【八】炎
俺は呆然と炎を見つめていた。
キリアに拾われてから、ささやかな幸せを積み重ねてきた家が、赤い炎に包まれ、今、灰になろうとしていた。
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──キリアと出会ったのは、俺が五歳くらいの頃。でも正確な年齢はわからない。親にいつ捨てられたか、よく覚えてないからだ。
気がついたら俺は、天涯孤独の路上暮らしだった。いつしか自分の名前も忘れ、まるで獣のような日々を送っていた。
毎日生きるのに必死だった。そのせいか、その頃の記憶は靄がかかったみたいにおぼろげで、あんまり覚えていない。
だがキリアとの出会いだけは、今もはっきりと覚えている。
その日。
俺は、数日前から、一口も食べ物を口にしてなかった。あまりの空腹に耐えかね、露店のパンを盗んで、怒った店主に捕まり殴られそうになった。
その時、通りすがりの女が「お金は私が払う」と言って、小汚ない浮浪児だった俺を庇ってくれた。
それがキリアだった。
キリアは取り立てて特徴のない、若くはないが明るく元気そうな、どこにでもいそうな感じの女だった。
女は、勢いよくパンを貪る俺の横に座って、興味深そうに様子を見ていた。それから、ふと思いついたように口を開いた。
「ねえ、名前はなんていうの?」
「…………ねえよ」
「ないの?」
「わすれた。だれもよばねえし」
「そっか。じゃあ私がつけてあげる。ソラ、っていうのはどうかしら」
女を見ると、やたらニコニコしている。
ソラ。俺は胸の中でそれを繰り返した。響きは悪くねえな、と思った。
小さく頷くと、キリアは花が咲いたように嬉しそうに笑った。
「ソラ、よかったら、うちの子にならない?」
そうして俺は、その日からキリアと暮らし始めた。
前の年の流行り病で、キリアは夫と子供を失くしていた。俺は彼らの身代わりだったのかもしれない。
だけど、身代わりでも何でも良かった。キリアが俺を救ってくれた事実に変わりはないのだから。
キリアと俺は、普通の親子のように一緒に食事をして、ささやかな事で笑いあって、小さな事で本気で喧嘩した。
世の中の母親と同じように、俺を怒ったり心配したりするキリアに、くすぐったくなる事もあれば、反発する事もあった。
憎まれ口を叩いた後で謝ったら、キリアは笑って許してくれた。
殺伐とした"地界"で、女が子供を抱えて一人で生きてくのはけして簡単じゃない。
幼いなりに自分の置かれた状況を理解してた俺は、魔石採掘場が雇ってくれる年齢になると同時に、そこで働き出した。
稼いだ金でプレゼントを買って、ふわりと花が綻ぶようなキリアの笑顔が見たかったからだ。
──その俺らの家が、炎に包まれている。
「何だよこれ……」
悪夢を見てるのか……いや、悪夢ならまだ良かった。
二人で温かく過ごした思い出が、たくさん詰まった大切な場所。それが、思い出ごと燃え落ちようとしている。
地獄のような光景に立ち尽くしていると、燃える家のすぐ側に立っていた男が、こっちを振り返った。
家の方に気を取られてたから、気づかなかった。
そいつの顔を覆う、炎に照らされた十字紋の仮面。紺のフードを深く被り、マントをはためかせた長身の影は──火輪騎士団。
よく見ると、そいつは右手で剣を握り、左手でぐったりした女の髪を乱暴に鷲掴みにしていた。目を閉じて、引きずられるままになっている小柄な女は…………キリアだ。
騎士団はすでに俺達の素性をつかんで、キリアに手を出してたのか──
「キリアッ!」
「キリアさん!」
だが、俺が動くより早く──"狂犬"が、獰猛な牙を剥き出しにした。
レンは額のゴーグルを素早く外し、騎士に向かって叩きつけるように投擲した。同時に、地面を蹴って距離を詰める。
騎士が、ゴーグルを剣で振り払う。そうして隙が出来た絶妙のタイミングで、親友は地面を蹴って高く跳躍した。ガツッ、と強烈な膝蹴りが、騎士の顔面を直撃する。
騎士は倒れなかったが、よろめいてバランスを崩した。"狂犬"はそのまま騎士の頭上で一回転し、獣じみた素早さで騎士の背後に回った。騎士が体勢を立て直す前に、その膝裏に、強烈な蹴りを入れる。
さすがに耐えきれず、騎士は前のめりに膝をついた。その後頭部を、固い靴底で踏みつけるようにして、顔面を地面に叩きつけた。同時に剣を奪う。
「レン!」
全てがほんの一瞬で、止める暇も無かった。
あちゃー…………ここまでやってしまったら、自分達は絶対にただではすまない。完全にお尋ね者だ。
だがやってしまったものは仕方ない。キリアを助けるためにはしょうがなかったよな、うん。毒を食らわば皿まで、と俺も腹を括った。
"狂犬"は騎士の背中を踏みつけ、片足で頭をガスガス蹴りながら、奪った剣を弄んでる。冷やかな目に友人ながらゾッとする。あいつ何考えてんのかな……
俺はとりあえず、騎士からキリアを引き離し、息を確かめた。……そして心底ほっとした。
キリアは生きてた。殴られた跡はあるけど、致命傷になりそうな傷は見当たらない。多分、気絶してるだけだ。
しかし安堵したのは僅かな間だけで、氷のような声が背後から聞こえた。
「ナダルの仇だ。死ねよ」
完全に、"狂犬"のスイッチが入ってる。
「おい待て!」と止めたが遅かった。両手で握った剣を、足元の騎士の背中側から、心臓の上に勢いよく突き立てる。
「ぐうっ」
男がくぐもった声をあげた。だが────ガリッという音がして、思いきり突き立てたはずの剣が、固い何かにぶつかって止まった。
「……服の下になんか着こんでやがんのか。じゃあ首ならどうだ?」
レンが剣先でフードを切り裂くと、騎士が小さく悲鳴を上げた。あらわになった首筋に、"狂犬"が口の端を吊り上げる。
そして今度こそ、全体重をかけて騎士の首に剣を突き立てた。




