第51話 図書館の来館者
「変な視線? ん〜、まぁ、気を付けるに越したことはねぇか……」
ボウガとチェリが部屋に戻ってくると、程なくしてアロも数冊の本を抱えて帰ってきた。閲覧室で読むのではなく、部屋で落ち着いて読みたいからということだった。
「俺も戻ってきて正解だな……」
本を開きながらズブズブとソファーに沈んでいくアロ。手にしているのは『効率の良い魔法の組み立て』という本だった。
ゴーーーン、ゴーーーン…………
図書館の中で夕方を報せる鐘の音が響いた。
部屋に備え付けられている灯りの一部が、その音に反応したように勝手に光を灯す。
「もう夕方か。今頃、王宮でサーセンデスの奴が、チェリを捜して彷徨いているだろうな」
「ーーー……ーー!」
「あぁ、悪ぃ悪ぃ。あははっ」
アロの言葉にチェリが顔を顰め、抗議をしながらアロの服を引っ張った。アロはそんな妹の行動を笑いながら見ている。
「…………でもサーセンデスに限らず、チェリを狙っている他の貴族が図書館に来たりしないかな?」
「いるだろうな。もしかして、さっき閲覧室で喧嘩売ってきた奴がそうかも」
「えっ? 来た初日に?」
「バーカ。あっちが先に来てて、こっちを見掛けるなんて普通にあるだろ。なんなら、王宮に行く前にここへ立ち寄る奴だっているだろうし」
アロとしてはそっちの方が大いにあると思っていた。しかし、一度会っているサーセンデスの方が数倍嫌だったので、今回は彼らの方をより危険視して図書館へ来ていたのだ。
「もし心配なら、館長にさっきのこと言っておいてもいいんじゃねぇ? 立場上、この図書館でトラブルが起きるのを未然に防ぐのも仕事だろーし」
確かに、この建物内で戦闘などになってしまったら、来館者や蔵書に被害が及ぶかもしれない。
――――あの館長さん、ルール違反をする人間には厳しそうだもんな…………絶対に何も起きてほしくないなぁ。
初見で厳格な印象があったため、ボウガの中でのアテュスはちょっと怖い人になっている。だから極力、彼の前では平和でいたいと思ってしまう。
「ま、明日の昼までゆっくりするかー……」
そのままソファーで寝そうなアロと、夢中で本を読んでいるチェリを見ながら、ボウガは明日のことが気になって仕方なかった。
…………………………
………………
翌日の昼過ぎ。
昨日と同じ部屋に入り、待つことわずか数分でアテュスが来た。
「お待たせいたしました」
「いや、待ってない」
丁寧に頭を下げるアテュスに、アロが思わずと言っていいくらいの速度で返す。その突っ込みに何も反応せずに、アテュスは並んで座っている三人の前の席に着いた。
「では、お話ですが……」
「本題は別なんだけど、ちょっとあって……なぁ、ボウガ?」
「あ、はい。実は昨日…………」
本題よりも先に昨日のことを説明する。
ボウガも殺気を感じただけで相手の顔を見た訳ではない。しかも、本当にこちらを狙っていたかも判らない状況だった。だがアテュスはそんな不確かな話を、ボウガの顔をしっかりと見詰めながら聞いていた。
「ふむ……お話は解りました。ですが、実害の無い段階では、ここにいらっしゃる方を調べることはできません」
「怪しい奴とか、注意人物とかは?」
アテュスは少しだけ目を逸らしたが、すぐにアロの方に視線を戻す。
「残念ながら、こちらを利用されている方を我々が疑って掛かることは禁じられております。図書館内で静かにされている以上、余程の強い指名手配をされている方くらいしか通報できません」
「「「………………」」」
指名手配という言葉を聞いて三人は思わず黙りこくる。正式ではないが、ボウガは指名手配をされているからだ。
「それに、ここを利用される方は長期滞在の方も含め一日3000人から5000人です。知り合いでもなければ、注意人物を見つけるのも難しいでしょう」
「そんなに多くの人がいるんですか……」
ここに入る前、図書館の敷地の近くにキャンプ場のようにたくさんの人がいるのを思い出す。
確かに町の中からまだ何もしていない人物を見つけて、その人物の動きを警戒するのは難しい。
「でも武器の携帯もできないから、ちょっと不安ではあるよな」
「うん……まぁ、いざとなったら素手でも……」
「いえ、そこは問題が起きたらすぐに逃げてください。もしも近くで戦闘になった場合、来館者の皆様には速やかに避難していただきます」
アテュスは慣れたようにサラッと言った。
「ここには専属の警備隊も居ますし、職員の半数が魔法や戦闘に長けています。過去には、野生のコボルトの群れが襲って来た時や、『禁書』から大型の魔物が館内に逃げた際も、職員のみで対応できましたので大丈夫です」
「え……ここって、王宮騎士団に直接連絡いくようになってたよな……?」
「そうですね。問題が起きて呼ぶのでは遅いので、こちらで解決してからの後片付けでお呼びしていますね」
栄光の王宮騎士団が事後の片付け要員になっている。
「……という訳で、戦闘のトラブルに関しては昨日お配りした図書館『利用案内』の後ろの方にある『トラブルが起きたら』という項目の『戦闘に巻き込まれたら』の欄をご参考ください」
「すでにマニュアル化してんじゃん……」
「館内で戦闘って……頻繁にあるんですか?」
「頻繁ではないですが珍しくはありません。ほとんど異種族間のケンカ程度の軽いものです」
――――確かにこれだけ多くの人間が集まっているなら、そういった争いはつきものなのかなぁ。
「それで…………今日のお話とは?」
アテュスは眼鏡を指で押しながら三人を見渡した。
今の話題が本題ではない。
「私や図書館で対処できるものでしょうか」
「実は【祭典】に関する事と、こっちの……ボウガの事なんだけど……」
アロは【盟友の祭典】の『御前試合』にボウガが出ること、そしてボウガが記憶喪失であることを説明したが、チェリとの『偽装婚約』のことは言わなかった。
「御前試合のことですね。それでしたら、前回までのルール説明が書かれたものがあります。おそらく、基本的なことは同じでしょうから、そちらの記録などをお貸しすることは可能です。お部屋に届けるよう手配しておきましょうか?」
「はい、お願いします」
『御前試合』の件はそれだけで終わった。次に記憶喪失のことであるが、それに関してアテュスは少し黙って考え込んでいる。
「……あとは、記憶喪失の治療についてですか」
「やっぱり難しいもの?」
「私は医者でも専門家でもありません。ありませんが…………」
アテュスが自分の目の前で片手を横に動かした。ヒュッと小さく風を切る音がすると、手を振った場所に半透明の四角い板のような平面が現れた。
「え!? 何それ!?」
「魔法で出した『書類』のようなものです。手帳や黒板の役割りもできますが…………」
板の表面をアテュスが撫でると、下からズラズラと文字が押し上がってくる。板が半透明なので、ボウガたちから見ると文字は左右逆の上にボヤけていた。
「今出しているのは画面で、流れているのは『今日の来館者』の情報です。受付けの来館名簿と紐付けをしていますので、今現在で受け付けた方もすぐに出てきます」
「えぇっ!? スゲェ!!」
「《……っ!?」》
アテュスの説明にアロが真っ先に食い付いた。
「それ『人工魔法』!? 購入? それとも習得?」
「習得ですね。ですが、一般に『設計図』は公開されていません。元々あった『筆記』の魔法の応用で、私の個人的な知り合いが組み立てて贈ってくれたものなので」
「売ってないのかー! うわー、欲しいーっ!!」
いつにないアロのテンションの高さ。しかし、アテュスもその会話に答えているのを見ると、意外に二人は気が合うのかもしれない。
《兄様、魔法のことになると少し……》
「楽しそうだね……」
アロとアテュスの会話をボウガが若干引き気味で聞いていると、隣りのチェリが温かい視線を送りながら呟いた。
「良ければ『設計図』、お教えしましょうか?」
「本当にっ!? 俺でもできる!?」
「ただ、情報、伝達などは『風属性』の魔法に一番馴染みます。アロ様の『水属性』は習得可能ですが、取得情報量がかなり少なくなるかと」
「う〜ん、そこは魔力量で補うしか……」
《兄様》
くいくいくい…………
もはや周りが見えていなかったアロの服をチェリが引っ張る。
《今はボウガのことをお聞きしているので…………そのお話は後にしてくださいますか?》
「う……ごめん……」
チェリの声がいつもより低い。
大事な婚約者の話題から逸れてしまったので、静かな怒りの感情が『魔法の声』に出てしまっているのだ。
「コホン……すまない」
「いいえ。話しながら探してましたので」
「探す?」
アテュスの目の前の板の文字は、アロと話している間も大量の文字が下から上へと流れていった。
「………………いた」
アテュスが小さく呟く。
画面の下から上がってきた文字を指で押さえると、一文だけが光って止まった。
「……このまま、少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
「では、失礼します」
そう言うと、アテュスは足早に部屋を出ていった。彼が席を立った途端に、テーブルの上に出ていた画面は跡形もなく消える。
「さっき見てたの、今日の『来館者』って言ってたよな」
「ー、ーー」
「たぶん、誰か捜しに行った……」
――――記憶の治療の話をしてたんだから、それに関係する人でもいたのかな?
…………………………
………………
十数分後。
「……失礼します。どうぞこちらへ」
「はい。失礼します」
戻ってきたアテュスと一緒に入室してきたのは、一人の白衣を着た少女だった。
背丈はチェリと同じくらいの、やたら細身で華奢な身体。可愛らしいピンクブロンドの髪をショートボブにしている。
両耳は【クリア】と同じく丸い耳だが、その上にまるで小鳥の翼のようなものが生えていて動いていた。たぶん『鳥』に関係する『人種』だろう。
「王子様、王女様、そして婚約者様。初めまして、私の名は『コーラル・アイアゲート』と申します。お話は館長から簡単にお聞きしました」
入ってくるなり自己紹介をして、ぺこりと大きくお辞儀をする。可愛い顔がキリッと凛々しく、賢そうな印象が全面に出ていた。
「館長、この人は……?」
「こちらに度々いらっしゃる『魔法薬』の薬師です」
「えっ!? 薬師って、いくらなんでも……」
コーラルの見た目はかなり若い。
10代前半……幼く見えるチェリよりも若いように思える。
「私の私的な知り合いでして。これでも彼女は、カルタロックの国立大学を飛び級で卒業し、二年前に歴史上最年少の10才で薬師の資格を取られています」
「10才!? 二年前って……今、12才!?」
「《………………」》
ボウガとチェリは驚き過ぎて黙っているが、アロは“歳が若い!”と驚愕する。そんなアロにコーラルはムッとした表情を向けた。
「歳は関係ありません。それに資格の試験なんて、記憶力と応用力を審査されるだけでしょ? 難しいのは、これから向き合う患者や製薬の実践じゃないかしら。驚くのは数年後、私が成果をあげてからにしてほしいです」
「あぁ……そう……」
コーラルにフッと冷笑のような笑みが浮かぶ。
アロも口元がピキッと引き攣るが、それ以上は特に言わなかった。年上の意地か、口喧嘩にならぬように踏み留まったらしい。
――――わぁ……この薬師の子、結構気の強い性格してるぞ……アロに言い返すなんて。
先ほど、アロに“王子様”と言っていたので王族だと解っているのだ。その上で物申したなら、良く言えば気丈、悪く言えば生意気である。
アロとコーラルが黙ってお互いに睨み合っていると、間にアテュスが割り込んできた。
「まぁ、お二人ともその辺で……アロ様、彼女の腕は私が保証します。コーラルにはこちらのボウガ様を診察していただきたいのです」
「……私が直接診察ってことは秘密裏?」
「えぇ。王族のことですので念の為」
「訳ありなのね」
静かに懇願され、コーラルは大きくため息をついた。
「ふぅ。一応、医者の資格も取る予定だけど、本当ならちゃんと他からきた診察結果で公式に薬を作りたいわね。その方が論文にできるのに…………」
文句を言いながらもボウガの方へと近付いてくる。
「じゃあ、ボウガさん? ここに座ってください。軽く、あなたの記憶喪失の原因を探ってみますから……」
「は、はい……」
肩を掴まれて近くのイスに座らせられた。ボウガが座ると、コーラルはポケットから薄い手袋を取り出して装着する。
「ちょっと触りますねー? 肩の力、抜いてくださーい」
「………………」
ポン、ポン、ポン、ポン。
頭、首、肩、胸……また頭と、コーラルは順番にボウガの身体触っていく。
「外傷だけでこんなにキレイな記憶喪失にはならない…………魔法……あぁ、確かに魔法が掛かってるわね…………呪い? 恨み? う〜ん……」
途中、ブツブツと呟きが聞こえて、彼女の頭の小さな羽根がパタパタと動く。
だいたい三分ほどでコーラルがボウガから手を離した。
「ふぅん。だいたい解りました」
「どう……なんですか?」
恐る恐る目の前のコーラルを見上げると、彼女は眉を顰めてボウガを見下ろしている。
「結論から言うと、全部は治せないかもしれない」
「え…………」
「だって、この記憶喪失…………あなたが望んだ結果なんだもの」
コーラルの表情は呆れているように見えた。




