【ESP Abilityの壁】
史弥は武道場と呼ばれる建物の中、正方形にひかれた白砂の巨大なフィールドを無我夢中で走っていた。
フィールド周囲には立方体の強化ガラスが張り巡らされ、内側からの衝撃を外側へ漏らさないよう施されている。
フィールド外では大勢の生徒達が中央へ向かって歓声を送る。
だがその声援のほとんどは、史弥へ送られているものではなかった。
彼は砂地を走り続けながら後ろを気にかけつつ、
どうしてこうなったのだろうか、なぜ追い回されないといけないのだろうか、と心の中で愚痴る。
だが悠長に事を構えていられる余裕は史弥にはなかった。
「ハァハァ…………、ちょっと待て……!? それはヤバイって!?」
彼の悲痛な叫びにも似た悲鳴と同時に火炎球が後方から降り注ぐ。
寸前で横へ素早く移動し、躱す。
紙一重で躱された火炎球は柔らかな地面に着弾し、白砂が舞い上がり砂塵が起こる。
舞い上がった砂塵が口に含まれ、砂と認識するや不快指数が上がる。
「容赦ないな…………」
立ち込める砂塵に人影が写る。
そして切れ目からゆっくりとその姿を現す。
狩りを楽しみ、ゆっくりと獲物を追い詰めるかのような余裕な態度を見せた涼が。
「お前が俺の邪魔しなければこうならなかったんだよ」
「嫌がってる女の子を助けて何が悪い」
「お前は分かってないようだな。
力のない人間は身の丈に合ったことをしないとどうなるか」
「なら身の丈に合った事をさせてもらおうじゃねぇか」
先ほどまで逃げていた史弥は涼へ向き直り戦う姿勢をとる。
「もう逃げ回らない。正面から戦ってやるよ」
涼はこの時、空気が変わるのを感じたがそれがなんなのかは直ぐには分からず、理解できなかった。
だが、それは言うなれば殺気の様なもの。
周りにいる観衆達はフィールド内と壁で隔たれていることもあり気づかないだろう。
中にいる当事者同士でしか感じられない場の不思議な感覚だった。
背筋凍るような寒気に襲われ、涼は身震いを覚える。
その対面で半身の構えを取る史弥。
顔つきは先ほどと様変わりしていた。
真剣で鋭い眼差しを涼に向けている。
「へぇーお前武術でも習ってるの? 何? モテたいの?」
空気に押されて引き下がるわけにもいかない涼は一瞬感じた感覚をおくびにも出さずに対面した。
「違う。これはそんなんじゃない。
これは誰かを守らなければいけなくなった時の準備みないなもんさ。
俺の父親はいざって時に何もできないのが大っ嫌いで、後悔する人なんだ。
それが例え喧嘩だったとしてもな。
だから父親はとある武術を極め、師範代まで上り詰めたんだ。
その教えの結果がこれさ。
今ここで見せてやる。鍛錬の成果をな」
史弥は涼をキツく睨む。
「お前と違ってイタズラに力(EPS Ability)を使うような奴とは絶対に違うんだよ」
「だからどうした? 体術では俺のESP Abilityには勝てない。
制限時間いっぱいまで逃げていた方がまだ利口だぞ。
まあ、逃がさないけどな」
涼は自身で言ったセリフの矛盾に嘲笑を浮かべる。
非情に嫌味な言い方であった。
「お前も説明は受けてるだろ、この試合のルールを。
まぁ俺たちの場合は特別ルールになってるけどな」
「分かってる。そのルールに則ってやらせてもらうつもりだ」
「ならこいよ、遊んでやるから。
何も使えない無能力者の結果は見えてるけどな」
「やって見なきゃ分からないだろ。
見せてやるよ、無能力者の底力を…………なっ!!」
史弥は地面を強くけりだし、涼に向かって一直線に力強く走り出した。
◇~一日前~◇
入学式から数日経った新しいクラス(1ーA)で史弥は自分の席で休み時間を過ごしていた。
今は一限目前の休み時間。そして窓際の最後尾の机に座っている。
ここが入学式で決まった史弥の席だった。
涼しい風が入りやすく、とても居心地がいい。入学以来の憩いの場所となろうとしていた。嫌なことを忘れさせるほどに。
すると少し離れたところから史弥に対してのあだ名を交えながら、ヒソヒソと微妙な声量で、男子生徒達の話し声が聞こえてくる。
「なあ? あいつが涼に楯突いた紋無しだぞ」
「バカだよな。涼に逆らうとどうなるか分かってないんだぜ」
「能力もないのに…………、身の程を知れってんだ」
「あいつと関わると俺らまで何されるかわかったもんじゃない。
だから関らないようにしようぜ?」
「そうだな、ああゆう奴はあの窓際がお似合いだぜ」
──『何がそうだな、ああゆう奴はあの窓際がお似合いだぜ』だ。それと紋無しで悪かったな。間違ってると思う事に対して意見を言って何が悪い。
史弥はクラスメイトの村八分な対応に内心腹を立てていた。
そして、最悪のスタートを切ってしまった学校生活に辟易として溜息をつく。
「はぁ~、まぁ一人の女の子を救えたのならそれで良しとするか。
一先ずは前向きに考えよう。そうしないと気が滅入る」
ポジティブな思考方向へ転換して気分を変えようと試みてみる。
(みんなとのコミュニケーションを犠牲に俺は美少女一人と仲良くなることができたんだぜ。凄いじゃん、薔薇色じゃん俺!)
くだらない事を脳内で考え、自身を鼓舞していると金髪の美少女が近づいて来ている事に気付くのが遅れる。
「おっはよぅ史弥! 朝から何シケた顔してんだよ」
「なんだ憐可か…………、今日は可憐じゃないのかよ」
「はぁーー!? 私じゃ不満なのかよ!!」
「だって可憐の方がお淑やかで可愛いもん」
目元をキツくすると憐可は口調を荒くしてさらに追及する。
「はぁーーーー!!?? 可憐と私は同一人物なんだから今の私も可愛いだろ! 訂正しろ!」
「レンカチャンモカワイイデス」
「片言じゃねぇか!!」
朝一番の教室に憐可の声が大きく響く。
その声量に周囲の生徒の目線もこちらへ集まったのを史弥は感じる。
悪目立ちは只でさえ押さえなければならない。
少し肩を竦める史弥だったが、結局騒がしく揉めた。
基本的には憐可だが。
「しっかし、お前の周りほんと人いないよな」
「ほっとけ、それに誰かさんを助けたからこうなってんだろ?」
「まだ言うか。だから言ってんだろ? 助けなくても自力でどうにか出来たって」
憐可はそういうと釣り目を細めて、そのオッドアイを史弥の顔に近づけ、しかめっ面になる。その距離感と容姿が女性を意識させるだけの魔力を彼に魅せる。
鋼の精神力──には程遠いが何とか邪な想像を払拭して近い距離間のクラスメイトから顔を離して意識を健全に保つ。
「はいはい、分かったよ…………」
男子高校生と接しているのを分かってかその様子を何気なく見過す憐可は学生鞄を自身の机に置きに移動する。
彼女が移動するに合わせクラスメイトの視線も自然と追っている。
主に男子生徒だが。
金髪とアシンメトリーの瞳の色だけが目を引くだけではなく、美少女だという事も視線を奪う動機に多分に含まれるだろう。
そんな彼女こと、憐可と初めて会ったのは入学式初日。
風紀委員室を退出したあとの話だ。
史弥はまだ真新しい入学式初日、憐可との邂逅を記憶から呼び起こしいく。
〜回想〜
「あたしの名前は憐可さんだ!!」
「…………えぇええぇーー!?」
史弥の目の前には、先ほどと打って変わって腰に手を当て、仁王立ちする美少女がいる。彼女からはか弱い女の子の姿を微塵も感じさせない勝気な雰囲気が漂う。
「名前は可憐じゃないの? それにその……姿が……」
戸惑いが史弥を困惑させる。数秒で髪色と瞳の色が変化する人は一般人にはいない。
理解が追い付かない頭で思考して考えられるのは彼女がニューマンだからとしか予想できない。
「あんたはあたしの事初めて見るから説明してやる」
「私のESP Abilityはデュアルフェイス(二重人格)。
その名の通り、あたしはもう一人の可憐なんだよ。でも同じ可憐って名前だと呼びづらいだろ?
だからあたしはあたしの事、憐可って名乗ってるんだ。
それとあたしが現れる時は髪色と瞳の色が変化する。
理解できたかい?」
理解を求められるが現実にそんなことが起こるのか史弥には信じがたかった。
実際に現実に起きているのだから信じるしかないのだが。
「それは見ればわかるけど……。でも色々と信じられなくて理解がまだ追い付けない…………」
目の前にいた可憐な乙女はいない。書いて字の如く儚く消えてしまった。
代わりに男勝りで粗暴な言動の美少女がいる。
「どうだビックリしただろ!」
「手品で驚かいしてやったみたいな言い草だな。まぁちょっとはビックリしたけど」
本当はだいぶビックリしたが、してやられた感がちょっと悔しくて憐可の前で史弥は強がってしまう。
「あと言わせてもらうけど、さっきはあたしが涼って奴をぶっ飛ばせたから余計なことすんな」
憐可はその形の良い胸を張り突き出すと自信満々に、はっきりと言い切る。
しかしこの言動には納得いかないので史弥は口を挟む。
「おいふざけんな! お前何もしてなかったじゃん!」
「何でもかんでも私がやってたら可憐が成長しねえだろ。
あえて何もせずに可憐に乗り切って欲しかったんだよ」
「なるほどね…………、ってそれで納得できるか!? それならもっと早く出て来いよ!」
「それについては悪かった。代わりにその勇気は認めてやる!」
そう言った憐可はけらけら笑いながら史弥の肩を力強く叩く。
自分の非をあっけからんと認める所は中々殊勝で憎めないところだが、言い方が癇に障る。決して悪い人間ではないのは理解できるが。
「はぁ~…………、それでそのデュアルフェイスってのは二重人格の事だけを指すの?」
先ほどの出来事で厄介な人物にマークされた一件が、自力でなんとかできた事に対して史弥は溜め息をつくと話を切り替える。
「どうゆう意味よ?」
「ニューマンはESP Abilityが使えるからニューマンなんだよ。
でも憐可は髪色と瞳が変わる以外は世間一般の二重人格と変わりないじゃん。どこにニューマンの要素があるの?」
「あぁそうゆう意味か。もちろん人格と容姿変化だけがこのデュアルフェイスの特徴じゃないさ。あたしのESP Abilityは…………」
憐可は言いかけて校内に授業開始の予鈴が鳴る。
「この話はまたあと。今は教室に急がないと遅刻するよ!」
新しい教室に向かって憐可は走り出して史弥を置いていこうとする。
「おい! ちょっと待てよ!」
出遅れた史弥は急いで追いかけた。
初対面で彼女の荒々しい言動や男勝りな口調に女性らしさの欠落や近づきづらい雰囲気はあったものの、意外と喋ってみればフレンドりーな態度と砕けた感じが好感を抱ける。
そう彼は思いつつ、今日の出会いは捨てたものでもないなと思うのだった。
〜回想終了〜
記憶の深淵から現実へ史弥は意識を戻す。
鞄を机に掛けた憐可は彼の元に何も言わず戻ってくる。
今はそれが当たり前となっていた。
憐可と出会い、入学式初日以降は毎朝挨拶を交わし、史弥の座席で雑談する。
さらに言えば入学式初日以降から可憐とはなかなか会えていない。
たまに会えたかと思うと、史弥の顔を見て少し固まると憐可と入れ替わってしまう。
もし避けられているのならショックな事案だ。
「それにしても可憐に避けられてんのかな~」
「うん? 可憐? あいつならお前に会うの、いつも楽しみにしているよ?」
「じゃあなんでいつも憐可なんだよ」
「そ、それはどうだって良いだろ! 細かいこと気にするなよ!」
若干慌てながら史弥の背中をバンバン叩く。
どうやら彼女は誤魔化したり、動揺すると先に手が出るタイプなのだろう。少々力んでいるのか微妙に痛かった。
「そんな叩くなって!
全く、見た目そんなに良いんだからもっと可憐を見習ってだな……」
照れて隠しのつもりで背中を叩く憐可を横目に史弥は授業に必要な教科書を出そうと机に下げた鞄に手をかける。
そこで男子生徒が声をかける。もちろん史弥ではない。憐可にだ。
声色が友好的であることからも察せれる。
「春山さん、今、良いかな?」
「なに? あたしに用かい?」
史弥と初めて会話したときのように距離を置くような一歩引いたトーンで返す。
入学もとい編入して日が浅い彼女からしたら当然と言えば当然だろう。
だがその効果は絶大すぎたのか他と一線を画す美貌の持ち主とあって声をかけた男子生徒は緊張と委縮が同時に襲ってきているようだ。
だが気を取り直して普段話しかけない男子生徒は物怖じしながらも異を決して声を発する。
「そいつと関わるのはやめた方が良い」
はっきりと断定した発言に憐可の眉がピクリと反応する。
「どういう意味よ」
憐可の苛立ったような声色が軽いジャブとなって男子生徒にぶつかる。
態度も少し苛立ち交じりだ。
だが話しかけたからには男子生徒も引けないのだろう。
明らかに気後れしているが言葉を継いだ。
「そいつは鈴原に能力もないのにぶつかりに行った奴だよ?
春山さんは編入して知らないかもしれないけど、鈴原は学内でも強い権力を持ってるやつなんだ。そんな奴に逆らったんだ。いずれそいつは報復を受ける。
そうなったら春山さんだって巻き込まれるかもしれないんだよ?」
「そんな事、あんたには関係ないでしょ?
あたしはあたしで、自分で決めて須山とツルんでるんだ。あんたに指図されるいわれはないけど。
それとあんたのその言い方、気に食わないんだけど」
大きく一歩、男子生徒の前に出る憐可。
同時に男子生徒の制服に歪な皺が出来る。
史弥が気付いた時には男子生徒の胸倉を掴んでいた。
「あたしは能力で怯えたりしないし、人を能力なんかで判断しない。
あんたらもそんな奴にびくびくしてて恥ずかしくないの?
ここにいる須山の方がよっぽど度胸あるし、あたしは話してて楽しいね」
そう言って、胸倉を掴んでいた男子生徒を軽く突き飛ばして離す。
「…………こんな能力(ESP Ability)があったって、孤独にしかならないんだから」
最後に小さく呟いた。
一瞬寂しげな表情を浮かべ、すぐに戻した憐可に史弥は何処か引っ掛かりを覚える。
付き合いの短い彼には根の深そうな影を彼女に感じた瞬間でもあった。
「もう分かっただろ。心配はいらない。
自分の事だけ考えてな!」
「チッ、もうどうなっても知らないからな! 忠告はしたから!」
男子生徒は捨て台詞のように言い残し、他の生徒達のところへ去っていった。
「ほんと、感じ悪いな! 別に誰とだって仲良くしていいだろ! なんで決めつけられないといけないんだよ!」
憐可は振り向きざま嫌気が指したのか吐き捨てる。
言葉遣いは汚いが彼女は優しかった。
決して他人から好意を持たれる程、人が出来ていると史弥自身、自惚れている訳ではない。もし鈴原涼が学内で権力ある生徒だと知っていたら、あの時史弥は躊躇し、もしかすれば助け無かったかも知れない。
その可能性を憐可だって気付いているはずだ。
まだ知り合ったばかりのクラスメイトを切り捨てる事も簡単だ。
それに彼女自身、自分でどうにか出来たと言っている。
だが庇ってくれた。
だから史弥はしっかりと本音で伝える。
「憐可、ありがとうな」
もう一人のクラスメイト(憐可)に感謝の言葉を。
憐可は少し驚いたかと思うと頬を紅色に染めながら、頭をぽりぽり掻く。
視線は色々な方向を泳いでいる。
「ダチ公が言われてるの見過ごせるか」
「でも、もし鈴原の事を最初から知ってたら助けなかったかもしれないんだぞ?」
「そん時はあたしがどうにかするから大丈夫! それに須山は現にあたしを助けた。
それは事実で変わらない。鈴原の事知っても知らなくてもあの状況なら普通は見て見ぬフリ。他人なら猶更だ。でもあんたはあたしを助けた。それで良いじゃんか!」
最後に「たらればの話はやめようぜ」と付け加えて。
だから今は高校生活初めての友達でクラスメイトに感謝するしかなかった。
「サンキューな」
短く伝えた史弥の顔は少し熱を帯びていた。
そして、お互いになぜか顔を向けられないまま予鈴のチャイムが鳴るのだった。
◇◇◇
楽しそうに二人が談笑している様子を教室の外から観察している人物達がいた。
「やっぱりまたあいつと一緒にいるよ」
浩介は忌々しそうに涼へ耳打ちした。
しかし彼は表情一つ変えず今は無関心だった。
さらに隣にいるケイはそんな涼に提案する。
「どうするよ? あいつどっかで絞めちゃう?」
「いや、今は何もしない」
「おい、どうしてだよ」
やる気を見せてにぎり拳を作り、掌でぶつけていたケイは拍子抜けな声を漏らす。今一つ涼が考える事が分からなかった。
「だから言っただろ、今は良いんだ。
お前ら明日の五限と六限の授業は何か言ってみろ」
「確かECT(ESP Ability special congruence training=異能力特別合同実習)だったよな…………。そうかそういうことか…………!」
ケイは自分で呟き気付く。端で聞いていた浩介も察しが付く。
二人が気付いた事を確認し、涼は不敵な笑みを浮かべた。
「ECTは中学でもあるが、高校生になるとESP Abilityによる摸擬戦が追加される。
それを利用するのさ」
「確かにあの授業なら能力開放してもお咎めなしで、公然とぶっ飛ばせるけど……。
でもよう、それって意味ないよな。あの授業は肉体的に痛めつけることが出来ないからさ?」
浩介は思考した内容を涼に疑問として述べた。
対して涼は笑みを崩さない。そんなことは百も承知で手を打ってあると言わんばかりに。
「ちゃんとスパイスを加えてある。明日使用する機材にな。
後で説明してやるよ」
涼の回答に二人は首を傾げ、その言葉の意味を理解できなかった。
未だに笑みの正体の真意を汲み取れない。
二人は分からぬままお互いの顔を見やりながら無言になる。
そしてケイと浩介の思考を置いて涼は独白に近い独り言を呟いていく。
「じっくり楽しませてもらうさ。
この俺に立てついたんだ、ただでは済まさない。
ちゃんと女の前で派手に突っ伏して惨めな姿を晒せ。そして最高の入学プレゼントを渡してやるよ」
涼は鋭い眼光を光らせ窓から見える須山に視線を向ける。
さらに隣にいる憐可にも目がつくと値踏みするように見る。
「いつ見てもいい女だな。
姿が初対面の時と比べて変わっているな。特殊なESP Abilityを持っているのか?
益々気に入った。弱弱しそうな雰囲気も良いが、あの勝気な態度もそそるぜ」
遠目から見た憐可に対して評価を下した涼はさらに所有欲を深めていく。
まるでおもちゃを見るような眼つきだ。
「涼は良い女に目がないからな。
逆らえば逆らうほど、蹂躙して、屈服させて従わせる。ほんと涼はサディストだよ」
「それだけ強情な分、歪んだ時の顔が最高なんだよ。
屈辱に塗れた表情ときたら…………。ハハッ。思い出したら溜まらねぇな」
「おいおい、ほどほどにしろよ」
浩介は視線を同じ場所に向けながら忠告を涼へ述べる。
だが気にも留めない素振りで嘯く。
「どうかなそれは。手に入れてからのお楽しみさ。
だがそれよりもまずは須山だ。
あいつだけは普通じゃ終わらせねぇよ。邪魔した事を後悔させてやる」
浩介はその時の涼の横顔が印象的だった。
今まで見た人間の中でひどく濁った眼をし、口元は歪み、これから相手をどのように嬲るのかを思案するような残忍さを秘めた表情。
涼の友人である彼だったがその異常性には恐怖を覚えるばかりだった。
◇◇◇
彼女には思い出したくない過去があった。
これは転校前の中学の話だ。
両親は一般人だった。そんな両親からニューマンとして彼女は生まれた。
そして出生してすぐ国の管理する育児施設へと預けられる事になる。
両親はその施設へ通い、子育てを行った。決して愛情を注がれなかったわけではない。むしろニューマンでも二人は愛情を注いでくれた。
当時の社会情勢はニューマン差別が横行しており、ニューマンには生きづらい時代だった。実際、ニューマンの子を捨てる親もいた。だがそうはならなかった。
おかげで彼女は元気に育っていった。
ニューマンは乳児の頃からESP Abilityが使えるわけではない。
だが絶対でもない。無自覚に能力(ESP Ability)が発動する事もあり得た。
故に普段の生活で突然、能力が発動して誰かに怪我を負わせてしまう危険性もあった。
だから施設では最新の注意が払われ、生活する事になった。
小学校に進学後は、一般の小学校と比較すると、定期的な検査が多い程度で、他の一般人と変わらない生活を過ごした。
ただ言われた通りに勉強をして、無邪気に遊んだ。
この頃、まだ彼女には能力が使えなかった。
周囲を見渡すと、同世代の子達は徐々に自分の能力を覚醒させていく子が増えてきていた。
でもそんな事はみんなどうだって良いと思っていた。
本当に些細な個人差くらいにしか感じていなかったのだ。
みんな将来への不安などはなく、なりたい職業を唱え、自信で満ち溢れていたと思う。
そんな毎日が中学でも続くと思っていた。
中学へ進学した彼女はこの頃から異性というものを意識し始めた。
周りの同性に比べて、容姿が良い分類に属していた彼女は同世代の男子からチヤホヤされたり、露骨な好意を抱かれる事が増えていた。
その分、同性からは、表面上仲良くされるが、陰口を叩かれるようになっていった。
仲の良い同性は離れていき、孤立していくのを彼女は感じていった。
男子は一目置くようになり、高嶺の華と称して、距離を置くようになった。
ただ一人を除いて。
周りと違い彼は、分け隔てない態度で彼女に対して接した。
この時、彼のその姿勢が好きだった。非常に好感を持てる人だった
だが、恋愛対象としては見ておらず、友達として一緒に居たかった事を少女は覚えている。
「なぁ、可憐。今日の学校終わりに俺の家で勉強教えてくれないか?」
唯一の友達と呼べる男の子から学校外で会おうと誘われた。
「良いよ! 何時に行けば良いかな?」
この頃は、成績が上位の方に彼女はいた。
定期考査の順位が張り出されると上位に名を連ねていたのだ。
彼はその事を理解して誘ってきたのだと思っていた。
それに彼は勉強が得意ではない事を少女は知っていた。
だから快く快諾した。
唯一の友達と呼べる子に誘ってもらえて、とても嬉しかったのだ。
特にそれ以上の他意はなかった。
「じゃあ十六時に俺の家に来てくれ。家の場所なんだけどさ…………」
「わかったよ! じゃあその時間に行くね!」
口頭で彼の自宅の説明を受け、理解した少女は楽しみと呼べる期待が声を弾ませながら、返事をした。
伝播したのか、彼も心なしか頬を緩ませている。
「じゃあ家でお茶菓子とか用意して待ってるから」
その時はただ楽しみだった。
──この日、彼の家に行ったことを酷く後悔している。
彼の家は静謐な住宅街の一角に建つ、二階建ての一軒家だった。
時間通りに着き、インターホンを鳴らす。
彼は玄関から出てくると、
「お待たせ、どうぞ上がって」
と招き入れた。彼は明らかにいつもより上機嫌だった。
「お邪魔します!」
第一印象が大事だと両親から教わっている彼女はなるべく元気な声で上がる事を宣言した。だが迎え入れる声は返ってこない。
──誰もいないのかな?
玄関を上がり、中へ入ると、左手にリビングらしき部屋の扉が空いたままだった。
その部屋からは人の居る気配はない。
「あれ? 今日は御家族さんとか誰もいないの?」
「今、家族は出掛けてて、しばらく帰ってこないんだ」
「そうだったんだ。ご挨拶しようと思ったけど残念……」
友達の家族に顔を覚えてもらう良い機会だと思った彼女は残念がった。
「いいよそんなの……。口うるさいだけの人達だから」
思春期特有の煙たがるような素振りで彼は挨拶の不要を表したが彼女は否定する。
「ダメだよ。挨拶はしっかりしとかないと! また次の機会に必ずするね」
「可憐は変なところで律儀だな」
「そんな事ないです~」
お茶目に舌を出して、チャラけてみせると彼は照れたのかそっぽを向いた。
彼の些細な感情に気付かない彼女は不思議そうな表情をしたが、すぐに本来の目的へと切り替える。
「それじゃあ勉強始めよっか! どこでするの?」
「二階に俺の部屋があるんだ。そこを使うから、先に上がっててくれるかな?
お茶菓子と飲み物を持ってくから」
そう言った彼はリビングの方へ消えていった。
彼を残して二階に上がり、部屋へ向かう。
彼の部屋は二階の一本道の突き当たりにあった。
見知らぬ人の家だが、部屋の扉には彼の名前が書いたネームプレートが下がっているので一目で判断できた。
「ここだよね? お邪魔しまーす…………」
他人の家なので、念の為、小声で誰もいないと分かっていながらも声をかけて部屋の中へ入っていく。
まず入って目に付いたのがシングルベットだった。壁にはスポーツ系のポスター、折り畳み式の机とその周りに座布団が二つ、後は本棚に勉強机がある。
少女は世間一般の男子中学生の部屋を知らない。
だがそこは呼ぶに相応しい部屋だ。
彼女は立ち尽くしていると、後ろから二階に上がる足音が聞こえてくる。
「お待たせ」
そういって部屋へ入って来た彼は、ジュースやお茶菓子が乗ったお盆を近くにある折り畳み式の机に置いた。
「まあ、何もない部屋だけどくつろいでよ」
そう言った彼は、二つあるうちの座布団へ掛けるように促す。
座るとクッションの心地よい柔らかさの感触が伝わる。
「ありがとう。それにしてもちゃんと整理してるんだね」
腰を掛けた少女は部屋を見渡しながら素直な感想を伝えた。
その様子を気恥ずかしそうに「あまり見ないでくれよ」と言いながら目を背け、彼は照れる。
「いつもは散らかってるけど、可憐が来るからしっかり片付けたんだよ」
「フフ……、気を遣ってくれてありがとう」
彼の気遣いが素直に嬉しかった。
同時に友達と呼べる子の家に来るのは初めてだった彼女は何処か落ち着かない。
他人の家に上がるのが初めてでもあったからだ。
浮ついた素振りで、そのまま勉強道具を鞄から出そうとした時だった。
「ちょっと待って。実は君に伝えたいことがある。聞いてくれないか?」
若干、彼の声に緊張が混じっているのを少女は感じた。
彼の頬は赤く染まっている。
「急にどうしたの? 畏まって」
「………………可憐、君の事が好きだ。付き合って欲しい」
「………………えっ?」
その時の彼女は思いもよらない言葉で呆気に取られていた。
予想外で思考が止まる。
しばらく時間が止まったのかのように固まってキョトンとしていた。
「もう一度言うよ。好きだ可憐」
「その…………私は……、貴方の事を………………」
この言葉を伝える事を恐れていた。
本心を打ち明ける事へ後ろめたさを感じる。
彼を傷つけるかも知れない。
でも彼なら理解してくれるくれるかもしれない。
心の何処かで甘えていたのだろう。
「……………………ごめんなさい。私は貴方の事を親しい友達としか思えないの」
「…………そんな……! 嘘だ…………、だって…………、
可憐は今まで俺だけに優しくしてくれたじゃないか…………?
俺の事想っててくれたんじゃないのか…………!?」
「えっ…………? 私は親しい友達として接していただけで…………」
「違う! そんなはずはない!」
今までに見たことがない程、彼は取り乱した。
表情も認めたくない気持ちと悲しみで溢れている。
今まで過去に可憐に対して好意を言葉に出してくる男子は沢山いた。
でもそれは外見が好きで、一目惚れのようなものばかり。
彼はそんな中で、周りを気にせず、声をかけて話してくれる貴重な存在だった。友達として親しく接してくれていると思っていた。
そんな彼に可憐は気を許していた。
いつから友達以上の感情が、彼に芽生えていたのかは分からない。
だが、彼に対する気持ちは友達としての好きだ。
今、知った相手の気持ちに対して答えることが出来ない。そう彼女は思っていた。
目の前で俯く彼にどう声をかけて良いものか戸惑っていると、ゆっくりと彼は顔を上げる。
少女の視線と交わる。
「………………君は俺の気持ちを知っていて、弄んだのか」
そう呟いた彼は可憐に近づく。表情は怒りと失望に溢れ、怖いものへ変貌している。
大きな勘違いと共に。
「違うっ…………、私はそんなつもりじゃ…………!!」
飛躍し始めた話に、弁明しようと相手に理解してもらえる言葉を必死に思考するが、上手く言葉が出てこない。
その時、彼女の手首が強く掴まれる。
掴まれた手首の皮膚が深く沈み込む。この重みは無神経に放った言葉のせいなのだろう。
「君は俺の気持ちを弄んだ。その責任を取ってもらう」
「それは勘違いだよ…………! あなたとは友達として…………」
もう既に遅かった。声は彼には届かない。
掴んだ手首ごと腕に荷重をかけられ、そのまま少女は後ろに押し倒される。
はずみでスカートが少しはだけ、着ていたシャツが上に捲くれ上がる。
捲くれたシャツから綺麗な腹筋が見てとれた。
さらに彼はその光景に興奮を覚えるたのか、目付きは厭らしいものへと変わっていく。
「全部、全部…………、悪いのは可憐なんだ。
……………………そうだよ、俺は悪くないんだ。それに可憐の気持ちだってこうすれば変わるかもしれない…………!」
彼はシャツの裾に手をかけ、越えてはならない一線を越えようとする。
「こんなの間違ってる…………!
いやっ…………! やめてっ……………………!!」
彼女は激しい拒絶に襲われ、誰かに助けて欲しいと強く願った。
目尻に涙を浮かべ、抵抗虚しく押さえつけられた。
その時だ。
『あたしが助けてやるよ』
初めての感覚だった。
頭に直接、声が響いたのだ。
気付けば可憐の意識は深い海のような空間に沈み込み、浮かぶ。
同じ空間内にはもう一人の姿。
とても可憐に似た存在。だが微妙に姿が違う。
金色の髪、左右の瞳の色が赤と青の非対称────オットアイだった。
『あたしがあんたを助けてやる。だから体をちょっと借りるよ』
そう言ったもう一人の可憐は、海中のような空間を上昇して消える。
一人取り残される少女。
そして、次に意識を取り戻した時には、彼は苦しそうに胸を押さえ、仰向けに倒れていた。顔には殴られた痣が付いている。
「えっ………………? なに、これ………………?」
押し倒されていたはずなのに今は彼が倒れていて、彼女が見下ろすように立っている。
「あの…………大丈夫………………?」
何が起きたのか把握できなかったが、まずは彼を心配して近づいた。だが、
「こ、こっちに来るなぁ!」
「えっ?」
「この化物が! お前とは今後一切関わらない!
だからこの部屋から出て行ってくれ!!」
今度は彼から拒絶され、家から追い出された。
疑問符を頭に浮かべ、言われるまま後にする。
「一体何が起きたの…………?」
何もわからないまま心境はボロボロだった。
唯一友達と呼べる彼に突然告白されたかと思えば、襲われそうになり、最後に至っては何が起きたかさっぱりわかない。
初めて訪れた友達の家を楽しみにしていた気持ちはどん底まで失墜していた。
目元に涙が溜まり零れそうになる。
足取りは重く表情は暗い。
すると先ほどの声がまた脳内に響く。
『助けたんだからあたしに礼くらい言えよな』
「また…………、あなたは誰なの?」
目元から零れかけた涙を右手で拭い、声の主に呟く。
『あたしはあんたさ。でもそうだな…………、このままだと判りづらいから…………、
そう、あたしの名前は憐可だ!』
「なにそれ? 私の名前を反対に読んだだけじゃない」
『細かい事は気にしない』
「それよりあなたさっきは何したの?」
『うーん、まずはあいつの金的を蹴り上げて、顔面に右ストレートを一発、それからあたしに向かってESP Abilityを使ってこようとしたから、あたしのESP…………』
「ちょ、ちょっと何してるの!?」
『だって助けてって言ったじゃん』
「確かにそうだけど……、でもやり過ぎだよ!
あなたのせいで私の友達が怪我をしたじゃない!」
『ああいう奴は口で言ってもやめないからな。
一度、痛い目見た方が良いんだよ』
「でも…………」
『じゃああのまま放っておけば良かったのかよ?』
少女は的確に突かれて黙ってしまう。
実際、あのまま放置されていればどうなっていたか想像に難くないからだ。
『あと、あたしには念じるだけで話せるから』
彼女は他人から奇異の眼を向けられている事に気付く。
独り言を呟きすぎて、道行く人から冷ややかな視線も多分に含んで。
(なんで最初から教えてくれないのよ!)
『ごめんごめん。で、あたしへのお礼は?』
(分かったわよ。言えばいいんでしょ! 言えば!
………………………………ありがとう…………)
『脳内でも小声で喋るとか…………まぁ良いわ!
また困った時はあたしに言いな! 助けてやるからさ!』
後日、彼女の行ったことは学校内中に知れ渡った。
友達だった彼が広めたのだ。
話に偏りを含んで。
そして、さらに少女から人が離れていき、一切話さなくなった。
だが、代わりに新しい友達が出来た。
粗暴で暴力的だが、片時も一緒にいてくれる友達が。
さらに高校生になって新しい友達が一人出来た。
まだ彼がどんな人間かは分からない。
──でも、少なくとも、優しい人間な気がした。
第一印象を思い出しながら、少女はもっと彼の事を知りたくなっていた。
この気持ちは──
「可憐、何ボーっとしてるの。次は移動教室だから遅れるよ?」
「…………ごめんね史弥君。少し考え事をしてたみたい」
少し小首をかしげて見せる。
すると史弥は、頬を緩ませて微笑む。
「やっぱり可憐の方が和むな~。なんていうか儚いとゆうか、尊いとゆうか…………」
「な、何言ってるの史弥君………………!?」
恥ずかしくなって照れていると脳内で憐可の声が響く。
(おい、可憐! 変われ! こいつあたしの事、馬鹿にした! 一言言ってやる!)
「駄目だよ憐可。今日は私の日なんだから」
憐可とは取り決めた約束がある。
当番制のように一つしかない身体を交互に利用し、お互いにストレスが溜らないよう配慮しているのだ。
そして今日は可憐が利用する日。
(全く都合が良いな。史弥の前で上がったときはすぐに変わるくせに)
突如言われた脳内隣人の発言で声にならない声を上げて顔を真っ赤にする可憐。
目の前にいる少年がこちらの顔を見つめながら不思議そうに尋ねてくる。
「ん? どうかした?」
「え、あ、いや何でもないの!」
無意識の呟きを聞きとられなずに済み、安心すると並行して慌てて取り繕う。
「? とりあえず移動しよっか」
少し怪訝そうな表情で彼は見たが、次の授業までの時間が迫っていたため、教室から出ようとする。
振り返り際、史弥の後ろ姿に初めて出会った時の姿が重なる。
涼が率いる不良に絡まれ、断っても食い下がらず、どうしようか悩んでいた時だ。
憐可も痺れを切らして出ようとしている最中、彼は私の間に入ってくれた。
他の生徒達は涼という人間の力に恐怖して、ただ傍観を決め込んでいる中でだ。
さらに私は赤の他人。
何のメリットもない。それでも彼は出てきてくれた。
後から知った事だが、彼はESP Abilityがどういった事情かは分からないが、使えないらしい。
そんな状態で助けてくれた彼に尊敬の念を抱いている。
普段は何処か野暮ったい目付きをし、めんどくさそうにしている癖毛の少年だが、あの時の彼はすごく鋭い眼光を放ち、頼もしい存在に感じられた。
(ねぇ憐可?)
『なんだい可憐?』
(史弥君の事もっと知りたいんだけど、あんまり聞く勇気がなくて…………)
『だからあたしに色々聞けって?』
(お願い! その代わり、今度一日多く、私の身体使わせてあげるから…………!)
『仕方ないね~、約束だよ? ま、私もあいつに興味あるから良いけど』
(えっ………………?)
可憐は脳内で憐可に約束を取り付けたが、最後の言葉の真意が分からぬまま、
次の移動教室へ向かうのだった。
この時の可憐は史弥への興味で、涼への警戒など微塵もなかった。
実際、可憐には史弥に危害を加えられそうになっても助けれる程の力があり、いざとなれば憐可もいると踏んでいたのだ。
だが、この油断が、後日のECTで可憐に降りかかる災難になるとは本人の知る由もなかった。
◇◇◇
移動教室についた史弥と可憐は各々が指定された席に着席していた。
その距離は微妙な距離感で離れている。
周りにいる生徒達の数は多く、どうやら2クラス合同で行う授業のようだった。
生徒達の教室には中央に巨大なモニターが設置されており、モニターを囲うよう、半円に生徒用の机と椅子が設置されている。
大学講義用の教室に近い造りだ。
モニター脇には教卓、その上には広域用スピーカーと接続されたマイクが置かれ、遠くの生徒の耳にしっかりと声が届くよう、配慮がされている。まさにプレゼンを行うには絶好な環境だった。
その教卓に整った顔立ちをした美形の教師が立つ。
教師は生徒達に軽く微笑みながら周りを見渡すと、軽く咳ばらいする。
はっきりとした口調で、かつ流暢にマイクに向かい言葉を発した。
「初めまして。
私の名前は人形 使佐、担当教科は心理学で、カウンセラーも行っています。
同時に君達がこれから行うECTの担当教員です。
授業を始める前に、まず君達生徒諸君に伝えておきたい事があります」
彼は一呼吸置いた。
静寂が広がる。
「私は一教師である前に、ニューマンでもあります。
ニューマンとしても、人生においても、君達にとっての先輩です。
はっきりと言わせてもらいます。
私には、君達が生まれ授かったその能力への苦悩が理解できます。
同時に苦悩が分かるからこそ、私は強くサポートできるとも思っています。
この授業は実習授業です。となれば能力開放を進んで行わなければなりません。
この中には能力開放が苦手な方や、上手く制御できない方もいるでしょう。
ですが安心して下さい。
私はそんな生徒も見捨てません。どんな人間にも苦手はあります。
その為に私がいるのです。苦手を克服する為に一緒に向き合いましょう。
君達なら能力を伸ばし、社会へ大きく貢献できる存在になれると信じています。
一緒に頑張りましょう!」
かなり抑揚の付け方が上手く、政治家を思わせる様なスピーチだった。
声質には安心感を持たせるような柔らかさがあり、信頼を置ける人物だと第一印象で感じさせる。
「もちろん授業外の事でも相談に乗りますから気軽に声をかけて下さいね?」
最後に人形は片目を閉じながら人差し指を立て、ウインクじみた表情を送る。
その芝居がかった仕草も、彼のルックスが作用して、違和感はない。
むしろしっくりくる。
周りにいた女生徒達が少し騒ぎ始める。
──ねぇ? 見てよあの先生。カッコよくない? 言ってることも真摯だし。
──確かに。授業終わりに少し話しかけてみようかな。彼女さんとかいるのかなー?
女生徒達からは明らかな好意と羨望の眼差しが送られていた。
おまけに何人かの女子生徒は今の挨拶でファンになってしまったようだ。
逆にその様子を見ている男子生徒からは嫉妬の眼差しが放たれている。
だが、そんな様子を気にも留めず、人形は授業を進めていく。
「まずは、今日の日程説明を行います。
明日に行うECTの概要説明及び班編成、最後に能力制御に伴う摸擬戦の組み合わせ決めの順番で進めていきます。
では、概要からですね。
まずはECTの目的である“能力制御”についてです。
少し座学になりますので、皆さん寝ないで下さいね?」
女生徒達はもう皆さん釘付けですよ先生? と史弥は内心呟く。
男子生徒は授業なので、仕方なく彼の言葉に耳を貸しているが、嫉妬が心を乱している様子だ。
それから人形は口調を淡々としながら授業を開始した。
開始、数秒も経たず、生欠伸をかきながら史弥は傾聴する。
「…………………………であるからして…………………………………………ニューマンにとって………………」
それから数分経ったろうか。
長かった前置きのようなスピーチが終わり、人形はようやく本題に移り始める。
「我々のESP Abilityは、感情の昂ぶりに大きく起因し、その範囲、数、発動速度、力の強弱に影響しています。
ここにいるほとんどの生徒が分かっていると思いますが、今まで我々ニューマンは、強い感情爆発を経て能力発現を起こしてきました。
その感情には多くの種類があります。
ここでは六情で話しましょう。
六情とは一般的に感情を六種類に分けた事を指します。
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、愛しみ、憎しみ、これらは君たち全員が必ず、もちうる感情です。
能力を発現している君達はこれらの内、どれか一つを幼少期に爆発させています。
皆さんも身に覚えがあるでしょう?」
教室内にいる生徒達はちらほら思い当たる節があるのか、同意の頷きをみせる。
だが、聞いていた史弥には、一人腑に落ちない点が上がっていた。
なぜなら人形が話している事が事実なら、とっくにESP Abilityが発現していても可笑しくないからだ。
史弥にも人並みの感情はある。
それこそ小さい頃は強く感情を表した事なんか沢山あった。
(謎だ。なぜ自分にはESP Abilityが発動せず、ここまで一般生活を過ごしてこれたのか………………)
「能力発現のトリガーは感情の爆発。
そしてここからしっかり覚えておいてくださいね。
“常時能力を安定させて発動させるには自身が冷静さを保つこと”
どうしてか分かりますか?」
突然、最前列にいた一人の女子生徒に質問を投げかける。
人形はゆっくり教壇から降りてきたかと思うと、持っていたマイクを女生徒の口元に添えた。
女子生徒はいきなり自分が当てられるとは思っていなかったのか、焦っていたが、少し間を置いて頭の中でまとめた言葉を発する。
「ESP Abilityを発動させるには、自身の持つ能力を正確に捉え、発想する。
さらに事象に干渉させ続けるためには、常に集中し続けなければならない。
そのため我々ニューマンは、能力を発動中には冷静さを欠いてはならないからです」
「その通り。答えてくれてありがとう」
女子生徒は緊張が解け、肩の力を抜く。
「彼女が答えてくれたように、我々ニューマンは能力制御に集中力を欠く事は干渉力の消失を意味します。実習中はこの事をしっかり覚えておくように」
そう言った人形は、先ほど立っていた教卓に戻ると、教卓に置かれていたモニター用リモコンを手に取り、モニターに向ける。
すると正方形のフィールドCG映像がモニターに表示される。
「明日、君たちはこの一辺、百メートルの正方形フィールド内で実習を行います。
落下や衝撃を吸収する為、一面は特殊な白砂が敷かれており、
フィールドを囲うように強化ガラスが張り巡らされ、強化ガラスを繋ぐ繋ぎ目は鋼鉄製骨格となっています。
これにより内側からのあらゆる衝撃等は外界に届かないように設計されています」
そこまで人形が話した当たりで、近くにいた男子生徒同士の会話が史弥の耳に入る。
「なあ、やっと始まったな」
「あぁ、これを待ってたんだよ。
中学の頃に先輩から話だけは聞いてたけど、ついに“摸擬戦”がやれるんだな」
聞こえてくる会話から最初に人形が言っていたことを思い出す。
「そういえば最初に言ってた摸擬戦ってなんだ…………?」
だがそんな疑問に対して誰も待ってくれる事はない。
時計を見ると授業の半分に差し掛かっており、人形の授業も後半に進んでいた。
「授業のコマは二コマ使用します。今日出席しているA・Bクラスは五・六限を使用して行いますので遅刻しないように…………!
五限目はアビリティーカテゴリーに応じての能力制御実習。
六限目は全カテゴリー混合による摸擬戦とします。
授業中はECT専用特殊スーツ及び、ヘッドレストを装着してもらいます。スーツは緩衝、耐熱に優れており、装着者に一定値の衝撃が加わった際は、エアバック機能が作動し、四肢・体幹ごとに保護してくれますので絶対に外さないようにして下さいね」
史弥は少しでも早く理解する為、授業前に配布されていたECT概要資料をペラペラ捲る。
すると該当ページが開く。
資料によれば、どうやらこのECT専用スーツは二十世紀初頭の二輪ライダー用エアバックシステムがニューマン専用訓練装備に開発転換され、発展した。
スーツの恩恵により、訓練プログラムにおいて実践的な徒手格闘も行う事が出来るようになったとも書いてある。
徒手格闘においても、エアバックシステムは機能する為、装着者本人への怪我の心配はないらしい。
「又、コンタクトレンズ型ウェアラブルコンピューターにスクリーン補助用ナノマシン点眼液を併用し、自身の装着するスーツステータス及び自身のバイタルは逐一、網膜に投影され、確認する事が出来ます」
コンタクトレンズ型ウェアラブルコンピューターとスクリーン補助用ナノマシン点眼液は近年、世間一般でも使われ始めた技術だ。
元々は軍事装備品だった。
だが現在は、民間仕様へと機能がオミットされ、販売されている。
その機能は元来の視力矯正に加え、望遠機能、GPSとの連動でマップ情報表示、メール確認、ニュース情報等々、利用範囲は大きく、従来の携帯端末のように取り出す必要性がない。その特性も相まって、スマートフォンに次ぐ復旧率をみせている。
さらに人形は教卓から黒色で赤のストライプが入ったチョーカーを生徒皆が、見えるように掲げる。
「これはESPDチョーカーと呼ばれる我々ニューマンにしか使用できない専用装備です。
装着者に反応・共鳴し、周囲に特殊な球場フィールドを形成します。
第三者が外部から加えたESP ability による攻撃を完全に防いでくれる代物です。
あくまで第三者の能力のみです。
これはニューマンが行使する事象改変を装着者が展開した、相反する波長を放つ特殊な球場フィールドが、相殺しているために起きる現象です。
逆に自身の発生するESP abilityは展開が可能となっています。
これは我々ニューマンの脳波がESPDチョーカー装着時から完全同調している事により、自身に対しては相殺されないからです。
ただし、無尽蔵に防げるわけではありません。
防御には許容値が存在します。
先に説明した網膜投影スクリーンとESPDチョーカーは連動しており、許容限界量は常に網膜に直接投影され、限界量は百パーセントと表示されます」
史弥は説明されたESPDチョーカーの資料を読み進める。
どうやらESPDチョーカーには特殊な鉱石である、resonance stone (レゾナンスストーン=共鳴石)が使用されており、その由来は言葉通りニューマンに共鳴する石からきている。
十九世紀まではただの石ころに過ぎない物、だったが、二十世紀に入り、ニューマンが出現した事で状況が一変。
特殊な力場を発生する事が判明。
その後は研究が進み、対ニューマン専用装備として発展した。
現在のESPDチョーカーに至った経緯があるようだ。
この特殊な鉱物は世界中で産出されており、日本でも産出されている。
そして、貴重な資源として有効活用と研究が行われていると記載されている。
さらに読み進めていくと、このESPDチョーカーは共鳴反応を起こしてから一定時間が経過すると、自動的に消失する。
その後は使用せずにしばらく放置することで、初期状態へ戻り、再度ニューマンが装着する事で共鳴反応を起こせる。
という事は先の人形が話していた説明に補足をつけると、このESPDチョーカーはフィールド展開後、何もしなくても一定時間で消滅するし、ESP abilityによる攻撃を受け続け、許容限界に達しても消失するという事になる。
使用限界時間は展開後から十分、再使用に三十分を要すると但し書きもある。
「…………こんな物があるなんて、ここに入学するまで知らなかったな」
ここで一つ疑問が浮かぶ。
もし、仮に物体浮遊系統で、物体をESPDチョーカー装着者に飛ばし、フィールドに侵入させた場合、ESP Abilityだけが消失して、元々の物体はそのままフィールド内の人間にぶつかるのではという疑問が。
だが、史弥の疑問は予想済みだったと言わんばかりに人形はこう最後に綴った。
「この中で既に疑問に思っている生徒もいると思います。
“物体に掛けられた事象干渉物は空中で力を失い、接触するのでは”と。
安心してください。もちろん、物体にかけられた事象干渉に対しても有効であり、
事象干渉物がESPDチョーカー装着者に接触することはありません。
物体に干渉している能力はその質量・体積に対して相応の事象干渉力が働いています。
こういった物体がフィールドに接触した場合はレゾナンスストーンが物体にかけられた干渉力ごと外へ押し出そうと外側へ弾き出してしまいます。ゆうなれば、装着者はゴムボールの中心に位置し、外界からの攻撃を弾き出すというイメージです。
この話しで一つ補足したいのは、物体の体積量・質量に比例して、外側へ押し出そうとする力も同様に変化します。小石と巨石ではフィールドの弾き出す力が違いますからね。
フィールドにかけられた負荷は事象干渉物の体積・質量に比例して許容量を削っていきます。
ここから分かるように相手のフィールドを大きく削る為には大きな力を相手に行使する。
これがECTの要になりますので、覚えておいてください」
そう言った人形は生徒全員に微笑むと、モニター表示を切り替えた。
次に映し出されたのは現在の教室を四等分にした図。
分割毎に能力カテゴリーが分かれている。
表示内容はレビテーション(浮遊)・ヒーリング(治癒)・クレヤボンス(透視)・アストレイ(特殊系統)と見える。
「では早速グループ分けを行います。
モニターに表示されている通りに席を移動して下さい。
席次は関係ないので速やかに移動し、空いた席へ着席するように」
生徒達は一同に動き始める。
史弥はその中で立ったが良いものの、何処へ行けばいいのか分からず、困惑する。
それもそのはずだった。
「俺はカテゴライズされてないんですけど………………」
そこで人形は、若干慌ててマイクに向かって言葉を足した。
「おっと、これは失礼した。
この中に、カテゴリー分けできない生徒が混じっていましたね。
該当生徒は、アストレイへ移動するように」
どうやら人形はうっかり忘れていた様子だった。
ひとまず、すぐ解決したことに史弥はホッと息をすると、移動を開始した。
アストレイグループ周りの席に近づくと可憐が着席しようとするのが見えた。
そして、たまたま目が合い、史弥に気付くと可愛らしい素振りで手を振り、そのまま隣の席を指さしてツンツンする。
恐らく“ここ空いてるよ”と合図してくれているのだろう。
その証拠に可憐が持っていた筆箱を隣の席に置いて、自己主張させている。
史弥はその容姿も相まって可愛らしいお誘いに乗ることにし、空いている隣の机に着席する。
着席する時、人形に向けられていた嫉妬の視線と全く同じものを背中から強く感じたが、気に留めないフリをする。
他のクラスと合同という事もあっていつもより二倍の視線を感じるが、それはどうせ気のせいだろう。
まずはそんな痛い視線に気を病む事より、可憐に礼を述べるのが先だった。
「席を取ってくれてありがとう可憐。
でも良かった、可憐と同じアストレイに分類されて。
悪目立ちしてるし、話せる相手なんか一人もいなくて辛い思いをするところだったよ」
「どういたしまして! それとごめんなさい。私のせいでそんな事になっちゃって……………………」
可憐は真剣にしょげる。
「…………っあ、違うんだ!?
そういうつもりじゃなくて…………! とりあえず全然問題ないから!」
史弥は無神経な言動をとったことを後悔する。
明らかに、可憐が落ち込んでいたからだ。
「自分が勝手に助けたくて助けただけなんだ。
自分で言うのも可笑しいかもしれないけど、俺って結構お節介焼きだし。
だから見て見ぬフリが、………………そう! あれは必然だったんだよ!
だから可憐が気負う必要はないよ!」
「……………………ありがとう史弥君。そう言って貰えると気が楽になる」
「それと今回の件が無かったら、こうやって可憐と友達になれなかったしね」
俺が精一杯のフォローを入れると、
可憐もこれ以上落ち込んでも何も変わらないと察してくれたようで、右腕をガッツポーズにして気を取り直す。
「よぉし! 復活!」
その光景はさながら、可憐の周りからまるで可愛さのオーラが滲み出ているようだった。
気を取り直した可憐と二人で楽しく会話が弾みかけたタイミングで全員がグループ毎に着席が完了する。
それを確認した人形が、次の指示を出す。
「皆さんちゃんと分かれましたね。
では次です。これからランダムに数字が書かれたカードを一枚配ります。
カードは二枚組になっており、もう一枚同じ対のカードが存在しています。
その同一カードを持った生徒同士が、今回の模擬戦対戦者になります。
授業は二クラス合同。
二クラスで合計六十名、三十組が出来る事になります。
それでは配布していきます」
そう言った人形は自分の縦列の人数分のカードを最前列の生徒へ渡していく。
後ろへと回り、史弥の手元にカードが回ってくる。
「三か…………。ここまでだと誰が相手かわからないな。
とりあえず、どんな相手でもお手柔らかにお願いしたい」
横の可憐も配られたカードを見ていた。
史弥はそんな彼女に声をかける。
「可憐は何番だった?」
「八番です!」
朗らかに一言、告げた。
ひとまず、可憐と当たらなかった事に史弥は胸を撫で下ろした。
「良かった。まずは可憐と当たってない事が確認できて」
「そうだね……、私も史弥君と当たってらどうしようって思った…………。
史弥君は何番だった?」
「三番だったよ」
ここでまずはお互いに対戦相手じゃない事が確認できた。そこで二人は相手が誰なんだろうという疑問に移る。
周りも自分のカードを知り合い同士で明かし合っている。
既に対戦相手がこの情報交換で分かったものもチラホラいたが、半分以上は分からないでいる。
「皆さんカードは行き渡りましたね?
では、次に一枚の名簿を配っていきます。
自分の名前が書いてある欄の横に空白欄があると思います。
そこへ自分が引いた数字を記入してください」
人形は端の生徒へ名簿を回し始める。
史弥から近い席だった。
「前半に名簿を書き込むのか…………。
その中に対戦相手が先に書き込んでたら分かるな。まあ分かってもアビリティーが分からないからどうしようもないけど」
名簿はゆっくりと史弥の席へと近づいて来る。
「なんだかドキドキするね」
「………………そうだね」
少し胸に手を置いて表現してみせる可憐に、内心、そんな様子を見せるあなたにドキドキしちゃいそうだよ、と思うがそこは言葉を飲み込み、溢れないようにする。
少しすると、史弥の手元に名簿が届く。
名簿に自分の数字を書くと、欄に書かれた他の数字を流し見ていく。
「俺の相手は…………………………。
……………………まだ分かるわけないか」
前半に書かれた欄に史弥の対戦相手である三の番号はない。
全ての生徒が名簿に数字を書き込み、人形へ回収されるとパソコン端末へ素早くデータ入力を行っていく。
「全員書き込みましたね!
では、早速対戦相手を公表したいと思います。
皆さん、モニターに注目」
先ほどの名簿データ入力を終えた人形が、大型モニターへデータを出力する。
大型モニターに映し出された自分と同じ数字の生徒を発見した史弥は驚愕と落胆が襲った。
「………………………………………………嘘だろ」
ポッツリと史弥は呟く。
それもそのはずだ。なぜならモニターに出力されている対戦相手は鈴原 涼だった。
◇◇◇
ECT概要説明会から数時間後、自宅から電車で三十分程の距離にある、とあるジム。
幾つかあるトレーニングルームの一つで、トレーニングウェアに身を包んだトレーナーと史弥がリングの上で組手を行っていた。
両名の頭部には保護用のヘッドレスト、両拳にはプロテクターが装着されている。
逆にそれ以外は特に保護具は装着されていない。
その周りにはジム生が十数名程、様子を見物している。
組手風景は独特で、トレーナーの男性は史弥に対して繰り返し激しく叱咤し続け、トレーナーが繰り出す拳の殴りに対して史弥は常に掌で受け流している状態であった。
トレーナーの攻撃はリズム性があり、殴りの攻撃に対して受け流していた史弥が、リズムを崩すように突然、拳でトレーナーの下顎に攻撃を加える動作や、時折その反動を利用するように胸部や顔面めがけて拳を叩き込んでいた。
「良いぞ史弥! 己を空にしろ!
形をなくせ、形をはっきりさせるな!」
組手を行っている史弥の表情からは何も捉えることが出来ない。
まさに無の境地であり、表情は無表情。
トレーナーからも、何を考えているのか悟れていなかった。
だが、その場にいた者がしっかりと感じていることがあった。
史弥から感じる闘志とどの手段も反撃されてしまうと思わせる殺気だ。
「正しいか間違っているかなど考えるな!
敵が繰り出す次の一手に集中しろ! その為には攻撃から目を逸らすな! 常に捉え続けろ!」
そう言ったトレーナーが拳を振り抜き、完全に見切っていた史弥が、その掌で払った次の瞬間、史弥は左足を対面するトレーナーの右膝窩部へ振り抜き、膝をつかせた。
同時に前のめりの態勢になった瞬間にその頭部めがけてアッパーを繰り出す。
トレーナーは不意に態勢を崩され、前のめりになった勢いをも利用された一撃に、後ろへ反り返るように吹き飛ばされる。
「かはっ…………………………!!」
周りにいたジム生達が、驚きの声を上げている中、当の本人である史弥には気にも止まらず、それだけ集中している事が伺える。
倒れたトレーナーはすぐに起き上がるが、軽い目眩を起こしており、若干ふらつくもすぐに復帰する。
この時、史弥は気付いていた。トレーナーが拳をその頭部に受ける寸前で、身を引いたため勢いが殺された事に。
これにより、当てはしたが、本来の衝撃を起こせなかった。
伊達にこの武術、ジークンドーを極めていないなと思い知らされる。
ジークンドウとは、カンフーの技術にレスリング、ボクシング、サバット、合気道、柔道などの幅広い技術を取り入れられた武術の事を指す格闘技。
「ふぅ…………、今日はここまでだな」
史弥は半身の構えを解くと軽く一礼する。
「杉田先生、本日もありがとうございました」
杉田と呼ばれたトレーナーは史弥に近づくと、彼の左肩にその右手を置く。
杉田 拳二。武術の一つであるジークンドーの使い手。
筋肉はしっかりと引き締まり、余分な脂肪がなく、肌は小麦色に焼け、健康的な姿をしている。
年齢は五十歳近く、頭髪は若干白髪交じりの短髪で、顔には年相応の皺が入っている。
近くで見ると全身に打撲や切り傷など、どういったらその個所に出来るのかと言わんばかりに往年の勲章傷がある。
父親もこの人の教え子に当たり、父の紹介でここに通わせてもらっていた。
かつては世界中の武術を学び、旅しており、あらゆる武術に精通している。
日本に戻ってからはこのスポーツジムを始め、前述の武術、ジークンドーを教え、広めている。
「さすがだ史弥。もう俺から君に教えることなどない程だ。
上達はお父さんより各段に早いし、あまつさえ私を超えているのではないかとさえ思わせる」
そう言った杉田は額に汗をかきながらニコやかだった。
嫌味な感じはなく、本音でしっかりと史弥に話してくれている気がした。
このジムに通って史弥は五年になる。
武術の世界で五年は短い方に分類されるだろう。
先人達には敬意を払はなくてはならないし、自分自身、実戦と呼ばれるものを経験していない。
ただ修練を積んでいるだけなのだ。
それとこの武術は常に修練を教訓にしている。
何せ“人生は修練”を信条にする武術なのだから。
故に到達点はない。
だが経験や修練の差は存在する。
その点を踏まえれば、自分より圧倒的に杉田先生の方がこの武術の積み上げてきたレベルが違う。
そんな自分が先生を超えたなど、史弥には到底思えない。
「そんなことないですよ。自分はまだまだです。先生の足元にも及びません。
それと最後に入った拳、先生受け身取ってましたよね?」
「やはり見抜いていたか。まったく、史弥の見切りには目を見張るなぁ。
そこまで出来て足元にも及ばぬとは、謙遜もいかんぞ」
そう言った杉田と史弥はリングから降りるとリング脇に置いてあったお互いのスポーツドリンクを飲み始める。
「最近、お父さんは元気かい?」
「はい、元気にしています。
父は仕事の関係で中々、先生の所に顔を出せて無いですよね?」
「そうだな、最後に彼と手合わせしたのが………………、何年前になるだろうか」
顎に手を当てながら思案している杉田先生を見れば、いかに長い年月が経っているかが分かる。
「また父には杉田先生が顔を見たがっている事を伝えておきます」
「そうしてくれ史弥、たまには顔を出せと伝えておいてくれ。
話しは変わるが、新しい学校はどうだね? 上手くいってるか?」
急な話題と答えづらい質問に言葉を詰まらせる。
「………………うーん、そうですね。ボチボチというところですか」
あまり心配を掛けたくないので曖昧な反応を返す。
「そうか、ボチボチか」
史弥の微妙な返事から杉田も察してくれたのかあまりこの話題を広げない。
史弥が稲沢高等学校へ進学したことも、そこがニューマン専用国立学校である事も杉田は分かっていた。
さらには自身の能力が未だに分からない事も。
そんな複雑な立場で通っている自分に対して杉田は心配して親御心を掛けてくれていた。
同時に、この話題から、頭から忘れさせようとしていた今日のECT概要説明後に人形へ摸擬戦辞退を進言した事を思い出す。
史弥は能力がない自分は摸擬戦を行う意味がないことを説明したが受け入れられるどころか強く摸擬戦参加を推薦されたのだった。
人形が推薦した理由は三つ。
一つ目は第一に安全である事。
ESPDチョーカーを使用している時点で規定値まで必ずESP Abilityによる攻撃が防げる。その参加事態に危険は付きまとはない。
二つ目に、参加に伴い、摸擬戦を行う事で未だ発現していない能力が開花する可能性がある点についてだ。
講義でも話していたが、摸擬戦というストレスが史弥にかかる事で、強い感情変化が生まれ、ESP Ability発現に繋がるのでは、と人形は考えたのだ。
要するに怖い思いを味わって来いという意味だ。
三つ目に史弥にも勝機があるという点だ。
摸擬戦の大前提は、ニューマン同士の戦闘であり、ESP Abilityを使用せずに戦うという発想自体がなかった。
故にESPDチョーカーで発生したフィールドを削りあう戦いがメインである。
だが必ず削らなくとも勝利する方法はあった。
それは対戦者の制圧及び拘束だ。
使用するECT特殊専用スーツは徒手格闘においてもその機能を遺憾なく発揮する。
主にエアバック機能により衝撃を吸収する構造により、殴り合いや転倒による外的要因などの負傷はほぼ発生しない。
悪くて脳震盪くらいだろう。
その為、相手の懐に飛び込み、徒手格闘による攻撃を加えられる。
柔道等の寝技で制圧や徒手格闘で戦闘不能に追い込めれば、モニタリングしている教師陣が判断し、試合終了となる。
史弥にも勝機はあった。
だが、ESP Abilityのハンデはあまりにも大きい。
こうやって武術を嗜み、抗う術を持っているという事は恵まれていると思う。
しかし奇跡を起こせる能力と呼ばれるESP Abilityが相手では人の域を出ない自分の技術でどうにも埋められないものがある。
ましてや接近戦に持ち込めなければ勝機はない。
さらに不運にも今回の対戦相手は入学時に一悶着あった鈴原 涼だった。
恐らく容赦なく攻撃を加えてくるだろう。
有する能力は不明だが、入学時にあいつは炎を右手から立ち上らせていた。
つまり火を扱う何かの能力を有する。
だがそれ以外は全く分からない。
どういった攻撃に転換できるのか、有効範囲、距離、何もかもが分からない。
まさに情報不足もいいところ。
ふと史弥は信頼できる恩師に明日の事情を話したくなった。
恐らく先生なら何かアドバイスをくれるような気がしたからだ。
「杉田先生。実は………………」
史弥は明日行われるECTとこれまでの事や対戦相手についてすべて説明した。
「ふむ、そんなことがあったのか」
話しを聞いてくれた杉田先生は少し思案した表情をしていた。
真剣に考えてくれている事が伺える。
「史弥。私から言える事は二つある。
一つ目はアドバイス。二つ目は君の考えに一つ誤りがある事だ」
「まず先に誤りから指摘させてもらおう。
君の相手をするのは誰だ?」
「それは鈴原………………」
「違うそうじゃない史弥。根本的な事を聞いているのだ」
「………………相手は人です。あっていますか?」
「そうだ、相手は人なんだ。
君は相手を奇跡を起こせる力を有した、人を超越した存在と捉えている節がある。
それが間違いなんだ。良いか史弥?
その能力を使用しているのは人間だ。
故に人の域は出ていない。その能力を生かすも殺すもその人物次第なんだ」
杉田先生は過去を思い出すようにゆっくりと深く明瞭に続ける。
「経験則から言わせてもらう。
ここではその異能力を優れた武器・飛び道具に例えて話そう。
結論から言うに優れた武器・飛び道具を使えば百戦練磨ではない。
その適切な運用・戦術・応用を行って、初めて遺憾なく力を発揮するものだ。
それを取得した者達を人は“達人”と呼ぶ。
だが史弥から聞くに、その男は自分の力に溺れ、自身の能力に過信した言動、態度が伺えた。違うかな?」
「自分もそう思いました」
「ふむ、ではここからはアドバイスだ。
そこを上手く突くのだ。
私が伝えれるのはここまで。
それ以上の対処は自分で考えるのだ」
そう言った杉田先生はこの場を去ろうとする。
去り際、史弥に言葉を放つ。
「君なら勝てる。
異能力などなくとも強靭な精神力と経験に裏付けされた武術。
それに武術や能力が人の全てではない。
史弥の強さは目に見える所以外に沢山ある。
それが意外な結果を生んだりする。最後に君は私の自慢の弟子だ」
純粋にそう言ってもらえた事が嬉しかった。
気付けば史弥は。深くお辞儀をしていた。
◇◇◇
トレーニングを終えた史弥は自宅に着いていた。
時間は夜の十九時。
この時間は家族との夕食になっている。
帰宅してからシャワーを終えると夕食をとるためリビングへ向かう。
キッチンでは母親が夕食の準備を進めており、テーブルにはサラダとカレー等が置かれていた。
「フミ君、トレーニングお疲れ様〜〜、今日は栄養満点カレーです!
早速みんなで一緒にご飯食べよっ!
でもお父さんは今日帰り遅くなるから先に食べてだって、ぶぅ〜〜…………」
そう言った母親は年甲斐もなく、頬を軽く膨らませて父さんが一緒にいない事をブゥーイングするかの如く、声を出し不満を表す。
歳を重ねても仲良いのは分かるけど、息子の前ではちょっとは自重しようか? と思ってしまう史弥。
「分かったよ母さん。何か手伝える事はある?」
もうそんな風景も慣れっこな史弥は何事もなかったかの様に手伝いを申し出る。
「ううん、大丈夫よ。食器も全部並んでるし、美愛ちゃんを待つだけ!」
母親は自分の食器が並んだ椅子へ着席する。
史弥も同じように着席した。
「ここに来る時に美愛ちゃんに声かけてましたよね?」
食事が並んだ椅子へ着席した史弥は、食卓を軽く眺めながら返す。
「声かけたからすぐに来ると思うよ」
そう言った間際、美愛がリビングの扉を開けて入ってきた。
「お母さん、お兄ちゃんお待たせ! もうお腹ペコペコだよ!
今日の晩御飯はなになに~~??」
美愛は自分の食器が並んだ椅子へ腰掛けると今日の夕飯が並んだ食卓を見てカレーである事を認識する。
「カレーだ! お兄ちゃん、お母さん早く食べよ!」
美愛は少しガッツキ気味に料理を前にして前のめりで捲し立てる。
「美愛ちゃん慌てないの。さて、全員揃ったし頂きましょうか」
母親は手を合わせると『頂きます』と言い、続いて自分達も同じように一言『頂きます』と手を合わせてから、食事を始めた。
食べ始めると美愛はカレーを頬張り、家庭の味に頬を緩ませていると、母親が史弥に最近の学校について訊き始める。
「フミ君新しい学校は最近上手くいってる?」
杉田に訊かれた内容と同じ事を母親に尋ねられる史弥。
返す返事は決まっていた。
「ボチボチかな」
「なにそれぇー? はっ!? もしや上手くいってないのね!?」
母親は上手くいってないことをズバリ当ててくる。
十六年間、一緒に暮らしてきただけの事はあった。
それとも、母親の勘と言う奴なのか。
「そんなことないよ」
「だってふみくんが曖昧な返事をする時は悩んでるか上手くいってない時しかないもん!」
ここはさすが母親と言わざるを得ないだろう。
「ずばりその悩み、お母さんが言い当ててあげましょう」
母さんは少し眉間に皺を寄せながら目を瞑り、数秒経ったかと思うと、
「友達作りね」
「成績の心配とかは思いつかないのね」
「それは入学してすぐに悩むことじゃないもんね~~」
母親は両手を組むと胸を張る。
確かに、高校生成りたての十六歳青少年が最初にぶつかる事案なんて十中八九、友達作りくらいだろう。
「高校生成りたての人は大体悩むことだから分かって当然。むしろ自慢できる程の事じゃないね」
「ふーん、お母さんはさらにその先まで分かるもんねー」
ドヤ顔で母親は言い捨てる。
その先とは何か気になる史弥。
「なにその先って?」
「さらに言い当ててあげましょう。ズバリ、彼女出来たでしょ?」
飲み込みかけていたカレーを詰まらせかける。
「ゲホッゲホッ…………!! 今なんて!?」
「彼女出来たでしょフミ君?」
突拍子もなくとんでもない事を言い始め、カレーを咽らせる史弥。同時にどうしてその質問が出たのかすぐに確認する。
「なんでそうなったの母さん!?」
「ふっふっふ、伊達にフミ君の母親をしてないからね~」
答えになっていなかった。
先ほどは驚いて咽たが、少し冷静に史弥は考察する。
ふと、ある答えに行き着く。
「…………もしかして俺のスマホ見たな」
「ギクッ………………!」
「…………母さん? 見たでしょ?」
気付けば、食べていたカレーのスプーンを置いて史弥は問い詰めていた。
母親も母親で分かりやすい反応し過ぎだ。
「俺の部屋を掃除したときに勝手にスマホ見たでしょ!?」
「だって机に置いてあったから………………」
答えは簡単だった。俺は可憐と出会ってから連絡先を交換していた。
入学してから何度か連絡を取っており、現在のニューマンの事を少しでも知ろうと、元々、ニューマン専門課程教育を受けている可憐に色々な質問等のやりとりを重ねていた。
それを掃除などで部屋に入った際、机に置いてあったスマートフォンを勝手に盗み見たのだ。
「母さん俺の携帯を勝手に見るのはやめてって前にも言ったじゃん!」
「だってたまたま画面が見えて気になっちゃったんだもん…………」
両手の人差し指を合わせながら可愛らしくイジけてみせる。
「可愛らしく言ってもダメだから。それと可憐は友達だから彼女じゃないよ!」
ここまでを聞いていた隣の美愛が、急に反応を示す。
「お兄ちゃん友達出来たのー? ねぇねぇどんな人??」
お兄ちゃん友達がいない残念だった人みたいな聞こえ方になっているが、純粋無垢な美愛の事だから興味本位からの他意のない質問だと信じていいだろう。少し心が痛いけど。
「うーん、可愛くて、儚くも粗暴な言葉遣いの金髪で茶髪な美少女かな?」
美愛は小首を傾げる。
言ってはなんだが、小学五年生に伝わらないだろう。理解しやすいように要約しておこう。
「あ、えーっと、カワイイ時はリスみたいな小動物的な人だけど、突然ライオンみたいになっちゃう人かな?」
「カワイイけどライオンなの??」
確かに色々矛盾しているが、しっくりくる例えがそれしかない。小学五年生にデュアルフェイスを説明するのは難しい。
「フミ君、その女の子詳しくお母さんに説明して下さりますか?」
そこで先ほどまでいじけていた母さんは表情を変え、笑顔でこちらを見ながら明らかに目は笑っていない様子で口を挟んでくる。
恐らく息子が素行の悪い不良娘と交流を広げているのでは、と懸念しての事だ。
強ち間違いではないが、半分間違っている。
「恐らく母さんは、凄く大変な勘違いをしています」
何故に敬語になってしまったかわからないが、母親の表情と普段とは違う無言の圧力が原因だろう。
「では説明して下さい」
俺は可憐がニューマンの中でも変わった異能力を持った女の子である事を説明した。
もちろん憐可の存在も包み隠さず。
話しを聞いて理解した母親は、いつも通りの穏やかな表情へ戻る。
「そんな子がいるのですね。てっきりフミ君が、不良娘と不適切な交流をしているのかと勘ぐってしまいました」
「勘ぐるにしてもそれはないよ。もっと自分の息子を信じようよ母さん」
「逆に大事な息子だからですよ」
そう言って母親は自分のカレーを一口食べ、続けてこう言った。
「その子とはどうやって知り合ったのかしら?」
至極当然な疑問だろう。
自分もカレーを一口食べつつ答える。
「学校で不良に絡まれているところを助けたんだ」
それを聞いた母親は何を思ったのか目を輝かせ始める。
「そうだったんですね! ならこれも何かの縁ですからその子は大事にしてあげた方が良いでしょうね」
「今、自分の馴れ初めと重なったでしょ?」
母親は食べかけていたカレーの手を一瞬止めたが、すぐに動かす。
恐らく図星なのだろう。
「やっぱり」
母親は観念して、本日二度目のイジけ顔を見せる。
「だって、フミ君がやっぱりお父さんと重なってしまうんです~」
母親は自分のなり染めの思い出を、恥じらいながら語り始め出す。
「お母さんもお父さんに助けられたのがキッカケでお父さんと知り合って恋に落ちて、それはもう熱い学生時代を過ごして来ました。あの時のお父さんは凄く逞しくて頼もしくていつも私が困っている時に手を差し伸べてくれて…………もちろん今だって………………ごにょごにょ……………………」
両手を頬に当てながら、目を瞑り、さらに思い出へと耽っていく。
もう後半は早口と小声で何を言っているかさっぱり分からない。
横で様子を見ていた美愛が、カレーを半分ほど食べながら一言、『お母さんまた一人の世界に行っちゃったね』と史弥に飽きれ気味に話しかける。
「はぁ〜〜、父さんの事で熱くなるといつもこれだもんな」
母親はいつも夫である父親の事になると熱くなって周りが見えなくなる。
息子の自分から見てもその熱の入りようは異常だ。
以前、父親に聞いた事がある。
「母さんって学生時代もあんな感じだったの?」と。
答えは一言、「いや、全然違う」だ。
聞くと学生時代の母親は今と変わらず学校一の美人に間違いはなかった。
だが人柄は他人に冷たく、無関心で、何人もの男性がアプローチをかけたが、玉砕。
そんな事も加味して、当時の学生達は"氷結の令嬢"とか呼んでいたそうだ。
──そんな人がこんな風になってしまうなんて信じられない。一体何をしたらこうなるんだよ。
そこで独り言を呟いていた母さんは我に返る。
「私としたことが、お父さんの事になるとつい──」
「戻ってきたね母さん」
「とにかく、その女の子とは今後も大事に付き合ってあげて下さい!」
すでにカレーを食べる手は止まり、興奮気味だ。
「結局、俺の友達作りは失敗したままなんだけど…………」
「フミ君ならなんとかなります!
お父さんの子ですもの、きっとフミ君の人の良さはゆくゆくは理解されます。お母さんはそう強く信じています!」
「その自信を俺にも分けて欲しい…………」
結局、母親と夕食を終えた史弥は自室へ戻る。
自室に戻る際、美愛が勉強を見て欲しいとねだってきたので、一度自室の筆記用具を取りに戻ってから美愛の部屋へと行く事を伝えた。少しトレーニングの疲れで眠たいが、可愛い妹のためだと自分に言い聞かせ鞭を打つ。
自室の扉を開け、何気なく机に置かれた自分のスマートフォンに目が映る。
それはほんの一瞬の偶然だった。
スマートフォンのディスプレイが点灯し、通知が画面に表示された。
たまたま気付いた史弥は机のスマートフォンに近づき、手に取る。
画面は可憐からのメッセージ着信を通知している。
史弥は内容を確認するべく、メッセージを開いた。
メッセージ内容は『こんばんわ史弥君。明日のECT頑張ろうね! きっと史弥君なら能力発現出来るから焦る必要はないよ! リラックス! それから明日の模擬戦は気を付けてね。憐可も私も応援している』
気を付けて、とは鈴原の事だろう。明日、自分が鈴原と模擬戦を行うことは可憐に伝えてある。
心配してメッセージをくれたのだ。こんなメッセージを送られたら明日のECTに向けて気合いと闘志が湧いてくる。
史弥はそのまま返信文を打ち込む。
『入学したからにはニューマンとして能力発現目指して頑張ってみる。それと明日の模擬戦はESPDチョーカーで守られてるから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。あと可憐にもありがとうって伝えておいて! おやすみ!』
打ち終わり、送信するとスマートフォンを机に置いた。
そのまま机に置いてあった筆記用具を手に取り、扉へ引き返す。
「さて、美愛の部屋に行くか。そういえば可憐の能力まだ聞いてなかったけど、どんな能力だろ? いくらでもタイミングはあったのに聞きそびれたな。まぁ、明日のECTで分かるか」
そんなことを呟いて部屋を後にするのだった。




