黎明編 面白くなくても大事なこと
少し話は変わるが、<創作者>について回る<壁>の一つに、
『ある時突然、書きたいものがなくなってしまう』
というのがあるらしいな。だが俺にはその感覚がピンとこない。こうして<手記>という形で自分の書きたいことをずっと綴っていても、
『書きたいものがなくなる』
ことはないんだ。これから先もそうかと言えばそれは分からないにせよ、少なくとも今の時点ではそんな予感すらない。だからなんとなく思うんだ。
『書きたいものがなくなるというのは、他人が読んで面白いだろうと思えるものを出し尽くしてしまったということなんじゃないか?』
と。対して俺は『他人が読んで面白いと思えるものを書いてやろう』とは思ってないから、ただただその時に自分が思ったことを言葉として綴ってるだけだから、『書きたいことがなくなる』わけじゃないのかもしれないと思うんだよ。
人間誰しも大体いつも何か考えているはずなんだ。それを自覚的に考えてるかなんとなく考えているだけなのかの違いはあるとしても、
『何も考えない』
というのは人間という生き物の成り立ち上ほぼ不可能に近いんじゃないかと思う。その上で、考えていることを言語化できるか、言葉にできるか、文章にできるか、というのはあっても形にするのは難しいかもしれなくてもそれは『何も考えてない』ことを示すわけじゃないと思うんだよ。
俺の場合は自分の考えを表すのが苦にならないからこうやって続けられるんじゃないだろうか。
ただしそれが他人か見て面白いかどうかはまた別の話。と言うか、きっと面白くないと俺自身思ってる。でも、
『他人から見て面白いかどうか』
で何もかも決めてしまっていいわけじゃないはずなんだ。
<面白くなくても大事なこと>
はそれこそ無数にあると思う。ならそういうのを俺自身が飽きるまで言語化し続けてやろうとも今は思ってる。
で、すでに四十年以上こうして続けてるわけだが、『書けなくなる』ことは当分なさそうだ。ただ、
<他人から見て面白そうなもの>
については書けそうにない。最初の頃は面白いと思ってもらえる可能性もないわけじゃなかったにしても、今はもう無理だという変な確信がある。その一方で、書くことをやめようという気もさらさらない。
<商用創作者>も、<商用エンタメ作品>を生み出すことはできなくなっても<生み出したいこと>そのものはなくなってないんじゃないか? だったら、
<売れるものを生み出すこと>
は少し休んでそういうのを抜きにしてただただ<生み出したいもの>を生み出すようにしてみるのもいいんじゃないかって気がするよ。




