第53話 趣味仲間と魔法薬
チェリは閲覧室に入って目当ての本棚へと向かう。兄のアロも心配しているし、本を借りたらすぐに部屋へ戻ろうと思っていた。
「取ってきてやるよ」
棚の違う本をアロが持ってきてくれると言うので、チェリは別の本を探した。
「ーーっ……」
お目当ての本のタイトルが目に入ったが、それはチェリの背丈よりも上の方に並んでいた。
取るために何か踏み台をと思って周りを見ると、ちょっと離れた所で小さな子供たちが使っている。
――――手を伸ばせば取れるかしら?
本は表紙に指先が触れる距離にあって、もう少し背伸びをすれば引っ張り出せるかもしれない。
「〜〜……っ!」
手が本の背表紙に掛かるが、本の重さときっちり収まっている本の間隔のせいかなかなか出てこない。
――――昨日は取れたのだけど…………あ、違う。ボウガに取ってもらいましたね。
このシリーズの本はボウガが難なく取り出して、チェリに手渡してくれたのだ。
だが今ここにボウガはおらず、アロも隣の棚へ向かっている。ここは自分の頑張り処だと決心する。
――――どうしても取れなかったら、別の所から踏み台を借りて…………よし!
気合いを入れて思い切り手を伸ばした時、目当ての本がスルリと手前に出てきた。背表紙の上には自分のものではない誰かの手が添えられている。
「ー……?」
ハッとして横を向くと背の高い影が本を持って立っていて、チェリの前にソッと本を差し出してくれた。
ボウガだと思って本を受け取り見上げると、背の高さが同じだけの別の人物だった。
「あの…………チェリ王女さま?」
「っっっ!?」
上からのぞき込まれる様に声を掛けられ、身体がビクリと強ばった。
…………………………
妹がその人物を見上げながら硬直しているのを見て、アロは咄嗟にチェリと人影の間に割り込んだ。
「っ……誰!?」
「ーーー」
今、チェリに「王女さま」と言ったのだから、素性をわかって近付いた者だろう。
アロはチェリを背中に隠すように立ちはだかり、数歩下がって相手を見る。
チェリの隣に来た人物は背が高く、ぞろっと丈の長い服を着ていた。頭から黒いベールを被り、顔や【種族】が判別できる耳などが完全に見えない。
「…………悪いけど、この子のことが判って近付いたのなら、王宮以外での不用意な声掛けは『不敬』にあたる。特に男が気安く王女に近付くのは許されない」
本当はこの図書館では身分を問わなくても良いが、それを言っていたらサーセンデスのような輩が遠慮なく迫ってくる。だから、アロは半ばハッタリをかまして威圧した。
「えっ? あ、いや、そのっ……」
「王女に何の用で近付いた?」
アロに問い詰められたベールの人物は異様なくらいに慌てふためいる。
「あ、あのっ、ち、違うんです!! 僕はっ……その!」
「…………何?」
――――チェリにちょっかい出そうとしたの見つかって慌ててるのか?
アロがベールの人物から目を離さずにギッと睨み付けると、その人物は「うぅ……」と少し唸ってから自分の顔に触る。
「す、すみませんっ……その、僕は……」
「だから、なんの用?」
ゴクリと相手が唾を飲み込むのがわかった。
「僕……『女』ですっ……!!」
「……へ?」
バッ!! と顔の前に垂れていたベールが上げられ、下からは今にも泣きそうな綺麗な顔立ちが現れた。
――――『女』……いや、女性って言われても……
その人物の自己申告にアロは内心戸惑った。
いくら『女』だと主張されても、王族に急に話し掛けるのはマナー違反だし同性だって下心がある人間はいくらでもいる。
そして何より、この人物の全体が良くも悪くも“中性的”だったのだ。
背はボウガとさほど変わらない高身長。顔貌が整っている分、もしキリッと凛々しい表情だったら『美形の男』とも判断もできる。
「………………」
アロは顔や身体は動かさずに視線だけを巡らせた。
丈の長い服装は地味な色合いのロングスカートで、ベールを捲って露わになった首筋は細くて喉仏は出ていない。
だが、申し訳なく思いながら観察した首からすぐ下の部分が、あまりにもささやかで決定的な判断が下せなかった。
――――こういうの、ケンティなら判るだろうか? ど、どうする……?
アロは男には厳しいが、女性には気を遣う。
男だったら変態として追っ払うが、本当に女性だったら可哀想なことをしてしまうと考え込んだ。
「…………………………」
完全にフリーズしたアロに、チェリはトントンと肩を叩く。
「え?」
「ーーー」
チェリは手に持っていた本を指差す。そしてアロの前に出ると、本を前に出してペコリと頭を下げた。
「ーーー、ーーーー」
「え、えっ?」
その人物はチェリの行動をオロオロと眺めた。どうやら、初めて接したであろうチェリの声が聞こえなかったようだ。
「……チェリが、“本を取ってくださり、ありがとうございました”って言ってます」
「あ、はい……お役に立てたようで……」
人物もチェリにお辞儀をする。そして落ち着いたのか、改めて二人に向かって話を始めた。
「こちらも急に申し訳ありませんでした。遠くから見ていて、本が取れずに困ってらしたので……それがチェリ王女さまだと判って嬉しくて、ついお名前を呼んでしまいました」
そう言って深々と頭を下げた。所作を見る限りは育ちが良さそうである。
「いや、こちらこそ疑ってすまない。俺はアロだ。あなたは?」
「僕は、ソ…………私は『ソニア』といいます。あなたがアロ王子さまでしたか。お目に掛かれて光栄です」
再び頭を下げたソニアだが、ベールを被ったままなので耳の形や角の有無などは判らない。種族は謎であるが、ここの図書館では種族は問題にしない。
「チェリ王女さまのことは、一度だけお見掛けしたことがありまして……その……」
何故かソニアはチェリに向かって言いにくそうにしている。
「その本……」
「ーー?」
「その本のシリーズ、ぼ……私も好きで、家に全巻揃えているんです……」
「ーーー!」
チェリの顔がパァッと明るくなった。
懐から紙を取り出してソニアに向けて広げる。それはダリアから本のタイトルを書いてもらっていたメモだ。
「これは……? あぁ、このタイトルならほとんど読んだことがありますよ」
「ーーー♪」
「これをお読みになるなら、他にもオススメがあります。よろしければ、お教えしますが……」
「ーーーっ♡」
チェリが嬉しそうにソニアの腕を取って本棚に向かっていく。どうやら、趣味が合う人物に逢えたのがよほど嬉しかったようだ。
「………………」
――――これは長くなる。ボウガ、大丈夫かな?
アロはニコニコと笑い合う女子二人を眺めて、ここに居ない仲間のことを思った。
…………………………
………………
「あ! おかえり二人とも」
部屋の前の廊下にいたボウガは、歩いてくる兄妹の姿を見て駆け寄った。
別行動になって二時間が経過していた。
なかなか帰ってこない兄妹を心配して、ボウガは部屋や廊下を彷徨き、さらには閲覧室の近くまで様子を窺いに行っていた。
しかし何も騒ぎが起きていないことと、行き違いになると困ると思って引き返していく。それを三回ほど繰り返していたところだ。
「ただいま…………」
「ーー♪」
どことなくゲンナリしているアロと、ご機嫌で本を抱えているチェリ。
あまりにも対照的な二人にボウガは首を傾げた。
「……だいぶ遅かったけど何かあった?」
「はぁ…………実は、チェリが『シュミ友』見付けちゃって……」
「しゅみ、とも……?」
部屋に入り、二人から何があったのか全部聞いた。
……………………
「ふ〜ん。チェリ、話ができる人で良かったね」
「ーー♪」
テーブルに着いて本を広げるチェリが嬉しそうでホッとするボウガ。そんなボウガに、ソファーに倒れ込んだアロが顔を顰めた。
「心配しねぇの?」
「え? でもそのソニアさん、チェリと話せたんだよね?」
「うん、まぁ。そこそこ早かったかな」
そうなのだ。今日会ったばかりのソニアは、最初はチェリのジェスチャーだけで話を理解していたが、後半は普通に二人で会話ができるようになっていた。
チェリの『魔法の声』が聞こえていたのだ。これはちゃんとチェリと向き合おうとした、信用できる人物である証拠だ。
「女子同士仲良くなって、明日も会う約束してんだもんな?」
「ーーー!」
チェリが嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、明日はオレも行った方がいい?」
「俺が一緒に行くから来なくていい。俺は別の本読みながら横に居られるけど、お前は趣味じゃない空間にずっといるのも苦痛だろ?」
「…………うん」
人間というもの、自分に合わないものに囲まれて長時間過ごすのは拷問に近いものがある。
「それに、館長がわざわざ『御前試合』のためのそれを揃えてくれたんだろ?」
部屋のボウガのベッドの上には、ボウガが一人でいた時に職員が届けてくれた数冊の本が置いてあった。
前回までの『御前試合』のルールや歴史、参加者の名前や【種族】などが書かれた過去のプログラム、過去の優勝者のインタビューと求めた『賞品』の内容。
そんな試合の説明書に紛れて『世界の人種図鑑』などというものまであって、それには様々な『人種』の平均的な能力や身体の特徴などが載っている。
「傾向と対策だな。ちゃんとルールの決まった対人の試合なんだ。殺し合いと違って、闇雲に戦えばいいってもんじゃねぇしな」
「そうだね……」
パラパラと眺めた『ルール説明』には“相手を殺害した場合は負け”と明記されていた。そして、それの対策も取られている。
――――やっぱり、魔物相手の方が楽かなぁ。
騎士団では対人訓練が主だったが、魔物相手に遠慮なく叩き込んだ方が気楽だった。
――――怪我を治す医療班もいるけど、対人訓練で相手に怪我をさせるのが嫌だ。
よく対人訓練の一部で、実戦を模した打ち合いがある。
人間を上回る魔物を簡単に倒すボウガにとって、例え相手が本気で掛かってきても秒で組み伏せることができていた。
しかし騎士団でも強い者が相手になった際には、無意識でうっかり強めに弾き飛ばしてしまったことがあった。相手は訓練場の壁に叩き付けられ、一時的に意識を失ってしまった。
すぐに回復魔法で治療され、相手は笑って許してくれた。しかし、ボウガとしては対人戦での動きを課題にしなければならないと感じた。
ここで余談だが、この時の相手はボウガの“うっかり”にとても喜んだ。“こいつに本気出させたぞ!”と同僚たちに自慢していた。
この時から騎士団の中ではボウガの“うっかり”を引き出させようと必死になる者が現れ、それを見ている団長のスパイクはとても満足気だという。
………………
翌日から、アロとチェリは閲覧室に行ってソニアに会いに行き、ボウガは部屋で『御前試合』の勉強をすることになった。
そしてコーラルに薬を頼んでから三日目の夕方。
部屋に薬ができたからすぐに来るようにと、わざわざ館長のアテュスが部屋へ迎えに来た。
「…………来たわね」
部屋へ通されると、白衣を着て仁王立ちしたコーラルが出迎える。
三人が案内されたのは、図書館の1階奥にある『工作室』と扉に書かれた場所だった。
まるで何処かお屋敷の厨房のような造りで、テーブルには秤や乳鉢、ビーカーなどが転がり、奥の手洗い場には使われた鍋が何個も重なっている。
「これが『想起薬』。この量を作るのも苦労したわ」
コーラルがテーブルを指差す。
透明な小さいコップに入った『想起薬』は、ドロッとした黒緑色の液体であった。
「…………ヘドロ?」
「うっ……」
「ちょっとアロ様! 食欲失せること言わないでちょうだい! ここから飲む時には色が変わるの!」
「変わるって?」
「飲む前に“思い出したい記憶”を薬に伝える」
そう言うとコーラルは別の空のビーカーを手にして、飲む前の説明を始めた。
「こうやって両手で包み込むように薬を持って、顔を近付けてはっきり“要件”を言いなさい。この間説明したようにはっきりとよ。そうしたら、少しは美味しそうな色に変わるからすぐに服用すること!」
説明が終わるとコーラルはボウガを薬の前に押し出す。
「この薬は出来てから二時間で無効化しちゃうのよ。もう40分経ってるから早く!」
「う、うん……」
ちゃんと“思い出したい記憶”を何度も考えていたのに、いざ薬を目の前にすると怖くなった。
「「「………………」」」
しかも背後からの皆の視線が痛い。
「コーラル、我々は部屋の外で待っていませんか?」
「え? あ、そうね……」
「お二人も……」
なかなか薬を手にしないボウガに、アテュスが気を遣って外に出るように促した。
「すみません……」
「いえ。では、ご武運を」
バタン。
「よし……」
ボウガは部屋に一人残され、やっと薬と向き合う決心ができた。
…………………………
………………
30分後。
そろりと扉が開いてボウガが出てきた。
「……お待たせ」
「ーーっ!?」
「どうだった!?」
「……………………」
薬を飲んだはずのボウガは、何処か困ったような顔で皆を見回した。




