黎明編 善意のつもりで
地球人社会には、当人的には『善意のつもりで』余計な干渉をしてくるのが少なからずいる。けれどそれは多くの場合、
<独りよがりの善意>
であり、
<善意の押し付け>
でしかない。まれに<適切な対処>であったりすることもあるもののそれ自体があくまで『たまたま』だったりするからその、
<たまたま上手くいった事例>
を根拠に、
<それこそが正しい行い>
と考えるのは浅慮にすぎるだろう。そしてその浅慮もまた多くの<苦しみ>を生み出してきたんじゃないだろうか。
実際、強い想いで何かを目指していたのに、
『子供が無謀な夢に振り回されて道を誤らないように』
と考えた大人達が『親切心から』『善意から』その子供の夢を摘み取ってしまうなんてこともあったそうだ。当人に悪意はない。けれど夢を諦めた<ある子>は自身が大人になってから頭がおかしくなりそうなほど懊悩したとのこと。でも、自分の夢を摘み取った大人達が間違いなく親切心からのそれなのは分かっていて、<復讐>する気にはなれなかった。
ただ、だからこそ自身が懊悩した事実を誰にも打ち明けられなくてひたすら、
<理想の大人>
に自身がなるため努力したそうだ。もっとも、<客観的事実>ではなく、
『こうだったらいいな』
『こうであってほしい』
という思い込みばかりを基に努力していたから当然のようになかなか上手くいかず、さらに精神的に追い詰められていったらしい。もう自分でも何が客観的事実で何が思い込みなのかすら判別できなくなってしまっていたとのこと。
そこにただただ<第三者の視点>で<客観的意見>を示してくれる人に出逢って、そこからようやく複雑に絡み合っていた<問題>を解き解せていったと。
<悪意>でなくてもそれをしている側はあくまでも<善意>のつもりであっても、
『誰かを望まぬ道に誘導してしまう』
ことはある。そしてえてして<善意のつもりでそれをした者>は『善意のつもり』だったからこそ自らの行為に無自覚で自分が何をしてしまったのかを省みることがないんだ。
それは当然、俺達だって例外じゃない。
『何一つ間違うことがない』
なんてのはおよそ無理でも『間違ってしまうかもしれない』のを理解し、その上で自らの責任を自覚するのが大事だと思うんだよ。そして人間は、<AI>という形で<客観的視点>を作り出すことができた。人間が失敗することを咎めるわけでも責めるわけでもなくひたすらフォローしてくれる存在を生み出すことができたんだ。




