第52話 記憶の喪失理由
「え? 記憶喪失はオレが望んだ……って?」
コーラルが何を言っているのかすぐに理解できない。
「つまり、魔法による攻撃とか、何か受けた時に『忘れたい』って思ったことよ。あなたの身体に残っていた魔力が、あなた自身のものしか見えない。他人の『悪意』や『呪い』などの類がないの。あなたにとっても、思いもかけなかった事かもしれないけど」
その状況は分からない。しかし咄嗟にそう思ってしまう出来事と、魔法による干渉が偶然引き起こしたものの可能性が高いとコーラルは言う。
「よく、小さな子供が辛い経験を自分の心の防衛のために、“無かったこと”にしてしてしまうことがあるでしょ。それの強力なものって言った方がいいかしら」
ポカンと話を聞いているボウガに、コーラルはできるだけわかりやすく言ってくれている。
「というかボウガさん、あなた魔法とか使ったりする?」
「へ? あ、いや、使えないけど…………たぶん」
「あ、それもごっそり忘れてるわね。おそらくなんだけど…………あなた、魔法が使えるくらいの魔力持ってるわよ」
「えっ!?」
思わず驚きの声が出る。
これまで、ボウガは魔法に興味を持ったことはあっても、アロやチェリのように使えるとは思ってなかった。実際に旅の間や王宮に着いた後でも、魔道具の使い方を覚える際に、魔法の真似事のようなことを習ったがそのものを使えた試しはなかった。
――――指輪に魔力を通して話す……ってことはやってたけど、形にもならない魔法を使おうとかは思えなかったなぁ。
「気のせいでは……」
「そうだぞ。こいつ、騎士団でも魔力テスト受けたし、魔法防御の訓練でも耐性が少し高いだけだった」
アロもコーラルに反論した。しかし、コーラルはそんなアロとボウガ、そしてチェリをチラチラと順番に眺めた。
「そうね……直に言いましょうか。ボウガさん、あなた記憶喪失になってから困ったこととかある?」
「それはあります。自分の名前とか、どんな人間かとか判らないですし……」
「でも、生活してて困ってないでしょ? 読み書きできるし、他の人と会話もできてるし、旅してきて戦闘もできる。現在、生きてる上で不自由は無いよね?」
言われればもっともだ。今現在、過去の事さえ考えなければストレスもなく、むしろ楽しく過ごせているように思える。ボウガにとって都合の良いことは、彼の身体がしっかり憶えていた。
「忘れていることって、今言った『自分の出自』なのよ。それが、あなたが……過去のあなたが忘れたかったこと。あなたの魔力が、他者の魔法の干渉をこれ幸いに『辛い記憶を無かったこと』にしてしまった。精神の不安定は魔力の不安定に繋がるから、あなたの防衛本能が働いた結果……という訳よ」
「そんな……」
“【クリア】のクセに……”
思い起こせば、時々断片的に脳裏を過ぎるものに血の気が引くことがあった。
そうなると、ボウガが忘れたいくらいに辛かったことは『自分の生い立ち』なのだ。
「失礼かもしれないけど、あなたは【クリア】だからね…………その、同じ『一族』の間でも迫害とか……あったかもしれない……」
コーラルが言いにくそうに言葉を選ぶ。
「あなたの魔力が、あなたの過去の記憶を細かく分けて、都合の悪いことを選んで忘れさせている。何か一つ思い出しても、関連して別のことを思い出さないようにさせているのが見えた。治療しても、全部引き出すには途方もなく時間が掛かるわね」
「そう、なんだ……」
今までぽつりぽつりと思い出すことはあっても、そこから芋づる式に思い出すことはなかった。
コーラルは少しため息をついた後、手帳を取り出してパラパラとめくった。
「さて、じゃあ治療のことなんだけど、薬とかで地道に引き出す方法でもいいかしら? もし【祭典】前に思い出すつもりなら、最高でも三回くらいしか薬の服用ができな…………」
「あっ! その治療はまだやらないでくれ!」
どうやら【祭典】前にボウガの治療スケジュールを確認しようとしたようだ。そこをアロが慌てて止める。
「ん? この人『御前試合』に出るんでしょ? その前に治療したかったんじゃないの?」
「実は、それは【祭典】が終わった後でお願いしたいんです」
「えぇ? 忘れたままで試合に出るの?」
「コンディションもこのままでいたいので……」
「う〜ん…………」
コーラルが三人を見回して言う。
「残念だけど、私【祭典】始まる前に帰るわよ?」
「「えっ……」」
「あ、そうなんですか?」
彼女の発言にアテュスも少し驚いていた。
「ええ。私の村、そろそろ農産物の収穫時期だから、その前に帰ってほしいって養父母に言われてるの」
コーラルは農業が盛んな村の在住で、果樹園を営んでいる家に世話になっている。勉強もその合間にさせてもらっていた。
今はまだ忙しくなかったらしく、本格的な収穫時には家の手伝いをしに戻らなければならない。
「まぁ、少し遅れても怒るような家族じゃないけど…………やっぱり、私にも立場があるからね」
「すみません、そんな時にお呼びだてして……」
「別にいいわ。最近は行き詰まっていたし……別のことをして切り替えたいとも思ってたの」
ここにコーラルが来ていたのはたまたまで、図書館に目当ての新刊が入荷したと教えられ、【祭典】までの僅かな間に読もうと思っていたから。行き来はそれなりに日数の掛かる地域だという。
「作り置いておけない生薬で今回のことに丁度良いのがあるの。できれば一個だけ試して、身体に異常がないか診ておきたかったんだけど……」
「薬?」
「そ。一回飲めば『希望の記憶』を一つだけ思い出す魔法薬。三日あれば一つ作ってあげられるけど、どうする?」
「「「………………」」」
一回につき一つの記憶。
「とりあえず一度飲んで、テキトーな記憶思い出しておけばいいんじゃねぇの? そんで【祭典】終わったら、本格的に思い出すように…………」
「最初の一回は確実に効くけど、二回目以降は人によって効果が出ない場合があるから、なるべく無駄撃ちはしてほしくない」
魔法薬というのは効果は抜群だが、多用していくほどに極端な副作用が出る場合があるという。
「だから実質は『一回一記憶』よ。その後に依頼があれば二回目も作って試す。どうする、飲んでみる? 私が次にここに来られるのはだいぶ先になるから、今試す気があるなら造ってあげる」
「………………」
「おい、無理に今すぐ薬飲まなくてもいいんだぞ? 全部終わってからでも充分なんだし」
アロの言う通り、別に急いでいることではないので【祭典】が終わってから思い出す治療をしても良い。
――――一つだけ思い出せる……
だが少しだけ、何かを思い出すことができるという事実が気になって仕方ない。
「聞きたいんですが……」
「何かしら?」
「その薬って、どんな風に思い出すんですか?」
「あぁ、そうね……服薬の注意点が有るわ」
コーラルがその薬の説明を始めた。
名を『想起薬』という。
たった一つだけ、自分の記憶で忘れているものを思い出させる魔法薬。知らない事柄は思い出せない。
瓶に入れられた薬に向かって『思い出したい事』を言い、それを服用すれば記憶を呼び覚ますことができる。
「でもね、実はちょっとめんどくさい」
「めんどくさい?」
「うん……欠点でもあるんだけど……」
例えば『想起薬』に“忘れていることを思い出したい”と漠然とした希望を願ったとする。
「そうすると…………忘れてた“一昨日の晩御飯のメニュー”とか思い出したり。それで一回損する」
「………………」
「最悪な無駄撃ちじゃねぇか……」
「ゴホンっ! 魔法薬って便利な分、的確に服用しないと効かないのよ!」
どうやら『いつ・どこ・だれ・どんな』などのこと細かい、そして『答えが一つしかない』ものを求めないといけないようだ。
「そんなピンポイント記憶の薬、当てにならねぇんじゃねぇの?」
「は? それが切っ掛けで他のことがわかったりするでしょうよ。魔法薬バカにしないでくれる?」
「………………」
「………………」
すっかりタメ口になったコーラルと、遠慮のないアロがギリギリと睨み合っている。間に挟まれながら、ボウガは「二人って似た者同士だな」などと考えていた。
「ーーー?」
「あ……大丈夫。どうしようかなって思ってた」
チェリが心配して隣に座った。こんなことになっているが、気にかけてもらえるのが少し嬉しい。
はにかみながらチェリを見ていると、その様子を見たコーラルが首を傾げた。
「ねぇ、ボウガさん。そういえば、あなたってチェリ様の婚約者よね?」
「はい、そうですが……」
「何でチェリ様と婚約を? 記憶、無いのに」
「へ?」
「恋人とかいないってわかったの?」
「それは……」
「記憶取り戻して、恋人とかいたらどうするのよ!?」
「うぇっ!?」
急にコーラルがボウガの肩を掴んで、よく分からないほどの気迫で睨んでくる。
「いたら、どうするのよ? まさか婚約破棄とかにならないわよね……」
「いや、まさか……」
「お、おい! ボウガはそんな相手は……」
「いたら、チェリ様が不憫です!! 私だったら泣いちゃう!!」
実は『偽装婚約』です……とも言えない。
何故かこの話題に力がこもっているコーラル。
「もしもチェリ様を安心させたいなら、薬には『自分には将来を誓った相手はいるか?』と言いなさい! 婚約するなら恋人がいないって確定させないと!」
「は、はぁ……」
「待ってくださいコーラル」
興奮したコーラルをアテュスが静かに宥めた。
「ボウガ様は『御前試合』に出場されます。万が一、そんなセンシティブな記憶を取り戻して、チェリ様の婚約者としていられなくなったらどうするのです」
万が一、いた場合は大変である。それは婚約前にチェリも心配していたことだ。
「〜〜〜……」
「いや、たぶんいないと思うし……思い出すつもりもない……」
恋人の有無に関してはボウガ自身も興味が無い。
「じゃあ、館長は何が良いと思う?」
「そうですね。オーソドックスに『人種』とかでしょうか」
「それこそ重要じゃないの。迫害されてた記憶なんてあったらメンタルボロボロよ?」
「………………」
確かに、ボウガの中で一番すっぽ抜けているのが『人種』の記憶だ。今すぐ思い出しても良いことが無さそうである。
「……アロとチェリはどう思う?」
「俺たちに聞くな。お前の記憶だろ? お前が決めて良いんだぞ」
「ーーー」
兄妹はあくまでもボウガの意思を尊重した。
それにコーラルもアテュスも、結局はボウガのためにあれこれ言っている。
――――そうだ。あのことを思い出せるなら……
ボウガはある事が頭に浮かぶ。
たった一つ、恋人でも種族でもないことが気になっていた。
「コーラルさん。薬を作ってもらえますか? オレ、一つだけ思い出したいのがあります」
「記憶、何聞くか決めたんだ?」
「はい。薬ができるまで、もう少し要点を絞って言えるようにします」
「解りました…………薬、承ります」
「お願いします」
薬師の顔になったコーラルはボウガに向かって恭しく頭を下げた。アテュスも隣りで頷く。
「では三日後。薬ができあがったらすぐに、私から皆様をお呼びできるようにいたします」
これで話も一段落だ。
後はアテュスとコーラルに任せ、会議室を出た三人はエントランスホールへと向かった。
「よし、俺らも戻ろうか」
「ーーー?」
「え? 昨日の本、もう読み終わったの。続きを借りるって…………」
ボウガは昨日の閲覧室の方を見る。今日もたくさんの人たちが部屋から出入りしているのが見えた。
――――今日は大丈夫かな。昨日の奴が居たりしたら…………
「なぁ、ボウガ?」
「うん?」
「俺がチェリについて行くから、お前は飲み物でも買ってきて部屋で待ってろ」
「えぇ?」
「館長も言ってただろ、戦闘になったらすぐ逃げろって。お前は逃げないで迎え打ちそうだし、【祭典】前に騒動起こしたくない」
「………………」
アロはボウガがなまじ戦えるために、自然と戦闘態勢に入ってしまうだろうと考えた。チェリを連れて逃げるだけなら、自分の方が早いと踏んだのだ。
「…………解った。無理はしないで」
「大丈夫だって。お前がいない間はチェリの護衛は俺だったんだから」
「はは……それもそうだね」
最近はすっかりボウガに代わってしまった役割りだ。
…………………………
「ほら、行くぞチェリ」
「ーーー♪」
「うん、あとで」
そこで三人別行動になり、アロはチェリの本を探す手伝いをしに行く。
念の為、アロは閲覧室を見回すが、見えている範囲では怪しい人物は見受けられない。
「ーーー」
「あぁ、これならこっちか。取ってきてやるよ」
妹に言われた本を探しに隣の本棚に移動するが、視界の隅にチェリが懸命に背伸びをして本を取ろうとしているのが見えた。
――――近くに踏み台……無いか。仕方ない、取ってやるか。って、あれ? ボウガ?
先にチェリの本を取ろうとした時、彼女の隣りに背の高い影が立っていた。それは棚の上の本を取ってチェリに手渡して何か話し掛けている。
――――なんだよ、結局あいつも来てんじゃん。
「おい、ボウ…………え?」
少し近付いた時、アロはその人影をボウガだと思った。だが、それは全くの別人だった。




