黎明編 彼女がなぜそういう笑顔を
<他人から見て面白いもの>
なんて自分という存在の本当にごくごく一部に過ぎないだろう。ほとんどは、
<他人から見たら面白くもないどうでもいい部分>
だと思う。だからこそ、
<承認欲求を拗らせた奴>
なんかは他人から求められたくて本来は自分に備わっていない<無理>をしたりするんだろう? <他人から見て面白いもの>が大部分だったらわざわざそんなことをする必要もないわけで。
<商用エンタメの創作者>の場合だと<ただの一般人>に比べれば他人から見て面白いものも多めに持ってたりするかもしれないもののそれでも限界があるはず。でも、
<描きたいものがある>
のなら、そういう欲求があるのなら、そこで無理に他人から見て面白いものを描こうとするんじゃなくまずは自身の、
<描きたい気持ち>
を納得させるのがいいんじゃないかと思う。
今の地球人は老化抑制処置のおかげで<現役と称される時期>がそれこそ二百年ほどになった。だから<商用エンタメ創作者の現役年数>も、優に百数十年に達する例も珍しくなくなったそうだ。
まあこれは、<経済活動の態様>自体が変化し昔ほど高い利益を得ることに拘る必要がなくなったことで、ある程度の固定ファンが得られさえすればそこまで大ヒットを飛ばす必要がなくなったというのも影響してるんだろうけどな。
もしかすると<俺の手記>もごくごく限られた人間だけにでも気に入ってもらえれば慎ましく生活できる程度には稼げたりするかもしれない。
もちろんそれは<今の地球人社会>に限った話ではあるが。
でも、センシティブな部分にまで突っ込んだ内容だから<炎上>したりもするか。ましてや<商用>という形にするにはかなりの部分をトリミングし、かつ大仰なほどの<演出>を加えないと駄目だろうな。それこそ原形をとどめないくらいに改変しないといけないだろうし、そうなるともう<俺の手記>じゃなくなってしまうと思うんだ。精々<原案>程度の存在になってしまうに違いない。
それじゃ意味がないんだよ。
<面白くなくても大事なこと>
を削ってしまったら本質そのものが失われてしまう。ルコアと一緒に料理をしている黎明の幸せそうな笑顔は、その部分だけを切り取って、
『微笑ましい』
と評されたところで彼女がなぜそういう笑顔をできているのかが伝わらないんじゃないかと思えて仕方ない。黎明がこれまでどんな風に周りの人間から受け入れてもらえていたのかが分からないと伝わらないと思う。




