黎明編 何気ない他者との接し方
実年齢で言えば地球人社会ではまだまだ子供のはずの未来だが、当たり前のこととしてルコアを気遣えるのはやっぱり<手本>を間近で見てきたからだろうなとつくづく思う。
<何気ない他者との接し方>
というものは、なるほど生まれつき当人が備えている感覚が基礎になるかもしれないにせよ、具体的な振る舞いの部分は<知識>を基にすることになるはずだ。だからこそ<マナー>などを後天的に教えたりするんだろう? <当人が生来備えている感覚>だけで成立するものなら、
『後天的にマナーを教える』
なんてことをする意味がないんじゃないか? 親や身近な大人はそれをちゃんと意識して自身の普段の振る舞いこそが<手本>であり<教材>になることを心掛けるべきなんじゃないか?
何度も言ってきたが、
『子供がどうやって言葉を覚えるか?』
を考えたら自身の普段の振る舞いについて軽く考えることはできないと思うんだよ。ビアンカも久利生もその辺りをちゃんとわきまえてくれていたんだ。それぞれ自身の基になった<オリジナル>の記憶の中にある<両親>や<周囲の大人>の振る舞いを思い返せばこそ、子供達の前でどう振る舞うべきかを考えてくれている。
<自身が反発を覚えた両親をはじめとした大人の振る舞い>
を<反面教師>にしてくれているんだ。そして<それができる親>であることが本当に大きいと思う。子供の前で、
『自らを省みることができる大人として振る舞う』
ことの重要性をつくづく思い知らされる。自らを省みることができるからこそ他者の振る舞いについても考えることができるんだろうし。
ルコアが『なんだか疲れやすい』と口にしたのについて軽んじたりせず慮ることもできる。
『なんとなく調子が悪い』
と感じるなんてのは誰にでもあるわけで、自分がそうだった時に親や周囲の大人がどう接してくれたかを思い出してそれに倣うこともできる。
実はイザベラでさえ、
「ルコア、調子悪いのか? なら休んどけ」
と声を掛けてもくる。考えてみれば野生の生き物はむしろ、
『できないことは無理してまで意図的にはやらない』
だろうし、そんなことをしなきゃいけない理由もない。自身の命を守る時には無理をするにしてもそうじゃなければ体調を戻すことに注力するだろうな。でなきゃそれこそ命に関わるだろうし。
だから、
「そうだよルコア。私達に任せてよ」
黎明も当然のようにそう言ってきた。別に未来と張り合おうとするわけでもなく、単純にルコアを気遣ってくれてるんだ。




