「失踪──残された者達はただ踊る」
生徒会長講演会当日。
学内の一部の生徒達(主に実行委員と生徒会)は慌ただしい状態になっていた。
この日は午前の通常授業を終えると午後に予定されている一般及び実習授業日程を免除し、稲沢高等高校の敷地内にある、高等課程全校生徒を収納できる講堂を利用して、生徒会長講演会は行われる予定になっている。
「はぁ〜〜、眠い」
廊下を行き来する生徒がいつもより多く感じた史弥は生欠伸をかいて、頬杖する頬がより一層沈み込んでいくのを感じた。
今は朝のホームルーム前でやることもなく机に着席して暇な時間を過ごしていた。
ここ最近は自宅が遠いこと、自身の境遇による奇異の目を向けられることを嫌い、他の生徒が登校して来る時間とズラして朝早くに学校へ史弥は来るようにしている。
登校後は特にやることもなく、授業が始まるのをただ待つ。
これがこれから続くとなると、かなり苦痛だと史弥は実感していた。
先程から他の生徒達が登校する時間に達したためか、チラホラ人通りが増えている廊下だが、その量はいつもより多い。
廊下を眺めていると教室の片隅で文庫本に集中する生徒へ史弥は視線が移る。
史弥と境遇が似通った存在。
健太郎は今日も早くから登校して、史弥より早く着席していた。
教室に二つしかない出入り口の一角に座る彼に、史弥は甲斐甲斐しくも毎朝会うたびに必ず挨拶は交わしていた。
だが会話まで発展はしない。
最後に話したのは西条の件だ。
それ以来まともな会話は出来ない。
「おっはよ! なに辛気臭い顔してんだよ!」
突然掛けられた元気な声に頬杖をついていた手から頭が落ちる。
「憐可か、ビックリさせるなよ」
「なに言ってんだよ、あたしは普通に入って来たぞ」
意識が飛んでいたのはどうやら史弥の方だったらしい。
証拠に史弥の席から離れた可憐の席に、彼女の鞄が鎮座していた。
「史弥、今日はやけに物々しい雰囲気が学校に流れてるけど何かあるの?」
「それは生徒会長講演会があるからだ。知らなかった?」
「おぉ、そういえばそんなことを誰かが言ってたな。史弥は何もしなくて良いのか?」
風紀委員に就任した情報は憐可も、可憐と共有するところだ。
「俺は会場整備しかやることないから、特に準備は無いんだ。打ち合わせも前日までに終わっているし、後は開演一時間前に出て行けば事足りる。
憐可、そんなことよりやけに今日は早くないか?」
普段、こんな早くに登校しない憐可(可憐も同様だ)に史弥は訊いてみる。
返ってきた答えは何処か歯切れが悪いものだった。
一瞬、目を逸らしたかと思うと、
「あー、たまにはそういう気分な時だってあるって」
何処か他人事のような口振りだった。
「そうなのか?」
憐可は嘘をついていた。
本当は可憐に焚きつけられて登校していたのだ。
史弥が早く登校しているのを知っていてワザと合わせるために来たのだ。
ついでに言ってしまえば彼女はこれを習慣化しようとしていたのは、憐可の知るところではない。
「それでいつあたしにクレープ奢ってくれるんだよ!」
憐可は座っている史弥へ興奮気味に詰め寄ると問いただしてきた。
学外での不良との乱闘事件以来、リベンジ(クレープを食べに行く)が出来ていなかった。どうやら憐可は待ちわびていたのだ。
その可愛らしい容姿に見合わない食い意地を見せつけられた史弥の頭には、今月のお小遣いの財布事情を瞬時に考慮してはぐらかす算段をつけていた。
「この生徒会長講演会がひとまず終わったら考えておく」
史弥が視線を逸らすのに気づいた憐可は怪しい眼差しを送りつける。
何処か史弥の心を見透かすように。
「ほんとだな? 今更無しとかないからな!」
「分かってる。こう見えて約束は守る男だから」
憐可は史弥のその言葉を聞くと、興味を別へ移す。
廊下の慌ただしさに。
「それにしても人が多いな。今頃、あの女も大忙しだろうな」
「俺なんかとは仕事量が違うから大変だと思うぞ?」
言葉遣いは汚いが、決して貶しているわけではない憐可へ同意を口にする史弥。
今頃、西洋鎧に身を包んだジャンヌダルクが如く生徒会を牽引しているのだろう。
普段はベニビア(怠惰の女神)に徹している彼女もあの働きぶりからするに、息抜きのような一環だと史弥は最近理解し始めてきていた。
「ま、私には関係がないんだけどな」
最後に何かの対抗心が働いたのか負けず素っ気なく憐可は一言付け加えた。
史弥は別に反抗の意味を込めた訳では無いが脊髄反射的に言い返す形をとっしまう。
「そんなことないぞ? ここで学校生活を送る上で新しい風を起こそうとしてるのは風紀委員にいて伝わるし、聞いたりした。それは必ず憐可にも影響する…………気がする」
一拍おいてしまったのは、まだ何処か史弥にとって不安の表れなのだろう。
「やけに最後は弱腰なんだな」
「なんでも知ってるわけじゃないさ。でも先見の眼は鍛えているつもり」
苦笑いを浮かべて史弥は憐可を見ると、少しそっぽを向いて食い気味に呟いた。
「…………まぁ、あいつの作る学校をちょっと見てみたい気はするけどな」
「きっと俺たちにとっても、みんなにとっても、良い方向に進むさ」
そこで史弥は視線を健太郎へ向ける。
──絶対、そうなる。無駄なことなんて何もなかった。間違いなく──
「どこみてる史弥」
「あぁ、ごめん。ちょっとな。
たまにはそういう気分な時だってあるって」
「誰の真似だよ、それ」
「憐可」
「張っ倒すぞ」
睨みを効かせた眼力を横目に史弥は茶化し笑うのだ。
同じ笑顔をもう一人が出来ることを信じて。
◇◇◇
「鹿乃、機器の準備は進んでるか!」
「ええ、大丈夫です! とゆうか、こっちより誘導準備は良いんですか柳瀬副会長?」
大きな声量で問いかけられた鹿乃は反問を柳瀬に飛ばした。
その言葉には、こっちは良いから自分の進捗の方を心配しろ、と言葉にしなくても滲み出ていた。
今、声を掛けられた鹿乃は壇上で今まさに拡声器関連の最終チェックを行なっており、柳瀬はその壇下。
この時気にせず「そうか」と、短く答えた柳瀬は誘導のために集まる実行委員達の元へ戻ろうとする。
普段なら鹿乃のつっけんどんな態度に敏感な柳瀬だが、慌ただしい講堂内で鹿乃が作業に遅延を起こしていないか心配になり、彼なりの掛け値無しの配慮で声をかけたのだが、直ぐには伝わらないのも普段言い慣れていない素ぶりが災いしてのことだった。
素っ気ない態度で報復に出た訳ではなかった。
むしろいつもなら嫌味の一つや二つは言い返す。
柳瀬のその所作が──いつもと違う動作が戸惑いを生み、鹿乃は頭を回転させて、すぐに気付くと呼び止めた。
「待ってください!」
「なんだ鹿乃」
「そ、そのちょっとは心配して下さり……あ、ありがとうございます…………」
ボソボソ気味の喋り口調と普段あまり見せない汐らしい様子に柳瀬は一瞬、目を点にさせた。
「え? ど、どうした、急に。気持ち悪いぞ?」
返された応えに顔から血の気が引いていく鹿乃。
恥ずかしさを堪えて、誠意で返したつもりが無下にされた行き場のない憤りが一瞬にして鹿乃の心を支配した。
「…………早く戻ってもらっても良いですか柳瀬副会長。仕事が滞るので」
「は? 呼び止めたのは鹿乃の方だぞ」
「言葉が分からないですか? 言葉も分からない人間未満の方は私と役職を変わった方が良いのではないでしょうか。むしろ退学することをオススメします」
「なんだその言い草わ。こっちが心配して声をかけたのに」
「柳瀬副会長には繊細さが圧倒的に足りないと思います。如実に実務にも表れています」
その言葉と同時に柳瀬は瞬時に気味の悪い笑顔を浮かべ、口角をヒクつかせながら反抗の狼煙を上げた。
「君のその減らず口は俺を怒らせるためにあるようだな。なかなか良い同僚を持てたと、我ながら鼻が高いと思うと同時に、君の彼氏になる男性は高圧的な態度で肩身が狭い思いで過ごすと思うと残念だ」
「なっ…………!? 言いましたね!」
身も蓋もない言動をお互いに憮然と放ち合い、鹿乃が反撃へ転じようとする。
そして第二ラウンドのゴング(口撃)が鳴り響こうとした時、突然横合いが入る。
最早予定調和でもあるお決まりの人物だ。
「あんたらこんな時までも言い合いしてないで、手ぇ動かさんかい!」
人を従わせる強制力をもった喝の関西弁を飛ばしたのは瑞希だ。
壇上脇で梓と親交打ち合わせをしていたのだが、二人の様子に呆れて声をかけたのだ。
横には梓を伴っている。
さらに瑞希は腰に両手を当て、ご立腹のようだ。
「うちが目ぇ離した隙にほんま、二人ともろくなことせぇへんな。副会長も気ぃつこうたなら最後までやりきらなあかんわ。鹿乃んも言い過ぎや」
柳瀬と鹿乃は口論に乱入した瑞希を見ると、お互いに幼稚な言い合いに発展していたことに羞恥心から顔を真っ赤にした。
「「はい、すみません」」
柳瀬と鹿乃の息のあった謝罪が瑞希に届くと、ひとまず怒りの刃を納め、自身の役目である進行手順を確認するため、壇上脇に戻っていく。
梓はそんな二人の様子に苦笑いを浮かべて瑞希のあとについて行く。
「瑞希先輩も大変ですね」
「ほんまや。梓もいざとなったら止めなあかんで。止めな延々と言い合うからな」
「うっ、それは先輩じゃないきゃ言えませんよ」
「こういうのは勢いが大事なんやで。明らかにあの二人が悪いんやし」
「は、はい、頑張ってみます…………」
サバサバした瑞希にしか出来ない仕事に役回りだと思いつつも、そんなタイミングがきたら本当にあの二人を止められるのか心配になり、この先を思い遣られると梓は憂いていた。
「……あいつら何やってるんだ」
壇上が観れる中間席の端で、会長である麗華は生徒会役員達の一部始終を眺めていた。
彼女は実行委員が備え付けの席に不備がないか最終チェックが完了するのを監督していたのだ。
麗華はすぐに視線を反対側の端に移し、実行委員がジェスチャーでチェックが完了した合図を見届けると、無言で頷いて了解した。
ふと麗華は時計に目を向ける。
時刻は開場一時間半を切っていた。
「そろそろ行かないとな」
そこで名前も知らぬ実行委員の男子生徒から声がかかる。
「会長、全席の最終チェックが終わりました」
「ありがとう。君、申し訳ないが私は少し外の空気を吸ってくると生徒会役員達に伝言を頼めないか? あとは任せたとも」
「はぁ? わかりました」
実行委員の男子生徒は、一瞬何を言われたか分からなかったが、麗華が肩の力を抜きたいのかと憶測を立てて理解すると持ち場を離れて壇上へ向かっていった。
「頼むぞ」
その男子生徒を真剣な表情で見送る麗華は、会場を誰にも目につかないよう、後にした。
◇◇◇
誘導係兼整備に勤しんだ史弥は一段落していた。
講堂内最後方の正面出入り口で誘導を終え、所狭しと着席する全校生徒を見つめる史弥の瞳には疲れの色が浮かぶ。
かなりの人数を一箇所、一施設に集める大変さを痛感させられたのだ。
待ち合わせの友人を探す生徒、何処へ行くか悩みウロウロする生徒、歪な隙間を作り集団で着席する生徒。
このような群勢となって押し寄せる人波を捌くのが如何に大変か、史弥は身をもって体験させられた。
さらに史弥は講堂内を見渡す。
チラホラ空き席もあるところを見ると欠席者はいるようだが、ほぼ全校生徒が講堂内を埋め尽くし、各々が好きな席に着席すると会話を繰り広げている。
「ふぅーあとは公演を待つだけか」
「史弥お疲れさん。ここは俺が引き継ぐから次は壇上周りを見てきてくれないか?」
声を掛けられた方角を見ると、壁伝いに戦国が近づいてきていた。
史弥同様に会場整備を終えて疲労の色が顔に出ていた。
心なしか肩が下がり気味にも見える。
「分かりました。ここから入ってくる生徒の空席誘導をお願いします。自分は壇上周りを巡回してきます」
「分かった。そっちも任せたぞ」
「了解しました」
短く了承した史弥は、すっかり重くなってしまった足取りを壇上へ向かわせた。
壇上脇を回ろうと右外側から歩くと、人垣が司会進行席で出来ているのに史弥は気付いた。
最初は段取りにスケジュール確認かと思い、史弥は気にも留めなかったが、近づくにつれ何か違う異質な空気を作っていたことに気づく。
実行委員が何度もそこへ変わる変わる報告に上がっていた。
まるで人探しを逐一報告するように。
報告を受ける中心には史弥も顔だけは知っている面子が円になって井戸端会議を広げている。
生徒会役員達だ。
「どうゆうことや! 何でおらへんの! もうすぐ講演時間やよ?」
「それが校内どこを探しても…………」
「まさかとは思うが生徒会室や風紀委員室で仮眠してたりしないか探したか?」
「柳瀬副会長、それも確認済みです」
壇上に近づいた史弥はもう声が丸聞こえの井戸端会議の側まで来ていた。
軽い騒ぎになりつつある光景に史弥は違和感を覚えて近づいていく。
すぐ近場にいた上級生らしき人物へ史弥は声を掛ける。
「どうかされたんですか?」
「君は……」
「一年風紀委員の須山史弥です」
上級生が確認する前に、史弥は右腕の風紀腕章を見せ名乗る。
すぐに理解すると上級生らしき生徒は自身も名乗った。
「君があの須山くんか。冬月会長から君に関する話しはいろいろ聞いているよ。二年柳瀬 創人。生徒会副会長だ。先ほどの質問だが、ちょっとトラブルになっていて……」
一体何を麗華が風潮していたのか気にはなるが好奇心を抑え込むと史弥は尋ね直す。
「と、言いますと?」
同じ運営に関わる者として、情報を共有しようと柳瀬は小さく耳打ちするように史弥へ告げる。
その表情からは不安が見え隠れしていた。
「実は…………冬月会長が行方不明なんだ」
小声で告げられた事実に史弥は一抹の胸騒ぎを覚えたがすぐに答えは出た。
「もしかして風紀委員室にいるんじゃないですか?」
すぐに思いついたのは麗華の寝顔だ。
ここ最近の事情を知れば当然の帰結。
となれば風紀委員室だろう、と史弥が推測するのは常だ。
「ここでも話していたが風紀委員室にはいなかった。……とゆうか君は会長がなぜそこに行くことを知って…………風紀委員なら当然か」
何処かの誰かを思い出したかのように呆れ顔になると柳瀬は話を戻す。
「それで今も探しているが校内の何処にもいない。一体急にどうしたんだ会長……。こんな事は初めてだ」
柳瀬は最後に戸惑いを口にすると黙り込んでしまう。
史弥はそこで腕時計を見る。
時刻は講演三十分前だった。
校内にいるのなら別段、問題の無い時間。
ただ本当に校内に居ればの話だ。いないと仮定すれば危うい時刻だった。
何処にいるかにもよるがそれだけ稲沢高等高校の敷地内は広いのだ。
見当をつけている柳瀬を見ながら史弥は麗華の人間性を思い出す。
決して完璧ではない。
完璧と思われた彼女も欠陥を抱えた人間だった。
逆にそれが魅力であり、人を惹きつける何かを持っていた。
怠惰な一面に気さくな性格、妙に義理堅く、面倒見のが良い。
求心力があり、芯が通った人という印象を史弥は抱いていた。
突然、講演会を放り投げて逃げたりする人ではないはずだ。
ましてや誰にも言わずにいなくなるなど考えられない。
講演会も重なっているとはいえ、これだけ周りから心配されているのだ。
そんな人物が適当な事をするだろうか。
純粋な心配が史弥の心の内を染めていく。
だからだろうか、史弥の口から自然と滑るように言葉が紡がれた。
「自分も一緒に探させて下さい」
突然の申し出に柳瀬は驚く。
「だけど良いのかい? 君は会場整備の役目が……」
「殆ど役目は終わっていますので問題はありません。それに人手は多い方が良いでしょう」
人海戦術で捜索範囲が広がれば広がるほど効率は上がる。
今回の人探しでは、人手は多いに越したことはない筈だ、と史弥は考えていた。
顎に手を当て、柳瀬は思案すると顔を上げて史弥を見る。
「分かった。君にも手伝ってもらう。自分から風紀委員長には話しておく。
頼んでも良いかい?」
「引き受けました。あと自分から風紀委員長には伝えますのでお気遣いなく」
「気を遣わせてすまない。生徒会役員は持ち場を離れられないからこのまま待機している。冬月会長を見つけたらすぐに連れてきてくれ」
「了解しました」
史弥は振り返ると正面出入口へ小走りで進む。
もちろん正面出入口では戦国が鎮座していた。
「史弥、前席の巡回は終わったのか?」
小走りで向かってきた史弥に戦国は問いかける。
公演までの時間が迫っている事もあり、史弥は手短に説明する。
「戦国先輩、緊急事態です。冬月会長が行方不明です。
実行委員が校内を捜索してますが、何処にもいないそうです。なので自分は校外を捜索しに行きます」
真剣な史弥の表情と言葉を聞いた戦国は驚いた顔をすると、瞬時に理解し真面目な面持ちで冷静な口調になった。
「──分かった。俺からも手の空いている他の風紀委員に声を掛けて捜索させるように言っておく。校内は実行委員が探しているようだから重点的に校舎外へ行くようにも説明しておくな」
「ありがとうございます。自分はこれからすぐに行きます」
「頼んだぞ史弥」
戦国の言葉を最後に、史弥は正面出入口を駆け抜けて行った。




