黎明編 赤ちゃん言葉
地球人はついつい乳幼児に対して<赤ちゃん言葉>を使ってしまったりすることがある。しかしそれはただ自分が愛らしい存在を前にして昂ってしまっているのをある種の言語化という形で表現しているにすぎず、つまり事実上、
『相手を見ていない』
と言えてしまうんだ。
もちろん『自分の気持ちに素直になる』のもそれなりに意義があるのは分かる。愛らしい存在を前に朴念仁でいるのが正しいとは言わない。でもだからといって自分の感情ばかりで相手を見てないというのは、
<無礼>
そのものとも言えるんじゃないだろうか。
『相手は乳幼児だぞ? 無礼とか分かるわけないだろ』
と言うかもしれないが、そうやって相手を侮る姿勢を普段から親が見せていては子供は、
<相手を敬う姿勢>
を学べないんじゃないか? その点、久利生は未来のことも黎明のことも蒼穹のことも侮ったりはしなかった。堅苦しい態度で臨んでいたわけじゃないものの同時に。
『どうせ子供だから』
と軽んじたりはしなかったんだ。獣人の形質を受け継いでいても自身の命を分けた存在であり、地球人社会とは比べ物にならない『遅れた』科学技術しか持たないこんな地に自身のエゴで送り出してしまった事実を受け止めているからこそ、この地で生きる上で必要なものを伝えることに全身全霊を賭ける気概をしっかりと持っていた。
人間としての弱さも持ちつつその弱さと向き合うのを恐れない在り方を示すのこそが<親としての役目>だと承知してくれていた。
オリジナルの久利生が生まれ育った<家>はその弱さを<一族>で補完するために家督こそを重視したが、それがゆえに<個人>を蔑ろにしがちだったのもまた事実。その在り方に苦しんできたのがオリジナルの久利生だった。
しかし今の久利生は、
<久利生家の遥偉>
じゃない。その記憶と人格を再現はされていても、同じく<久利生遥偉>を名乗っていても、<久利生家の遥偉>じゃないからこそただそこから学んだものを活かすことだけを考えられていた。
地球人社会の複雑さやそれが生み出す<厄介事><面倒事>から一族を守るためには<家という鎧>が必要だったのは確かなんだろう。かつてはコミュニティの規模が血族と顔見知りが中心になっていたために他のコミュニティは<敵>か<敵になり得るもの>でしかなかった。だからこそそれに対抗するには強く結束する必要があったんだろうな。
けれど実際には、
『血を分けた者同士が殺し合う』
なんてのは地球人の歴史においてはそれこそ枚挙に暇もなかったはずなんだ。




