4、fall in love/それは、色鮮やかで
幹人目線です。
「失礼します。副会長、書類棚の鍵をお忘れです」
「ああ、仁科さんか。ありがとね、うっかりしてたよ」
温室の出入口から生徒会役員の芽衣がおずおずと顔を覗かせていた。眼鏡をかけ直して力なく笑う幹人を見て、芽依が眉をひそめる。
「顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
「いやー大丈夫じゃないなー。仁科さん、まだ時間ある? ちょっと話聞いてほしいんだけど」
「ええ、私でよければ」
芽衣はこくりと頷き、幹人の隣の椅子に腰かけた。生徒たちから密かに「氷の華」と呼ばれる美貌に心配の色が透けて見える。幹人は初等部の頃から生徒会を通じて彼女と顔馴染みなので、冷淡にみえる表情の裏側が感情豊かなことを知っていた。
先程のやっかいな事情を幹人が話し終わると、芽依は目を据わらせる。
「……大変失礼ながら、会長はポンコツでいらっしゃるのですか」
「うん、ひどいポンコツだね。勉強や生徒会の仕事はしっかりこなして、三島さん限定で暴走してるって不器用だな……いや、ある意味器用なのかも」
「あれだけ好意を垂れ流しにしながら、今更恋心を自覚して動揺するなんて……これまで以上に会長に振り回されるであろう三島さんが可哀想で仕方ありません!」
憤りのあまり、芽依の青い瞳は潤んでいた。彼女は有名なフランス人デザイナーの父と日本人の元パリコレモデルの母を持つハーフなのだ。
「相談されたときから思っていたけど、三島さんに対してやけに熱心だよねー。こういってはなんだけど、仁科さんもハルみたいに人付き合いが苦手なのかなぁって思ってた」
「……あの、笑わないで、聞いてもらえますか?」
「うん」
芽依は少しの間俯いていたが、意を決して顔を上げる。
「三島さんって、『ハム治郎』に似てるんです。入学式前のクラスの顔合わせをしたときから、ずっと気になっていて」
「はむじろう?」
「私の愛するハムスターの名前です。お気に入りのバウムクーヘンのお店から取りました。ハム治郎はふわふわで大きな黒目が愛らしくて、食べ方や寝相が豪快で、唯一無二の存在なのです!」
「とっとこハム治郎……うん、なるほど、名前もかわいくてかっこいい、味わい深くていいねー」
別のハムスターが幹人の頭の中をへけけっと走り回る。そのイメージを振り払いながら、芽依のハムスターを褒めた。
幹人も「寿限無」という名前のハリネズミを飼っている。ペットは大切な家族の一員だ。芽依のように絶讚する気持ちがよくわかり、深く共感した。
芽依は目を大きく見開き、頬を染めるて感激する。
「わあ、家族にも不評なハム治郎の名前を褒めてもらえたの、初めてです! 嬉しい! ハム治郎はトレビアンハムスターなんですよ」
「ト、トレビアーン……なるほど、うん。ああそれに、三島さんの小動物感もよくわかるよー」
園芸部で活動している葉子を遠くから見かけたことがある幹人も納得した。小柄な体で土を運んだり水やりをしたり、一生懸命に取り組んでいる姿は、たしかに庇護欲をそそる。
「三島さんと話してみたいと思っているうちに会長の騒ぎが起きて。悔しいですけど、そのおかげで三島さんに声をかけるきっかけができて、話せる機会が増えたんですよね……複雑です」
「実際話してみて、どうだった?」
「私が生徒会役員として会長を止めると言ったら、影響力のある人に逆らったら生徒会の中での立場が悪くなるから無理しないでと、自分が一番大変なのに他人の心配を真っ先にするような子でした。注目されて人が集まることで、クラスの皆にも迷惑をかけていると、罪悪感を感じているようです……」
「そんな優しい子を悩ませていたなんて、胸が痛いよ。強行手段でも取るんだった」
春尚に張り合えるのが自分くらいだとわかっていたのに、対応が遅れたことを幹人は悔やんだ。
芽依が寂しげに口を開く。
「私は子供の頃から大柄で、顔立ちもキツくて、同い年くらいの友達から敬遠されていたんです。まあそれは今も変わりませんが。それで臆病になってしまい、自分から周りと距離を取っていました」
「そっか」
「三島さんのことは、最初はハム治郎と似ててかわいらしいところに惹かれましたが、今ではちゃんと友達として仲良くなりたいですね」
「大丈夫、なれるよ」
幹人の励ましを受けて、少し照れた芽依は穏やかに笑った。
初等部時代の芽依は、同年代の男子に比べても背が高かった。大柄というよりは両親譲りのスタイルのよさが目立ち、顔立ちも大人っぽかったので、遠巻きにされていたのだろう。
幹人は学年が違ったので、生徒会の活動でしか関わりがなかったが、確かに仕事以外のことで周囲と話している芽依を見たことがなかった。
だからなのか。こんなにくるくると表情が変わるなんて、知らなかった。まるで雪解けの後の麗らかな春の陽光のような柔らかな彼女の笑顔から目が離せない。
じっと見つめすぎたため、芽依とバチッと視線が合わさってしまう。
「副会長? どうなさいました?」
「えっ?! えっと、ところで、ハム治郎は飼ってどれくらいになるの?」
「ハム治郎ですか? ええと、十年前に出会ったので……」
「うわわ、あの、知らなかったとはいえ……」
いつもの余裕はどこへやら、幹人は取り繕うように芽依のハムスターについて尋ねたが、完全にやぶへびだった。ハムスターの寿命は短く、一年から二年ほどである。十年前のハムスターが今も存命とは考えられない。
幹人は悲しい記憶を思い出させてしまったと慌てて詫びようとするが、芽依はにっこり微笑む。
「今は五代目ハム治郎です。初代から四代目のハム治郎たちと同じくらい可愛がっていますよ」
「世襲制なの?!」
「名前にも愛着がありますから。あだ名は治五郎です」
「治五郎……柔道が強そうだね……ふふ、あはは! 仁科さんのネーミングセンス最高! 今度治五郎の写真見せてよー」
さっきまで春尚のことで悩んでいたのが嘘のように、幹人は心が軽くなるのを感じた。笑いが止まらない。芽依は幹人を不思議そうに眺めていたが、腕時計で時間を確かめると、椅子から立ち上がった。
「今日は父が迎えに来ていますので、そろそろ失礼しますね。次回の生徒会の定例会で治五郎の写真集をお持ちしますよ」
「あはっ、写真集あるんだ! 楽しみにしてるー」
「三島さんのことは、他の役員たちも交えてまた相談しましょう。それでは失礼します」
「話を聞いてくれてありがとねー。僕はまだ用事あるから。もう結構暗いから足元に気を付けて」
いつもの凛とした澄まし顔に戻った芽依は、深々と頭を下げた。彼女の腰まである艶やかな黒髪がふわりと舞う。幹人はヒラヒラと手を振って見送った。
温室の出入口から芽依が消えてしばらくしてから、幹人はがしがしと髪をかき、声を漏らす。
「あー仁科さんかわいい。ハム治郎のセンスもツボにはまるわ。ヤバいかわいい。あー」
ハムスター愛を語る楽しげな顔、葉子を慕うはにかんだ顔、こちらを気遣う柔らかな顔。
芽依のいろんな表情を見たのも、これだけたくさん話したのも、初めてだった。
孤高のクールビューティーは、ハムスター好きなマイペース女子だったなんて。ギャップ萌えが心底理解できる。
彼女の本当の姿を誰にも知られたくない。自分だけが理解者でいたい。全てが愛しい。
このむずかゆい気持ちの正体に、幹人はすでに気付いていた。
「はーあ、生徒会のトップが二人してポンコツになるのは、さすがにヤバいな……」
幹人は顔を片手で覆いながら、明日からどんな顔で芽依に会えばいいのかわからなかった。
『ポンコツ』になるとは、どんな状態なのか。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
ひとまずここで終わりですが、好評でしたら幹人目線かはっぱちゃん目線で、この先の連載をしようかなぁと考えてます。
新しい登場人物とか出して、ひたすら友達以上恋人未満のもだもだ学園ラブコメになること請け合いですが(笑)