第54話 思い出したいこと
開かれた扉の奥、部屋のテーブルの上の小さなコップはキレイに空になっていた。
「………………」
コーラルが作った『想起薬』を飲んで部屋を出てきたボウガは、何とも言えない微妙な表情をしている。
「どうだった!?」
「ーーー?」
「薬はちゃんと効いてるの!?」
「まあまあ。皆様、落ち着いてください」
早く結果を知りたい三人をアテュスが宥めている。
そんな全員を見ながら、ボウガが静かに口を開いた。
「あの…………コーラルさん……」
「え!? な、何っ!?」
最初に呼ばれたコーラルが瞳をキラキラさせて顔を上げた。頭の小さな羽をパタパタと動かし、魔法薬の効き目を早く知りたい! と好奇心がありありと表に出ている。
「この薬…………二度目は“無し”で……」
「ん? どうしたの? 何かあった!?」
「いえ……その……正直に言うと……」
「うん?」
「…………不味……うぐぇ……」
口を押さえて横を向き、今にも吐き出しそうになるのを必死で堪えている。
「あー、実はそれも欠点でねー。良薬口に苦しってやつか、地獄の不味さなんだわー。アハハハ」
棒読みの台詞を吐きつつ、コーラルは乾いた笑顔を浮かべている。そこをアロがジト目で突っ込む。
「おい、色変わったら美味くなるって言ってなかったか?」
「違うわ。美味しそうな色になるって言っただけよ」
「く……“黒緑色”が……“青緑の真珠色”に…………」
「「「……………………」」」
言われた色を想像して、ゾワァと背中に悪寒が走っていく。頑張って飲んだボウガに同情を禁じえない。
「思い出さなくてもいいので……二度と飲みたくない……です」
いつもは平然として、文句を言わないボウガがちょっと涙目になっていた。
「そうよ、飲んだなら何か思い出したのよね!?」
「………………」
話を戻してコーラルがボウガに問い詰めるも、ボウガは部屋から出てきた時のように黙ってしまった。
「大丈夫か? 具合い悪いなら少し休むか?」
「ーーー……?」
「………………」
兄妹が心配そうに覗き込むと、ますます暗い顔をして俯いてしまった。
「コーラル、もしかして薬の副作用ではありませんか? 薬が合わなかったのでは?」
「いいえ。副作用なら、もうとっくに現れてるわよ。薬が合わない時は、そもそも身体が受け付けないからすぐに吐き出してるはずよ」
それって不味いからじゃないのか?
全員がそう思ったが、ボウガの表情を見るとそれだけではないようだ。
「ボウガさん。薬の効き目を調べるのが私の役目なの。内容までは言わなくていいから、ちゃんと思い出せたか教えてください」
コーラルが静かにボウガに尋ねる。
先ほどまでの好奇心混じりの表情ではなく、一人の『薬師』としての役割りを果たそうとした顔だ。
「…………その……」
「うん」
「何も……」
「え?」
「何も、思い出せないんだ……」
ボウガが黙り込んでいたのは、『何も思い出せない』ことへの申し訳なさのためだった。
…………………………
………………
「これ……失敗じゃねぇーの?」
「ちゃんと薬はできてますぅ。失敗じゃありませーん!」
空になったコップを挟んで、アロとコーラルがギリギリと睨み合っていた。
今一度『工作室』に戻りボウガの様子を見ていたが、やはり何も変化が起こる気配はなかった。
「う〜、考えられるとしたら何かしら…………わかんないなぁ。はぁ……」
コーラルはため息をついて、ポケットから何かを取り出した。
彼女が手のひらに乗せたのは、ゴルフボールくらいのガラス玉である。
「……本当は頼りたくなかったんだけど」
ガラス玉を両手に包み込む。
「……ーーー……!」
何かを呟いたと同時に合わせたコーラルの手のひらが光った。
ゴトンッ!
硬い音がして、テーブルには一冊の『本』が現れた。
『本』は顔よりも大きいもので、革製の表紙は金細工が施され重厚感があり、厚さも20cmくらいはありそうである。
コーラルが持っていたとは思えず、どう見ても急に現れたとしか思えない。
「どこから……?」
「別にいいじゃない。ちょっと調べもの……」
コーラルははぐらかそうとしたが、アロがその本をじっと見詰める。
「お前、それ……【魂の利き手】じゃないか?」
【魂の利き手】は一部の人間が生まれつき持つ【神器】だ。
アロも『杖』の形をしたものを持っている。これを持つ人間は珍しく、どこでも重宝されているという。
コーラルのは『本』なのかとボウガが何気なく見ていると、当の本人の表情がどんどん曇っていくことに気付いた。
「私のじゃない。別の人からの借り物よ」
「まさか!? 主人から離れない【神器】を貸し借りなんて……!」
「それは……これが特別なだけ。それよりも、調べなきゃいけないことがあるから、少し黙っててちょうだい!」
「っ……」
同じ【神器】持ちにしかわからない疑問を言うアロを、コーラルは強引に突っぱねる。
本当なら王族に対して無礼に見える行為だが、何処か深入りしてほしくないような態度がアロを黙らせた。
「…………」
そして何より、二人のやり取りにアテュスが何も言ってこない。おそらく、彼はコーラルの事情を知っている。
「……『想起薬』使用後の例があれば出して」
表紙をコーラルが撫でると、分厚い『本』は真ん中から大きく開いた。
見開いた本のページは真っ白だったが、その真上に光る薄いものが飛び出てきた。
平面に四角いものの表面いっぱいに、文字が次から次へと勝手に流れるように現れていく。
――――これ、どこかで…………あ、館長が見てた来館者の……!
それは三日前にアテュスが使った魔法と同じだった。確かあれは、記録などが見られる魔法だと憶えている。
ズラズラと流れる文字はコーラルにしか読めていない。彼女はそれをしばらく目で追いかけて、小さく頷くとバタン! と大きな本を閉じた。同時に文字の羅列も消えた。
「ふぅ……たぶん、薬はちゃんと効いてるわ。ただ…………『対象』が無かっただけ」
「え?」
「ボウガさん、あなた何を思い出そうとしたの?」
「………………」
「やっぱり、恋人?」
「……違います」
「ちぇ……」
何故かコーラルが悔しそうに唇を尖らせる。
ボウガが何を薬に言ったのかわからない。
「なんだよ。何か言い難いもんか?」
「うん……たぶん“オレにしかわからない”こと。思い出した時を考えたらちょっと怖かったから……」
「「…………」」
アロとチェリが顔を見合せ、それ以上は聞こうとしてこなかった。ボウガ本人に任せようと思っている。
「しょうがない。じゃあ、思い出そうとした『対象』だけ教えて。それって『人』?『場所』?『物』? それとも『言葉』とか?」
「…………『人』」
誰かを思い出そうとして薬を飲んだが、ボウガの身体や頭には何も変化はなかった。
「なるほど、それならちゃんと『症例』があったから大丈夫よ。思い出さないのはその『対象』を“今の記憶”が示せなかったからね」
コーラルが説明を始める。
ボウガが思い出したいのは『人』だったが、ある部分の記憶がすっぽり抜け落ちているために“該当する人物”がボウガの中で出てこなかったせいだ。
「たぶん、記憶を失くしてから“会ったことない人”なのね。『場所』や『物』なら似たようなものを見てたら出てくるし、『言葉』とかだったらとっくに浮かんできてるはずよ」
あくまでも『想起薬』というのは記憶を引き出す手伝いをするようだ。
「でも逆に言っちゃえば、その該当する『人物』にひと目でも会った時に嫌でも思い出すってこと」
「そうですか……なら、気を付けないと……」
ボウガが口を結んで俯いたので、チェリが顔を覗き込んできた。
「ーー……?」
「え? うん、ちょっとガッカリしただけ……」
――――ガッカリした…………いや、ホッとしたんだ。今、思い出しても良いことはなかったし。
そう言い聞かせ、薬の効果はその場に任せることにする。
だが、その時が来たら自分がどう行動するのかが、ボウガ本人にも想像がつかなかった。
…………………………
………………
薬を飲んでから二日後の昼前。
この日はコーラルが自分の家に帰ると言うので、図書館の『屋上』に兄妹とボウガ、そしてアテュスが来ていた。
最初は“なんで屋上に?”と疑問に思ったが、屋上に行くための廊下でコーラルに会って納得した。
「……羽がある」
旅行カバンを足元に置き、コーラルはいつも着ていた白衣姿ではない。
代わりに着ていたのは年相応の可愛いワンピースで、そのデザインは背中が大きく開いている。
何故なら、背中には大きな白い『翼』があったからだ。
「有翼人種の『天人』だ。【獣人族】に属しているけど、本質は【精霊族】に近くて魔法も使う」
「へぇ……」
鳥に関係しているとは思っていたので、特にびっくりはしなかった。
現在『天人』は希少人種にあたる。
100年前の『種族戦争』では【精霊族】側についていたが、機動力や魔法の力を恐れられたために真っ先に狙われ、いくつも郷が滅ぼされてしまった過去がある。
「図書館に来た時は、受付けで魔法を使って背中の翼を隠すの。図書館内は飛行禁止だし、本棚とかあると邪魔だし危ないし……」
そう言うコーラルの頭の羽がパタパタ動く。どうやら他から見ると、頭の小さな羽は“犬のしっぽ”みたいな扱いらしい。
「でも、飛べるっていいよな。馬車で何日も掛かる距離をすぐなんだろ?」
「そうよ。普通は馬車で一ヶ月掛かるとこを、私は子供だからゆっくり飛んで三日くらいね。大人一人本気で飛んだら一日で来られるわよ」
コーラルはここから離れた山奥に里があるという。
「ーーー……?」
「ん? あ、良いわよ。ちょっとだけなら」
「ーーーっ♡」
チェリが背中のふわふわの羽を触らせてもらっている。いつの間にか、兄妹と仲良くなっているのが微笑ましい。
「そうだ、コーラル。これ今回の“薬代”な。帰る前に王宮の経理でもらってくれ」
「えへへ、毎度あり。これで家族に王都のお土産買ってこーっと!」
アロから封筒を受け取り、コーラルはにっこりと笑う。
「迎えは来るのですか?」
「えぇ。一昨日連絡しておいたから、そろそろ来ると思うわ」
「あぁ……来ましたね」
アテュスがある方向を見上げたので、思わずそちらを見ると空にポツンと黒い影が見えた。
黒い影はどんどん近付いてくる。
バサァアアアッ!! スタンッ!!
大きな影が目の前に降り立った。ヒラヒラと抜けた真っ黒な羽根が足元に落ちる。
現れたのは『天人』の若い男性だった。
背中には大きな真っ黒の翼があり、背が高く、長い黒髪を一つに結んでいる。
「よう。迎えにきてやったぞー」
「うん、ありがとうお兄ちゃん!」
「ったく……連絡はもっと早くよこせよな。今日帰るって言うから慌てて来たんだぞ!」
「お兄ちゃん一日で来られるじゃない」
彼はコーラルの兄のようだ。歳も離れているしあまりコーラルとは似ていないが、そこはここにいる者が問題にすることではない。
「お久しぶりです。ジャスパー」
「あ、館長。うちの妹がいつもお世話になっております」
ジャスパーと呼ばれた兄はアテュスに丁寧に頭を下げた。家族ぐるみで顔見知りのようだ。
「いいえ、今回はこちらこそ助かりまして……」
「コーラルに薬を作ってもらったんだ。ありがとう」
「ありがとうございます」
「ーーー」
「そうですか。妹が役に立って良かったです」
「ふふん♪ もっと褒めなさい」
「コーラルぅ……」
三人も礼を言い、いよいよ帰る時になる。
「ーー、ーーー」
「じゃあ、チェリ王女たちも……いつか皆で私の村に来てよ。美味しい果物とかハーブ料理とかが年中あるところなの!」
「へぇ、それどこ?」
「『翠緑の里』って呼ばれるところよ。ちゃんと地図に載ってるから」
「『翠緑の里』……うん?」
里の名を聞き、アロが首を傾げた。
………………
バサッバサッ!!
二人が羽を羽ばたかせるとふわりと中に浮く。
「じゃあね! ボウガさん、薬が必要な時は連絡してー!! チェリ王女のこと絶対守ってねー!!」
「うん。ありがとう」
「またなー!」
「ーー!」
こうして歳若い薬師は帰っていった。
「さて……やっぱり、お前の記憶の治療は【祭典】と『御前試合』が終わってからだな」
「うん……」
もう少しすれば再び王宮へと戻る。
その時は【祭典】の準備で周りは忙しくなるだろう。
くいくいと服の裾が引っ張られた。
「ーーー」
「うん。今日は一緒に閲覧室に行くよ」
「ーー♪」
チェリが笑っているのを見て安心する。
試合が始まるまでは、純粋にこの時間を楽しむことにした。




