黎明編 学び取ってしまう
これまでにも何度か触れていると思うが、親や身近な大人が子供を<恫喝>によって自分に都合よく操ろうとすれば子供も、
<他者を自分に都合よく操るための手法>
として学び取ってしまうだろうというのが俺の実感だ。しかもそれを<躾>と称して正当化しようとすれば、
『躾や指導と称すれば自分の行いを正当化できる』
とも学び取ってしまうだろう。
『そもそも本質的に他者を害することに躊躇がない』
獣人としての気質を持つ者にそんなことを学び取らせてしまったらどんな恐ろしいことになるか。地球人でさえ『躾や指導と称し他者を虐げる』者が起こした事件も無数にあったんだ。地球人よりも野生に近い黎明達がそうなったらなんて考えたくもないな。
ルコアを大切に想ってる黎明には間違いなく<善性>が備わってる。しかし同時に必要とあらば他者の命さえ奪うことを躊躇しない苛烈さも矛盾なく成立してる。
<善>とか<悪>とか、
<誰かの都合でいくらでも歪めることができてしまう半端な概念>
では<獣人としての気質を持つ者>達を律することなんてできる気がしない。学び取ってもらうべきは<感覚>なんだ。
まあ、ある程度は言葉で伝えることもできる<概念>に比べると『感覚を伝える』ことの方がずっと難しいように感じるかもしれないが、俺の実感としてはむしろ逆なんだよな。
『言葉で伝えられるからこそその言葉の解釈次第でいくらでも捻じ曲げることができてしまうリスクが高い』
概念よりも、
『日常的に手本に触れることで無意識のうちに取り込んでいく』
感覚の方が解釈が入り込みにくいと感じるんだ。これも<子供が言葉を覚えていく流れ>を考えるとなんとなく分かる気がする。いきなり言葉を教えようとしても<言葉の使い方>については巧く伝わらないだろうと思うものの、<日常的な言葉遣い>というか、
『相手に対してどういう言葉を使うか』
はそれこそ親や周囲の人間の普段の言葉遣いを真似ることになるだろうから親や周囲の人間が子供に対して穏当な言葉遣いをしていれば自然とそれを学び取っていってくれるんじゃないか?
『乳幼児に対して赤ちゃん言葉を使う』
のもそういう意味であまり好ましくないと考えれば腑に落ちる気もする。そして子供に対して乱暴な言葉遣いで従わせようとすることについても。
子供を自分の思うように操ろうとして威圧したり乱暴な言葉を放つのは、それを真似るための機会を与えてしまうだけになると思うんだ。まったくの赤の他人がそれをするのよりはるかに強い印象でもって。




