黎明編 取り繕わなきゃいけないもの
改めて言う。人間の子供が言葉を覚えるのは、『勉強という形で教える』からか? そういう親もいるかもしれないが、そんなことをまったくしようとしない親の子供でもある程度成長すれば言葉を話すようになるだろう? ほとんどの場合は。
それは結局、親や身近な人間が言葉を話しているのを聞き取り自身に取り込んでいるからなんじゃないか? その時に同時に<振る舞い>も学び取ってるんじゃないか? 親が相手を見下し馬鹿にするような振る舞いを見せれば子供も相手を見下し馬鹿にするような振る舞いを見せるようになるんじゃないか?
子供はどうしても人生経験が不足しているからこそもちろん親や大人ほど上手く言葉を使えないだろう。適切じゃない使い方をしてしまう場合もあるだろう。けれど適切な言葉の使い方に触れているうちに徐々に補正されていくように、振る舞いについても適切なそれに触れていくうちに補正されていくはずなんだ。だから幼い頃に上手くできないからといって苛立って乱暴な言葉を使ったり恫喝したり高圧的な態度を取るようなことをしていたらますますそういうのを学んでいってしまう。
もちろん同時に『上辺を取り繕う』ことも学べたりするだろうから、体裁を整えることもできるようになったりするかもしれないにしても、上辺を取り繕う必要が出てくるのは当人の本質が、
<取り繕わなきゃいけないもの>
になってしまっているからじゃないか?
<取り繕わなきゃ人間社会での生活に差し障る類のもの>
になってしまっているからじゃないか?
黎明達の本質は確かに野生の生き物に近い獰猛さをはらんだものではあるものの、野生の生き物はそれを取り繕うようなことはするだろうか?
『獰猛さを発揮する必要がない時には穏やかな様子を見せる』
としてもそれは人間がするような<取り繕った振る舞い>じゃないと思うんだよ。獰猛さを発揮する必要がないからそうしないだけで。
でも人間はほんのちょっとした感情の昂りで他者を罵り威圧し恫喝したりもする。どうしてそんな<ほんのちょっとしたこと>でそこまでしなきゃならない? そこまでせずにいられなくなる?
『そういう時にはそうするものだ』
と学んだからじゃないんだろうか? じゃあそれは誰から学んだものだろうか?
親であり身近な大人だよな。もちろんメディアなどで見たり聞いたりした赤の他人のそれを参考にしたりする場合もあるにしても、そんな赤の他人からの影響を受けるくらいなら親や身近な大人から受ける影響はさらに大きいはずなんだ。




