【九】逃げる
騎士は悲鳴一つ上げず、呆気なく絶命した。
それは、レンが遂に人を殺した瞬間でもあった。
……殺された騎士に同情はない。ざまぁ、としか。
火輪の奴らはシグマを虫ケラのように扱ってきたし、その報いでしかねえよな。
奴らはナダル爺さんを殺し、俺の家を燃やし、キリアも殺しかけた。許せるはずがない。
レンが騎士を殺した事についても、案外動揺はしていなかった。あいつの狂暴さは側でずっと見てきたし、心のどっかで、いつかやりかねんな、とか思ってたし。
「…………あーあ、ついにやっちまったか。いつかやらかすだろうなぁ、とは思ってたけどさー」
「うるさい」
あえておどけたら軽く睨まれた。
レンが顔にかかった返り血を拭う。動かなくなった騎士を冷たく一瞥すると、その背中から降りて、こっちに来た。
「お前、一対一なら火輪騎士にも負けねーんだな。さすが"狂犬"」
「奇襲が成功すればな。あいつ油断してたし」
レンの後ろの、剣が垂直に突き刺さった死体をチラッと見る。あまり現実感がなくて、奇妙なオブジェみたいだった。
まあやっちまったもんは仕方がない。とにかくここを急いで離れるしかない。
騎士団は俺らを血眼になって探すだろうし、捕まったら俺達は即座に殺されるか──あるいは拷問されるか。どちらかだ。
つーかどっちも御免だが。
それにしても……と、俺は炎に包まれた家を見上げた。
これだけの火事なのに、周囲の家は窓もドアもピタリと閉ざして、誰一人出てこない。
この辺りは家が密集している。火事を放っておけば周りに延焼するかもしれねえのに、レンが騎士と揉めた挙句に殺しちまったから一切関わりたくないんだろう。
それか、裏口からみんな逃げ出したのかもな。あっちの立場なら俺もそうしてたと思う。
薄情なようだが、これが"地界"で生きる術なのだ。
飛んでくる火の粉を払いながら、俺は倒れてるキリアを抱き起こし、軽く揺すって目を覚まさせた。
「おい、キリア、起きろ」
「ん……ソラ……?」
「動けるか?」
「え、ええ……何なの……家が燃えてる……?」
目が覚めたキリアは、炎を吹き上げる自宅を見た途端、ガタガタ震えだした。俺は、衝撃を受けているキリアを落ち着かせるように、荒れた手をぎゅっと握った。
「どうして…………っ!」
悲痛な声が胸に刺さる。でも今は嘆いてる時間も惜しい。命があっただけ幸運なんだ。
「キリア、聞いてくれ。ナダル爺さんが騎士団に殺された。あんたもそれに巻きこまれたんだ」
「ナダルさんが…………そんな、嘘よね………?」
「嘘じゃねーよ、俺達で看取ったから。あと理由はわかんねえけど、レンもあいつらに目をつけられてる。俺はレンと一緒に逃げるよ。でも、あんたは別行動の方がいいと思う」
「…………」
「多分、その方が、あんたは助かる確率が高いから」
キリアは息を飲んで、俺の声に耳を傾けていた。
こんな話を突然聞かされて、驚くのは当然だ。でも"地界"の人間なら、火輪騎士団の残虐さを嫌というほど知っている。
ついさっき、キリアもそいつらに暴力を振るわれたばかりなのだ。
「わかったわ」
キリアもここを離れるのが最善だと理解してくれたようで、泣きそうな顔で頷いた。
「ごめんな、俺は親友を見捨てらんない。だから、レンと行く。…………今までありがとな、母さん」
キリアの顔がくしゃりと歪んだ。
こんな状況でもなきゃ、キリアを「母さん」と呼べなかった俺は、本当にどうしようもないダメ息子だ。
「…………バカ。いつもババアとか言ってたくせに、こんな時だけずるいわ…………」
「うん、ほんとごめんな」
一瞬の抱擁の後、キリアは涙を拭って立ち上がった。それから、傍にいたレンをぎゅっと抱きしめた。
「私は、あなた達のように早く走れない。足手まといにならないように、私は私で行くわね。
でも忘れないでね、レン。これからは私があなたの母親になるわ。絶対に死なないで」
「キリアさん……ありがとう」
「ほら、行って、母さん」
「…………ソラ、第二層の"ギドの酒場"を目指して。ギドさんなら、きっとあなた達を助けてくれるはずよ」
キリアがぎゅっと俺の手を握る。そして、時折振り返りながら、闇に溶けるように走り去った。
「レン、俺達も行こう」
だが、友人は動こうとしなかった。
「おい、何グズグズしてんだよ!」
「…………お前はやっぱり、キリアさんを追いかけろよ。おれは火輪騎士を殺しちまったし、多分、本当の標的はおれだから……」
「お前はアホか?」
俺は手を伸ばして、ぐだぐだ言ってる悪友の頬を、むにーっと掴んで引っ張った。
「いてえな、何すんだよ!」
「俺はお前と逃げるって決めたんだ、今さらだっつーの! グダグダ言ってんじゃねえわ!!」
「でも、」
「でももクソもない。行くぞ!」
手を差し出すと、親友は躊躇いながらもそれを取った。ぐっと握りしめて、引っ張るように闇の中へと走り出す。その一瞬後。
二人の背後で大きく炎を噴き上がった。そして轟音と共に、家は跡形もなく崩れ落ちた。
──人目につかないように、俺達は"裂け目"に沿って走っていた。大型エレベーターは先回りされている可能性が高いと判断し、上の階層につながる非常階段を目指す。
この辺りはトロリーも走行しておらず、"裂け目"の縁であってもレールは設置されていない。家もほとんどなくて、街灯もまばらだった。
薄い暗闇の中をひたすら走る。だが───
「止まれ」
暗闇からすっと抜け出るように、三人の騎士が姿を現した。行く手を阻まれた俺とレンは、足を止めざるを得なかった。




