【七】別れ
来た道を迂回しつつ、人目を避けて移動する。そうしてあまり時間もかからず、レンの家の近くまで戻って来れた。
近くに追っ手の姿はない。どっかで右往左往してんだろ。けっ、ざまぁみろ。
第六層は建物が小さめなせいか、道が細く、複雑だ。行き止まりもたくさんある。
その上、"裂け目"に沿って作られた路地は、真っ直ぐなようで曲がってたりする。それが微妙に方向感覚を狂わす。
しかし俺達はそんな錯覚に引っ張られねーし、小さな路地までしっかり頭に入っていた。つまり、地の利は圧倒的にこっちにある。
そうして走りながら、俺の頭に幾つも疑問符が浮かんでは消えていく。
最大の疑問──それは、どうしてレンの家が火輪騎士団に襲撃されたのか。
ナダル爺さんを襲った男逹──火輪騎士団は、白火教会の下部組織で、"地界"の治安維持のために上層から派遣された部隊、っつー事になってる。
しかしそれは表向き。
本当は、恐怖による統治が目的だ。
拷問。殺戮。何でもあり。虫ケラのようにシグマの民をあつかう、超法規的集団。
「火輪騎士団に睨まれたら終わり」。それがここの常識だ。
一方で──俺の知ってるナダル爺さんは、誰より賢い老人だった。あの人が軽々しく騎士団と揉め事を起こすとことか、全然想像できねえ。
親友にしても、喧嘩っぱやいという欠点はあるが、騎士団はそもそもシグマ同士のトラブルにはあんまり介入しねーんだよな。
奴らが本気になるのは、シグマが皇国や教会に逆らった時で──地上への逃亡を企てたり、皇王や白火教の神を侮辱したり。
そういう場合に限られてんだ。
だから……爺さんやレンを狙われた理由がちっとも思い浮かばなかった。
「なぁ、なんで騎士団がお前んちに来たんだろ。心当たりはねーの?」
「…………さぁな」
素っ気ない返事に、まあそれもそうかと俺は肩をすくめる。
「あいつら、理由なんていくらでも捏造できるもんなぁ…………それより爺さんを早く助けてやんねーと」
「……ああ、急ごう」
頷きあって、迷路のような街を走る。
++++++
──俺とナダル爺さんの付き合いは、レンと知り合った直後から始まる。
育ての親、キリアは食堂の下働きで忙しかったから、暇を持てあました俺は、自然とレンの家に入り浸るようになった。
ナダル爺さんは穏やかな恰幅のよい老人で、厳しいところもあったけど、俺のようなクソガキにもなんだかんだ優しくしてくれた。
俺に字や計算を教えてくれたのも、爺さんだった。
キリアがチンピラに絡まれた時、間に入って穏便におさめてくれたのもあの人。俺とキリアは、爺さんの世話になりっぱなしだった。
そんな人が、騎士団にあんな風にやられていいはずがない。
────息を切らせて家に駆け戻る。
残った見張りはおらず、周囲はしんと静かだった。用心深く観察したが、それらしい人影はない。
「……じいちゃん!!」
「爺さん! 大丈夫か!?」
家に入ると、レンが真っ先に爺さんに駆け寄った。うつぶせの体をそっと起こし、老人の口元に手をかざしたレンが、「……生きてる」とくしゃりと顔を歪めた。
だが──俺は、仰向けになった爺さんの腹を見て、あまりの酷さに絶句した。
腹を抉るように深く斬られ、今なお出血が止まっていなかった。
この傷。一体何があったら、こんな事になるのだろう。胸が引き裂かれそうな、叫び出したい程の不条理だ。
「じいちゃん……」
レンの呼び掛けに、老人が薄く目を開く。
意識は戻ったようだが、腹部の傷は、どう見ても素人の応急処置で何とかなるものではない。俺ら二人じゃどうしようもなかった。
「ソラ、医者の所に……!」
レンが縋るように俺を見上げた。が、爺さんは、苦しそうに呼吸しながら、掠れた声でそれを止めた。
「……いや、医者は、いらない。この傷では、助からない」
「ふざけんなよ、何言ってんだよ……!」
「レン……いえ、ラジュレーン様。あなたはここから、一刻も早くお逃げください」
…………ラジュレーン
レンのことか? 初めて聞く名前だ。それに爺さんの口調がいつもと違う。
どうやら、二人の間には俺の知らない秘密があるらしい。戸惑いはしたが、今はそれどころじゃない。
色々ついていけないけど、ナダル爺さんがそっと微笑むのを見てしまったら、一気に胸が詰まった。
この善良な人が、黄泉の国へ向かおうとしてる。今この場で一番重要なのはそれで、俺はただひたすらに悲しかった。
「………七年間、あなたのお世話をさせていただき、本当に幸せでした。これからも……どうか健やかに……」
言い終えた老人は穏やかな笑みを浮かべて、静かに目を閉じた。レンは動かなくなった爺さんを呆然と見つめている。
親しい人の理不尽な死。
全身を打ちのめすような衝撃から気持ちを建て直すには、少し時間がかかった。でも…………俺達はここでぼうっとしてる暇はない。
爺さんの皺だらけの首にそっとふれる。
まだ温かい。
だが──脈動は感じられない。
いや、あれだけの傷で意識があったのが奇跡だった。爺さんは最後の力を振り絞って、レンに自分の言葉を伝えたかったんだろう。
…………聞きたい事は幾つもあった。だが、一先ず全部後回しだ。
騎士団から逃げる事を第一に考えないと、奴らがいつ戻ってくるか分かんねえからな。
「レン、爺さんの言う通りだ」
じっと動かない親友の肩を躊躇いがちに叩く。
「ここを出よう。騎士団が戻ってきたら、お前もヤバイだろ」
「あぁ」
友人は目をぐいっと拭いて、膝に乗せていた老人の体をそっと床に横たえた。
「ここに置いていくのを許してくれ。ごめん、ナダル」
呟いて、レンが立ち上がった。
いつも冷静で泰然としてる親友が、今は、小さな子どものように頼りなく、肩を落としてる。
それを見て、俺の中に一つの決意が沸き上がった。
俺はそっとレンを抱き締めて、あやすように背中を叩いた。
「……今決めた。俺はお前と一緒にどこまでも逃げてやる。だから安心しろ。嫌だっつっても、絶対ついてくからな」
「……脅しかよ」
「そーかもなぁ。地獄まで一緒に行こうぜ、親友」
レンがかすかに笑った。俺は体を離し、親友の肩を叩く。
「よし、今すぐ荷物をまとめろ。いいな」
「ナダルは、本当は祖父じゃなかったんだ」
鞄に荷物を詰めている途中、レンがポツリと呟いた。
「……そっか。実は俺も、似てねえなってずっと思ってたんだ」
「ちょっと無理あったもんな」
親友は、青白い顔に小さく笑みを浮かべる。しかしそれ以上は何も言わず、作業に集中した。
僅かな時間で荷物をまとめ、家を飛び出す。そして俺の家に向かった。
キリアはこの時間、家にいるはずだ。俺は事情を説明し、俺達とは別々に逃げるよう、伝えるつもりだった。
騎士団が動いてるなら、レンやナダル爺さんと親しかったキリアにも危険が及ぶかもしれない──と、そう考えたからだったが。
その予想は正しかった。
だが、一歩遅かったらしい。
「…………嘘だろ」
俺の家が、赤々と燃えていた。
キリアと二人で過ごしてきた小さな家が、狂ったように踊る炎に包まれていた。




