第55話 休暇の終わり
図書館の閲覧室の一つ。
入り口にほど近いテーブル席で、ソワソワとした様子で一人の若い女性が座っていた。
最近、チェリと仲良くなったソニアである。
今日も頭にはベールを被り、髪の毛や耳をしっかり隠していた。
「ふふ、そろそろ来るかなぁ……」
ソニアはニコニコと機嫌良く呟く。
テーブルに三冊ほどの本があり、これはチェリにオススメするために選んだものだ。
チェリはいつも昼過ぎに閲覧室に来て、昨日薦めた本の感想を丁寧に教えてくれた。だからこそ、彼女には面白い本を読んでもらって話したいと思う。
待つこと十数分。
開かれている扉の向こうの廊下から、チェリが手を振って歩いて来るのが見えた。彼女の後ろにはいつも一緒に来る兄のアロもいる。
「あ、チェリおう……」
挨拶をしようと立ち上がった時、チェリとアロのさらに後ろにもう一人来ていたのが目に入った。
「っ……!?」
ソニアはその人物を見たまま、その場に凍り付いたように固まった。
…………………………
………………
――――オレ、何かまずいことをしただろうか?
閲覧室へ来るとチェリの『シュミ友』だという女性がいたのだが、彼女はボウガを見るなりその場で動きを止めた。
「あああ、あの、あの、えっとぉ……」
「………………」
何故か、姿が朧気になりそうなくらいにブルブルと震えているように見える。
――――どうしよう。めちゃくちゃ怖がってるな。
「なんか、あの人……人見知りっぽいんだよ」
アロが遠い目をして呟いた。話には聞いていたが、チェリに声を掛けた割には、アロに問い詰められてかなり焦っていたのが初対面だったそうだ。たぶん、男性が苦手なんじゃないだろうか。
「ーーー?」
「ごごご、ごめん、なさいっ……こ、この方は……なぜ、こちらにっ!?」
いよいよ自分が来てはいけなかったかと思ったが、チェリがポンポンと彼女の背中を優しく叩いてボウガのことを説明する。
「ーー、ーーー」
「え……そ、そうですか……この方が『婚約者』さま……」
納得してくれたのか急に落ち着き、ソニアはボウガに向かって頭を下げた。
「あ、あの……ソニア……です」
「は、はい。はじめまして……ボウガです」
「っ…………」
挨拶を交わすが、ソニアは頭を下げたまま再び固まってしまった。
「「「……?」」」
「はっ……はじめまして……!!」
三人がきょとんとして黙ったのに気付いたのか、彼女は慌てて頭を上げた。
――――ずいぶん、人見知りが強そうだ。オレはちょっと離れておいた方がいいかな?
「じゃあ、オレはそっちにいるから」
「んじゃ俺も……」
「ーーー」
「あ……」
チェリとソニアを二人にしておこうと思い、アロと一緒に閲覧室のすぐ近くの廊下へと出た。ここなら閲覧室の二人も見えるし、邪魔もしなくていい。
振り返ると、ソニアがちょっと悲しげに俯いていた。もしかしたら、人見知りをしたことを申し訳なく思ったのかもしれない。
………………
「……さて、そろそろ王宮に戻った時のことを考えるか」
「うん……」
廊下にある長イスに腰掛け、持ってきていた『あるもの』を広げる。
「俺たちが王都に来て一ヶ月以上だ。来月には【祭典】が始まる。それまでに『晩餐会』やら『王族の顔合わせ』やらがあるんだけど……」
「若い王族の『お披露目』とかもあったね」
「あるけど、それは『御前試合』の少し前だな」
「『御前試合』は【祭典】の後半……」
ボウガとアロが広げて見ていたのは、先日公式に発表された【盟友の祭典】の日程表だった。
先ほど、コーラルと別れた後にアテュスが持ってきてくれていた。
「『御前試合』の受付けはもう始まってる。チェリは“主人”として、お前はチェリの“代理”として出る」
元々【祭典】における『御前試合』とは、精霊の女王陛下の前で戦うこと。勝利を納めたものが女王陛下より『褒美』を与えられた。
優勝は“主人”とその“代理”とされ、『褒美』は二人とも望んで良いことになっている。
『褒美』は“主人”の望みを優先にするが、“代理”も同じくらいの望みをすることが許されていて、代わりに戦った“代理”が王女を望むこともあるという。
「ここまでが『一般出場者』の場合。俺たちは『主催者』だからちょっと違う」
“主人”のチェリが主催者側の立場のため、貰える『褒美』は“代理”のみ。
「お前が勝ったら、別に“チェリを嫁に”とか言わなくていい。すでに婚約者だしな。だから、欲しいものあれば遠慮なく陛下に願っていい」
記憶の治療は【祭典】が終わったあとに手配してもらえる。もしも望むとすれば金品か、騎士団での上級の位か。
あと、陛下に願えるものは……チェリとの『婚約解消』で『偽装婚約』の終了。
――――チェリを自由にしてあげられれば、オレの役目は終わりだ。
ふと、頭に浮かんだ『褒美』に内心首を振った。
「…………今は思いつかない」
「ま、それは勝った時に考えろ。でも、勝ってもらわないとダメなんだけど」
チェリを救うには“優勝一択”になる。そのためにボウガが『魔除け』に選ばれたのだ。
「お前だったら充分優勝は狙えるんじゃないかって。優勝経験者からお墨付きをもらってる」
「えっ? 誰が?」
「ほら、スパイク団長。あの人、二十年前の試合で優勝してたんだって」
「へぇ……」
ちなみに、スパイクは当時親交のあった『内部王族』の王子の“代理”になり、当時内密で付き合っていた、とある王女付きのメイドを自分の妻にと望んだそうだ。
「今でも奥さんと仲良いってさ。惚気けられたよ」
「団長、わかる気がする……」
ほわほわと和んでしまったが、二人は気を取り直して話し合う。
「とにかく、攻略のコツは団長に聞いてみよーぜ。お前、試合のルールは予め覚えてるよな?」
「うん、だいたい覚えた。最終確認は騎士団に戻ってからにしたい」
戻れば嫌でも、ケンティやスパイクがボウガを鍛えようと待ち構えているはずだ。
「あーぁ、帰ったら忙しくなるなぁ。サーセンデス、及び【魔神族】の貴族対策もしなきゃな?」
「正直、そっちは忘れてた……」
ある意味、この図書館には息抜きできていたようなものだ。
王宮に帰ればアロやチェリは公務があるし、ボウガも騎士団で活動をする。それに、現在は王宮に【魔神族】の貴族たちが多く滞在しているので、そちらにも警戒していきたい。
「週末には帰るか……」
「そうだね。あとでチェリにも聞こう」
チラッと閲覧室の方を見ると、チェリはソニアと楽しげに本を開いている。
――――【祭典】が終わったら、またここにチェリと来られるだろうか。せめて、記憶が戻るまでは……
正直言うと【祭典】が始まるのが怖い。
別に『御前試合』で戦うのが嫌だというのではなく、始まりがあれば終わりがくることを思うと気が滅入っていく。
――――オレは今が一番楽しい。本当は記憶とか、もうどうでもいいかもしれない……。
“あなたは記憶を失くしても困っていない”
コーラルにそう指摘されてから、ボウガは自分の記憶を取り戻したいと思うことが希薄になった。元々、そんなに強く考えてもいなかったので、今更感もあったのだと思う。
チェリとアロの近くにいるのが心地良いと思うし、バグナやアンクス、ケンティなどの楽しい知り合いもできた。
ボウガが望めばきっと、王宮で居場所を確保することも可能なのだろう。
――――もしも『あの人』を思い出したとしても、何も感じないかもしれないな。
『想起薬』の効き目がどのくらいまで有効かはわからないが、死ぬまで思い出さなかったとしても構わないと思ってしまった。
…………………………
………………
「え? ソニアも帰るの?」
「あ、いえ。帰るのではなく、家族と一緒に王都へ。私は【祭典】を観に行くのが目的だったので……」
しばらくして、部屋に戻ろうとチェリに声をかけた時、ソニアが今日でお別れだとわかった。
「私が本を読みたいと言ったら、母がこちらを優先して来てくれたんです」
「ーー、ーーーー♪」
「はい。いつもは厳しい母親ですが、遊びに来たのだから多少の羽目は外しても構わない……って」
羽目を外した結果が図書館なので、ソニアは普段から真面目で勉強家なのだろう。
「もし王宮でお会いできたら、またお話させていただいても良いですか?」
「ーー♪」
「ありがとうございます」
女子二人はお互いに握手して笑い合う。
「王宮ってことは……ちゃんと聞かなかったけど、ソニアも貴族なんだ?」
「爵位はありませんが、小さな村の代表で来ているんです。とっても田舎なので、ここに来るまでにかなり掛かりましたが……」
王宮にいるなら『小さな村』ではなく、『少数の人種』代表で来ているのだ。相変わらずソニアは自分の『人種』を言わない。だが、代表で来ているなら下手な行動を謹んでいるための結果だろう。
「そろそろ迎えが来るので、出発前にお話しできて嬉しかったです」
「そっか。また会えたらいいな」
「ーーー」
「えぇ。お二人も……あの……」
兄妹と挨拶を交わすソニアだったが、チラッとボウガの方に視線を向けてくる。
「えっと……チェリ王女さまの……婚約者さん?」
「……はい」
「………………」
やはり、今日会ったばかりの人間は慣れないのだなと思って見ていると、ソニアがボウガに向けてギュッと拳を握って顔を上げた。
「御前試合っ……が、頑張ってください!!」
「は、はい」
檄を飛ばされ、そしてポツリと小さく聞こえた。
「チェリ王女のこと、手放しちゃダメだよ」
「え……?」
ソニアはもうボウガの方は見ていない。
「では、皆さん。ぼ…………私は失礼しますね!」
ぺこりとキレイなお辞儀をして、ソニアはすぐに閲覧室を出ていった。
閲覧室からエントランスを見てみると、大勢が行き交う入り口付近に誰かが立ってソニアを迎えている。きっと、あれが家族だろう。
三人で見送っていると、アロとチェリがじっとボウガの方を見ていた。
「なぁ、ボウガ?」
「うん?」
「今日、ソニアに会ってみて何か思ったか?」
「え? え〜と、チェリと仲良くて良かったなぁって……」
「それだけ?」
「……まぁ、それだけかな」
「ふ〜ん……?」
「???」
ボウガの返答に、兄妹は顔を見合せ肩をすくめたように見えた。
「なに? オレ、何かした?」
「いいや、ちょっと気になってたんだ。な、チェリ」
「ーー」
初めてソニアを見た時、兄妹は彼女を一瞬だけボウガと見間違えていた。最初は身長だけかと思ったが、数日一緒にいるうちに雰囲気も似てると思えたのだ。
もしかしたら、家族までいかなくとも知り合いなどという偶然もあるかもしれない、と。
「ボウガも憶えてねぇし、ソニアも何も言ってなかったから気のせいかな」
「ーーー」
偶然というのは馬鹿にできない。
それをこの兄妹はよくわかっている。
――――似てた? 何も思わなかったけど……
ボウガが入り口を見ると、もうソニアはそこにはいなかった。
「ーーー?」
「あぁ、地下街で何か食べていこうか。ボウガも行くぞ」
「うん……」
エントランスを抜ける間、ソニアがいた場所を何度か振り返るが、やはりボウガには何も浮かんでくることはなかった。
…………………………
………………
週末。
王宮に帰る日の朝、三人は館長室に来ている。
最初、アテュスが館長室にいなかったので、案内してくれた猫耳の職員に呼んできてもらった。
「おはようございます。お待たせ致しました」
やはり数分もしないうちにアテュスが部屋へ来た。
「あ、おはよう館長。俺たち今日帰るから。世話になった」
「ーーーーー」
「お世話になりました」
「えぇ。またいらしてください」
三人で頭を下げると、アテュスは口元に笑みを浮かべながら応える。
「そういえば、前館長…………私の父がアロ様とチェリ様にお会いしたかったと残念がっていました。今頃、故郷での仕事が終わって向かっているので、御前試合前にはご挨拶に伺うと思います」
「そうなんだ。おっちゃ…………前館長は元気?」
「ふ……コホン。“おっちゃんは元気で二人に会いに行く!”と伝えて欲しいと言われてました」
「ははは……相変わらずだなぁ」
「ーーー♪」
前館長は現館長のアテュスより砕けた人物のようだ。
「館長は? 王都の【祭典】には来ないの?」
「どうでしょう。仕事もありますので、行けたら行く……と言っておきます」
「来られなそうだな……」
さすがに忙しそうな人だから無理だろう。
雑談を含めて挨拶を終え、いよいよ王都への帰路につく。
………………
エントランスホールから横の通路を通り、小さな小部屋へと案内される。
そこは部屋の床いっぱいに、不思議な淡く光る模様が描かれていた。
「こちらから『移動陣』を使って王都の指定の場所まで運ばれます。おかえりはお気をつけて。またのご利用をお待ちしております……」
エルフの受付け嬢が頭を下げて見送りをする中、三人が陣の中央に立った途端に視界が真っ白になった。
…………………………
「おかえりなさいませ♡ 図書館はいかがだったかしら?」
視界が戻った直後、三人の目の前にいたのはケンティだった。飛ばされたのは騎士団の事務所のようだ。
正直、初見でピンクドレスのケンティはキツい。
「さて。荷物を部屋に運んだら、ボウガくんはすぐに訓練場に来なさい。早速『御前試合』の確認をするわよ」
「はい」
楽しかった休みはここまでのようだ。




