久利生遥偉編 理想の在り方
『私がついてる』
そう言って口先だけで励ますことしかできない自分の娘についても、久利生は別に諫めるようなこともしなかった。その必要がないからだ。
確かに『ただ獣のように生きていく』だけならもう十分な能力を持つものの『人間として生きていく』にはまだまだ人生経験が不足している黎明に、
<大人と同じだけの気遣い>
を求めるなんてのはおよそ<合理性>や<客観性>を備えた人間のすることじゃないからなあ。久利生自身はそれこそ幼い頃から、
『大人と同じように振る舞える』
のが求められていてそれがどれほどの苦痛になるのかを身に染みて実感しているからこそ自分の子供達に対してはそれを要求しないんだ。
久利生自身が言ってたよ。
「僕は両親や大人達が求めていることに応えられる人間であろうと心掛けてきた。それを果たそうと自分なりに努力してきたつもりだった。けれど今になって思えば<そう見えるための振る舞い>自体が両親をはじめとした<身近な者達の真似>でしかなかったのを痛感してる。
厳しく躾けられその通りに振る舞うことを求められてはいたけど、『どうすることが求められているのか?』の具体的なビジョンとして理解はできていなかったんだよ。あくまでも両親をはじめとした身近な者達の振る舞いを真似ることしか思い付かなかった。具体的なビジョンそのものを示してもらえた覚えもなかったしね」
と。
そうだ。子供に対して何かを期待し一方的に求めてくる大人は多いもののじゃあ具体的にどうするのがいいのかをきちんと示す大人は少ないそうだ。ただただ自分の頭の中だけで<理想の在り方>を思い浮かべるばかりで具体的な形としては示さないし示せない。にも拘らず<理想の在り方>だけは求めてくる。子供がたまたまそれに合致したものを示せればいいがそうじゃなかった時には責め立てる。
そりゃ反発もしたくなるよな。その苦い経験があればこそ彼は具体的な自信の振る舞いで<人としての在り方>を示そうとしてるんだ。けれどそれがそう易々と伝わるようなことでないのも承知してる。相応の時間を掛けて子供達自身が見聞きしたことを咀嚼して取り込んでいってようやく形になるものだと知っているからこそすぐに上手くできなくても責めたりしないんだ。責めたところでできるようにもならないし。
だから黎明の<ルコアに対する励まし>が具体性のない口先だけのものでしかない点についても咎めたりはしないんだよ。責めたところで反発するかもしくは乏しい経験の中からそれらしいものを寄せ集めてでっち上げることになるだけだろう。




