第50話 図書館の裏側で
図書館に来た当日の午後。
一度は宿泊する部屋に落ち着いたが、閉館まではまだまだ時間がある。やっぱり少しは館内を見たいと、三人揃って一階の大きな廊下を進んだ。
「世界一と謳われる図書館来てんのに、ここに来ない奴はいないよなぁ」
「うわぁ…………」
大きく開かれた扉から一歩目。ボウガは入り口で思わず立ち尽くす。
その部屋はまさに図書館の要である。
蔵書を好きなだけ読める『閲覧室』の広さは、王宮でも見たことのないほどの空間だった。
部屋の中央は建物の三階分ほど天井まで吹き抜けになっている。大きな天窓からの光が隅々まで部屋を照らしているが、太陽光とは少し違うはっきりとした白っぽい明るさは魔法によるものかもしれない。
目の前には何百、もしかしたら千を超えるくらいの、二階にも届くほどの高い本棚が床に規則正しく並んでいて、その他にも壁一面、そして所々に立っている太い柱も……ありとあらゆる部分が本棚として機能している。
選んだ本を読むためのテーブル席やソファーもあちこちに置かれていて、軽く読む程度も、しっかり読み込む場合にも対応しているようだ。
そして何故か閲覧室の中を小鳥が何羽も飛び交っているが、アロもチェリも何も言わないので「これも魔法の一種かなぁ」と考えておく。
「本の量、物凄いな……」
「蔵書は王宮の図書室の何千倍って言うけど、閲覧室に無いのもあるから言われてるよりも多いはずだ」
「へぇ……」
桁の違いにピンと来ないが、上の方はどうやって取るのか? 本棚ひとつにどのくらい本があるのか? などと余計な疑問は出てくる。
だが、それも滞在している間に気にしなくなるだろう。
――――床以外、本が隙間なく並んでる…………なんか、頭痛くなりそう。
ボウガは本を取る前に、自分は読書家ではないと判断してしまった。
「ほら、入り口で突っ立ってないで入れ」
「ーーー♪」
「あ……ごめん」
チェリに手を引かれてもう少し中へ入ると、さらに迫り来るその部屋の広さと本の多さにたじろぎそうになった。
少し見渡すと、閲覧室には多くの人が行き来していたが、うるさかったり混み合っている印象は皆無だった。
「閲覧室って、ここでだけじゃないんだよね?」
「あぁ、種類別にあるぞ。目当てのジャンルの本があれば、そっちに移動しなきゃいけない。ま、お前は散歩するつもりで見とけ」
「うん……」
何も興味が湧かなければ、本当に散歩だけになりそうである。
「んじゃ、夕飯まで自由時間な。チェリから離れんなよ!」
アロは『魔法学』関連の本を見てくると言って、二人を置いてスタスタと奥の方へと歩いて行ってしまった。アロはだいたいの本の場所を把握しているようだ。
残されたボウガは、キョロキョロと辺りを見回して困ったように呟いた。
「本、か。何を読めば……?」
ボウガはアロとチェリについてきただけで、図書館で目当ての本や勉強があるという訳ではなかった。この中からお気に入りを探せと言われても、滞在中に見つかる気がしない。
「ー……」
チェリはちょっと考えて、ボウガの手を引いて廊下へと出た。どうやらここの閲覧室ではなく、別の閲覧室に案内しようとしている。
「ーー、ーーー」
「あっちの閲覧室に行くの?」
護衛のために一緒にいることになるし、どうせならチェリの好きな本でも読んでみようと考えた。
少し歩いてきたもう一つの閲覧室は先ほどと部屋の造りはそっくりであったが、所々置いてあるイスやテーブルが子供用のものもある。
各本棚に脇に『絵本』『小説・随筆』などと彫られた金属プレートが見えた。
――――物語とかの本が多いってことか。あっちの閲覧室より人が多いな……
この閲覧室にも、見回しただけでも100人以上はいるのが見えた。本棚に隠れて見えない人たちもかなりいると思われるので、実際はもっと多くの人がいるはずである。
ある本棚の周りには子供や若い大人が。別の本棚の近くのソファーには、何冊も同じシリーズの本を積み重ねて熟読している男性もいた。やはり老若男女関係なく人がいる。
「チェリは? 何か目当ての本でもあるの?」
「ーー♪」
チェリはズラリとタイトルが書かれた紙をボウガに見せた。どうやらダリアに教えてもらったもので、ほとんどが少女向けの恋愛小説である。
「ーー?」
「いや、オレは別ので……」
チェリの好きなものを理解しようと思ったが、たぶんコレを一緒に読むのはボウガには厳しい。
………………
とりあえずチェリが探している本を一緒に見つけ、ひとつのテーブル席に落ち着いて読むことにした。
チェリは手に取った本を開いて静かに読み始める。ボウガは同じテーブルの少し離れた席で、館長に渡された図書館の配置図などを眺めながらチェリを見守ることにした。
――――本当に人が多いな。
ここは静かだが、たくさんの人間が出入りしている。まるで町の中にいるように気配が移動しているのがわかる。
何となく部屋にいる人間を観察していると、図書館の外で見たように【種族】や『人種』、年齢や性別などもバラバラで服装の質もそれぞれだ。
今日のチェリの服装は村で着ていた普段着だ。ボウガも旅の間に着ていたものよりは上質だが、普通の町人が持っているような服を着ている。そのせいか、王族とその関係者だとは思われずに溶け込んでいると思う。
――――今のところ【魔神族】の貴族らしいのも見掛けないし…………オレも何か探すかな?
ボウガが少し気を抜きかけた時だった。
「っ…………」
一瞬だけ、空気に張り詰めたような気配が漂う。
それと同時に強烈な視線も。
ボウガはこれを知っている……“殺気”だ。
――――誰だ? チェリを見てたのか?
咄嗟に腰の剣を掴もうとして、今はそれを差していないことを思い出す。図書館の閲覧室は武器の携帯を禁止されていたので、それらは全て部屋に置いてきていたのだ。
――――ここで戦いたくはないけど……
身体を強ばらせて、静かに辺りを伺うがそれらしい人間が見当たらない。
子供たちが図書館職員の読み聞かせのために集まっている。
先程からシリーズを読み耽っている男性はページを捲る以外は全然動いていない。
他に部屋を歩いている人たちも、ボウガやチェリを見ていたように思えなかった。
ボウガが緊張していると、感じた殺気はほんの数秒で消えた。再び安穏とした雰囲気だけが残る。
「………………」
気のせいかと思いたいが、本当に一瞬だけ、本気でこちらを殺そうとしていると肌で感じたのだ。
ボウガはチェリの側へと行って、他に聞こえないくらいように耳打ちをした。
「チェリ……」
「ーー?」
「その本、今日は借りて部屋に戻ろう」
「ーーー?」
「……お願い」
「…………」
チェリはパタッと本を閉じる。
小さく頷いて立ち上がると、ボウガと一緒に数冊の本を手に閲覧室を出た。すぐに受付で貸出し許可をもらおうとエントランスまで歩く。
ボウガが何を言っているのか察したらしく、何も聞かずに従ってくれるようだ。
その間も周りに変に思われない程度に辺りを確認するが、やはりおかしな動きをしている人間はいない。
――――アロにも声を掛けて…………いや、アロならいざとなったら声をあげられる。【神器】も持っているし大丈夫だ。
ボウガが一番に護るのはチェリだ。
“不審な人物に攫われそうになっても、悲鳴ひとつあげたりできないんだ”
チェリの声は全員には聞こえない。しかも、最低限の顔見知りになっておかないと、魔法の声は発動してくれないという。
本を借りて受付を離れる時、ボウガの服の端を掴んで不安そうに見上げてくる。
「………………」
「部屋に戻ってから話すから。念の為だし、大丈夫だと思うけど……」
――――来たばかりでこれか。チェリが王女だって気付いている人間の仕業だろうか。それとも…………
自分に向けられたものであるなら、尚のことこの場には居られない。部屋に戻って、アロが来るまではじっとしていた方が良いだろう。
ボウガは護衛として、チェリのために最善と思われる行動を優先することにした。
…………………………
………………
「……なかなか良い護衛じゃないか、あの『アミュレット』というのは。あの一瞬のお試しに即座に反応した」
ボウガとチェリが出ていった閲覧室の三階の端。手すりに寄りかかって、吹き抜けの一階を見ている二人の人物がいた。
二人とも背が高く、頭からフード付きのローブを羽織っている。口元も布で巻いているので、出ているのはフードの奥の目元だけ。
頭から隠れているので【種族】と性別も判断できない。しかし、ローブはそれなりに質の良いもので、二人が決して貧しい家の人間ではないと一目で判る。
「あの少女がチェリ王女だ。あれを嫁にするには祭りでの『御前試合』で勝つ必要があるらしいな」
「………………」
喋っているのは片方だけで、もう一人は黙って頷きながらボウガたちが出ていった方をじっと見ていた。
「それで、その試合とやらだが…………私も出て良いだろうか?」
「っ……!?」
片方が驚いて喋る片方を振り返る。
「勝てば、私かお前が愛らしい王女を嫁にする権利が貰えるぞ。あの『アミュレット』とやらは相当焦るはずだ。ククク……」
「………………」
まるで「悪趣味じゃないか?」と言いたげに、片方は黙って笑う相方を見詰める。
「いや、なに……あんな反応を見せられれば、戦ってみたいだろう? 私も武人の端くれだからな」
「………………」
今度は「呆れた……」という風なため息をついた。しかし、それ以上は特に何も言わずに、片方は再び部屋の出入り口に視線を向ける。
「ふふ……」
もう片方は時折り楽しそうに笑い声を零しながら、本棚の間をゆっくりと歩いていった。
…………………………
………………
同時刻。
場所は変わってカルタロックの王宮。
「「『サーセンデス公爵』様、ご家族様、ご到着ですっ!!」」
謁見室へ続く廊下の入口で、ドワーフの衛兵二人が揃って来訪者の家門を読み上げる。
「五年ぶりだが、やはり【精霊族】の城は古臭さが目立つな……」
「えぇ。流行りの彫刻くらい飾らないのかしら……これだから田舎は困りますわぁ」
颯爽と廊下を進むのはサーセンデス公爵夫妻だ。
「パパ上、ママ上、まだ謁見室まで着かないのですか? ここに着いてからどのくらいの廊下を進んだか…………足が棒のようです!」
夫妻のすぐ後ろについて歩くのは、サーセンデスの長男ハゼロ公子。
「あぁ、僕様はこの日をどんなに待ちわびたか! 謁見なんてすぐに終わらせて、チェリ王女に会いに行かなくては……きっと僕様と再会すれば、感動で咽び泣いて胸に飛び込んでくるはずだっ!!」
彼は城に着いてから、チェリとの再会場面を何度も妄想している。
「あの日……チェリ王女は他の奴らに邪魔されて、僕様に近付きもできなかったんだ! あの彼女の悔しそうな表情が忘れられない!!」
ちなみに、ハゼロが村に来た時のチェリは、彼に怒りと呆れの感情しか向けていない。1ミリもハゼロに好意を持つことはなかった。
「あぁ……チェリ王女、貴女のハゼロが参りますからねぇ〜♡」
ハゼロはあまりにも勝手な脳内再生を繰り返したため、以前に会った時の真実は完全に都合の良い記憶にすり変わっている。ある意味、ボウガ以上の記憶喪失かもしれない。
「ハゼロちゃまったら、王女様が本当に好きなのねぇ。これは絶対に『御前試合』に勝たせてあげなきゃ!!」
「ふむ……」
後ろでくねくねとダンシングする息子を温かく見守る夫人だが、それとは違い公爵の方は少し難しい表情をしていた。
「あなた? そんなお顔をされてどうされました?」
「いや、その試合に出るための戦士を探していたのだが…………ピッタリの『人種』がいたのだ……」
「まぁ。それなら、早く雇っておかなくては!」
「そうなのだが……それが……」
話しているうちに夫妻は女王の謁見室の扉に着いていた。
「どうやら、その『人種』を雇うためには、『中央都市』と『カルタロック』の両方から雇用許可を貰わなければならないそうだ」
「では、その許可は……?」
「セントラルからは許可された。だが、カルタロックの女王陛下が許可されるとは限らない……」
ガタンッと音がして、夫妻の目の前の扉がゆっくりと開いていく。
「そんなの、パパ上の交渉で勝ち取ればいいではないですかっ……!」
「そうよ、しっかりなさって……!」
「……」
背中にピッタリとくっつくようにいたハゼロが、公爵の耳元で強気に訴える。息子に同調して夫人も横で囁いた。
扉が完全に開かれた。
公爵は妻と息子には返事をせず、遥か前方に鎮座する女王陛下と宰相を見据えた。
「『サーセンデス公爵家』、カルタロックの女王陛下へご挨拶に参りました」
「お入りください」
「はっ!」
出迎えた宰相ミラの言葉に、公爵と夫人は一礼して前へと進み出ていく。それに続く、やたら自信ありげに胸を張る長男。
そして、さらに数歩後ろ。
「はぁ…………くだらない……」
他には聞こえない小さな呟きと共に、やたら冷めた目をした『サーセンデスの次男』が静かに入室した。




