〜〜〜……」
「よしよし……それはツラかったなぁ」
チェリが涙目で状況を言うと、マシューは優しくチェリの頭を撫でた。
そこにアテュスが顔を覗かせる。
「チェリ様、お久しぶりです。よろしければ、こちらの薬草をどうぞ。そちらの方が持ってきた薬と併用して使えるものです」
「ーー、ーーー……」
「いえ、お構いなく。私はこれから魔術師師団の方へお邪魔してきます」
薬草の入った袋をチェリに手渡すと、アテュスはすぐに部屋の扉へと歩く。
「なんだ、お前はいつも忙しないな。これから仕事か?」
「えぇ。魔術師の皆さんには少々、図書館への問い合わせについて注意事項がありましたので…………そのついでに、必要なものを揃えておきます。では……」
一礼して退室するアテュス。
「なぁ、おれっちの気のせいかなーと思ったんだけど…………館長さん、もしかして怒ってねぇ?」
リザードマンは人の熱に敏感で、アテュスが内心苛立っているのを温度で感じたのだ。
アンクスが首を傾げながらマシューを見ると、彼は苦笑いを浮かべてアンクスの頭を撫でた。
「アンクスくんはわかってるねぇ。あいつは今、激おこだ」
「館長……どうしたの?」
「そこの【クリア】くんの邪魔をされたからさ」
マシューが眠っているボウガを見ながら言った。
「前回の試合で『外部王族』の王女が、優勝した『魔人』に嫁がされたのは知ってるな?」
「……あぁ。俺とチェリも世話になった王女だった」
「彼女は王女の任期が明けたら、うちの図書館で働きたいって言ってたんだよ」
「えっ……」
厳密に決まってはいないが【精霊族】の王子王女には期限がある。
下は5〜6才くらいから、上は25才くらいまで王族として公務をこなして過ごし、その後はそれぞれの決めた道へと歩んでいく。
特に平民出身の『外部王族』は優秀な人材が多いため、王宮や国に関わる機関で働こうとするととても歓迎された。
「本が好きで物事を覚えるのが早い子だった。あの王女はオレと同郷でな。アテュスとは同い年の友人だったんだ」
「「「………………」」」
王女は公務の間に度々図書館を訪れては、マシューや他の職員たちと仲良くしていた。
アテュスが次の館長になる頃には、正式に図書館職員として活躍してくれるだろうと期待されていた。
「そこに【盟友の祭典】が行われ、お披露目などで彼女が『魔人』の貴族たちに目を付けられた。でもそれは予測できたから、彼女も“代理”を立てて必死に抗おうとしていたな……でも、その“代理”が試合以外でやられたんだよ」
王女の“代理”は『本戦』から出場だったが、その前日に一人でいたところを何者かに襲われた。
すでに『御前試合』は始まっており、“代理”は替えることができない。王女はそのまま棄権となってしまい、その時の優勝者はその王女を望んでしまったのだ。
「可哀想に……なんでも、王宮で将来を誓った相手もいたって噂もあったんだ。あの王女も【盟友の祭典】での悪習の犠牲者だ」
「「…………」」
話を聞いている時に、寝ていたボウガが目を開けたのでチェリは慌てて傍に行く。
チェリはアテュスに貰った薬草と薬をボウガに飲ませる。熱がまだ高いことを確認し、再び氷嚢を頭に乗せてそっと寝かせた。
「……ずいぶん手酷くやられたな。他の人間も巻き込まれたと聞いたから、前回以上に悪質だな」
前回、五年前の【祭典】では、アロもチェリも幼かったためにそこまで細かい事情は知らなかった。しかし、優しくしてくれた王女が【祭典】の終わりと同時に居なくなったことは恐怖以外のなにものでもなかった。
「オレも当時は何もできなかったことに後悔したよ。アテュスも顔には出さないが、あのことは相当ショックだったと思う」
だから今回はできることをする。そう思って、せめて『御前試合』の傾向と対策だけでもと、ボウガが図書館に来た時にさりげなく提示したという。
「館長のアテュスは表立ってひとりの王族の贔屓はできないから、色々と口実を付けてオレと来たんだ。魔術師師団へ行ったのも、今回が魔法絡みだったから探りを入れに行ったんだろう」
「それは俺もやろうと思ってた」
アロが俯きながら呟く。
「それは『御前試合』が終わってからにした方がいい。できる限り、一人にはならずに誰かと一緒にいること……」
マシューが真顔でアロとチェリを見て言う。
「もしも、おかしなことに気付いたら、信用できる人間と情報を共有しなさい。図書館でできることなら、オレが往復してでも手伝うから」
「マシュー様、ありがとうございます……」
「ーーー……」
「いやいや。あぁ、そろそろオレも別のところに挨拶に行くよ。昔馴染みも来てるし……」
ひとしきり話し終えたようで、マシューは部屋を出ようとする。
「あ。そういえば……その子、ボウガくんだよな」
「ん? そうだよ」
マシューはボウガの名前を口にする。
きっと、チェリの婚約者だと誰かから聞いたのだろうとアロたちは思ったのだが……
「はっはっはっ、まさかあのボウガくんがチェリ様と婚約するとはなぁ。しかも政略結婚じやなくて『アミュレット』になってるなんて、なかなかやるじゃないか」
「「《……???」」》
「成長して見違えたが、王女様を射止めるなんてずいぶんと立派になって…………」
「「《……!?!?!?」」》
がしぃいいいっ!!
アロとチェリがマシューの身体を掴んだ。
「うおっ!? ど、どうした!?」
「ど、どうしたじゃなくッ!!」
《マシュー様っ……なんでボウガのことっ……》
兄妹の必死さにマシューは驚きながら答える。
「へ? だってボウガくん、昔うちの図書館に来てたことあるんだ。オレが館長やってた時に……」
「《えええええっーーー!?」》
………………
「…………あ……」
熱に魘されながら、ボウガはうっすらと目を開ける。
――――……チェリとアロの悲鳴が聞こえた気がする……?
少し顔を傾けると、ベッドの近くのイスにはアンクスが座ってボウガを見ていた。
「……今……」
「うん、水だな!」
アンクスはボウガに吸い口で水を飲ませると、胸の辺りをポンポンと叩く。
「チェリが寝ろって言ってたから寝てろ!」
「…………うん……」
チェリが言うなら仕方ない。
ボウガは再び、うとうとと眠りに落ちた。
………………
思わず怪我人が寝ている前で叫んでしまったので、アロとチェリはマシューを連れて部屋を出ていた。
「おっちゃん! どういうこと? ボウガのこと知ってるのかよ!?」
「ーーーっ!?」
「え、え? なんで、そんな必死に……?」
「実は…………」
アロとチェリはボウガに会ってからのことを簡単に説明した。もちろん、記憶がないということも。
「ひぇ〜、そんなことになってたのか…………偶然もあるもんだなぁ」
「ボウガの事、知ってるの!?」
「あー、実を言うと、あの子のもとの『人種』とかは知らないんだ。一緒にいた家族も身体のその部分を隠していたしなぁ……ボウガくんが【クリア】だったから憶えていただけで……」
前館長のマシューはとにかく人間をよく憶えている。
ボウガらしき子供に会ったのは、今から六年と少し前。図書館に宿を取ってひと月くらい滞在していたという。
「いつも閲覧室に弟……かな? とにかく歳の変わらない、顔のそっくりな子と一緒に来ていたな。あぁ、その時には顔にキズとかは無かったよ」
ボウガ自身はあまり本は読まず、横で本を熟読している兄弟らしき子の様子を見ていたようだ。
「閲覧室で何かと、他の子供の手助けとかしてくれる面倒見の良い子だった。職員の手伝いもしてくれて、よく可愛がられてたかな」
「それで? 他にはっ!?」
「一番凄いのがあるな……」
「凄いのって?」
「……一度、図書館の『禁書保管室』を開けたバカ貴族の子供がいたんだ……」
語られたエピソードは以下の通りだ。
………………
図書館には危険な魔法書が置かれた『禁書保管室』という部屋がある。一般人は立ち入り禁止になっているが、極たまにイキがってそこに立ち入る馬鹿者がいる。
その日は、依頼があってマシューと利用者が一緒に『禁書保管室』へと入っていった。
それをある『魔人』貴族の子供が見ていて、こっそり後について入ってきたのだ。
子供は目に入った本を手当り次第開いてしまい、その結果、本から出た『魔物』が部屋の外へと飛び出してしまった。
魔物は一体だけ。
しかし、素早い狼のような魔物はすぐに廊下を抜け、ある閲覧室へと走っていった。
「ま、まずいっ!! あそこは、児童書のっ……!!」
マシューと数人の職員が駆けつけた時、信じられない光景が目に入ってきた。
『ガァアアアアッ!!』
バキャアアアンッ!!
魔物はイスで思いっきりぶん殴られていた。
さらに、殴られた衝撃でバラバラになったイスの脚を瞬時に掴み、それが魔物の口の中へと突き立てられる。
『っ…………!!』
ズゥウウン……
狼の魔物は断末魔をあげることなく床へと沈んだ。
「魔物が…………」
到着して数分もしない。
マシューは魔物を倒したであろう人物を見て、しばらく呆然と立ち尽くした。
………………
「と、それがボウガくんだったんだ。当時、たぶん12、3才くらいかなぁ? エルフ目線だけど……」
大人の戦士でも、急に現れた魔物に対しこんなに素早く対処できたかわからない。それを子供が、しかもそこにあるイスを武器にして倒したのだ。
「その当時から規格外の強さだったのかよ……あいつ……」
「いやー……ほんと、正直【クリア】の子供が倒したなんて、目の前で見せられても信じられなかったよ。でも、それが事実だと飲み込んで、あとは事務的に現状の処理をした」
すぐにその場にいた全員に怪我が無いか確認した。
ボウガもその兄弟らしき子も、どこにも怪我はしていなかったが、魔物を倒したボウガだけは酷く取り乱していた。
「その時、ボウガくんが泣きそうな顔で言ったんだ。『オレが倒したって言わないで!』……『強くなったらダメなんだ!』……って」
「「…………?」」
ボウガの言っていることはよくわからないが、マシューはそのまま子供たちを保護者のもとへ連れて行った。
ボウガには悪いが、この子が魔物を倒したことは保護者に報告しなければならないだろう。
子供が倒したなどと言っても、きっと驚いて信じないかもしれない。気絶されたりしたらどうしようかと悩んだ。
だがここで、マシューはさらに戸惑うことになる。
「その保護者がオレに言ったことが、未だに忘れられない……」
『その魔物はこの子が倒したのだろう? 武器は何を使った? 何分で仕留めた?』
食い気味で尋ねる保護者に、マシューは「他の職員が現場を抑えたので……」と誤魔化して帰ってきた。
「あの子、きっととんでもない環境で育ってるぞ」
「「………………」」
二人がそっと部屋を覗くと、薬が効いたのかさっきよりも穏やかに寝ているボウガの顔が見えた。
「俺たち、物凄く申し訳ないことをあいつに強要してる気がする…………」
《はい。でも……》
マシューの話から、ボウガには兄弟や保護者らしき者たちがいることがわかった。
《ちゃんと、家族がいて良かったです》
「ちゃんとしてるかはわからないけど……まぁ、ひとりきりじゃなかったな」
孤独じゃなかったと思うだけで、ほんの少しだけ救われた気になってしまう。
「この事を話すの全部終わってからだ。終わったら、あいつに決めてもらおう」
しかし、これは思い出してもいい記憶なのか?
《思い出さなくても私は構いません。これまで通りです……》
「ああ。もちろん」
兄妹は改めて、ボウガが何者であっても受け止めようと決心した。




