久利生遥偉編 当人の資質に依存する話
『自身の基になった人間が経験した嫌な記憶やつらい記憶についても気にし過ぎないでいられる』
まあこれも最終的には<当人の資質に依存する話>ではあるのも分かってる。どんなに、
『そんなこと気にするな』
と言ったところで誰もが久利生のように振る舞えるわけじゃないだろう。気にしないでいられるわけじゃないだろう。現にその<記憶>は自分の中にあって、
<自分が実際に経験したこと>
のように認識されてしまうんだから。<電脳化>が廃れたのも結局はその辺りも原因の一つだったらしい。『他人の記憶をデータ化して取り込む』ことでまるで自分自身が実際にそれを経験したかのように思い込んでしまって精神を病む事例が続発したそうだ。
人間の脳は、人工的に作られた<記憶装置>のように情報に明確なアドレスを振って管理しているわけじゃない。だから<嫌な記憶>だけを確実に捉えて消去するなんてこともできない。無理にそれをしようとするとその記憶に紐付けされた他の記憶まで一緒に消えてしまうことがあるそうだ。一見すると何の関係もないようにも思える<楽しい記憶><嬉しい記憶><大切にしたい記憶>も実際には<嫌な記憶><つらい記憶>と複雑に絡み合っている場合が多いとのこと。だからこそ人間は、
『連想する』
ことができるわけで。一見するとまったく関係のない別々の事柄を関連付けて思考することもできてしまうわけで。それが<洞察力>とか<想像力>とか呼ばれるものの基になっていたりもするらしい。
だから<単純な情報>を外部ストレージに保存しておくだけならまだしも日常的な雑多な思考まで電脳化によってコントロールしようとすると事故るわけだ。
だから久利生のように『今の自分の基になった人間の記憶を客観視し今の自分に活かす』ことができるならまだしも、そうじゃないと『気にし過ぎて』しまって自我を維持することすらままならなくなる可能性は決して低くないとのこと。
シモーヌやビアンカやシオやレックスやサディマも、自分の外に客観的な視点があることで精神のバランスを保っているのは間違いなくあるそうだ。そういう意味でも、
『人間は一人では生きていけない』
と言えるのかもしれない。
まあルイーゼの場合は<今の自分の基になった人間>のこと自体がどうでもよくてただただ、
『今の自身の関心事に正直』
なだけだからまったく平気なんだろう。自身の由来や来歴なんて彼女にとっては<何の価値もない情報>ってわけだ。




