黎明編 自分で尻拭いをする
『自分の選択について自分で尻拭いをする』
<人間という種>は、それを自覚的に行える生き物だと思う。もちろん先天的な疾患などにより十分にそういう認識を持てなかった者もかつてはいたりもしたにしても現在はそうじゃない。
なのにいまだに『自分の選択について自分で尻拭いをする』ことができない人間が<大人>として大きな顔をしていたりすることもあるのには俺個人としても忸怩たる思いがよぎったりもする。まあ俺一人がそんな風に感じたところでどうなるものでもないのも事実なのか。
けれど多くの人間がそう考えることができてるここでは、
『人間として生きる』
のもそこまで複雑で面倒な話でもないんだ。自身の生き方を誰かから頭ごなしに否定されたりもしないし。そのおかげでストレスもそこまで過剰なものにならずに済んでる。
ストレスが過剰なものにならずに済んでいるということは、精神的に『拗らせる』必要もあまりないということなんじゃないか? <ヤキモチ>は、
『単純にヤキモチとして表に出せばいい』
だけだろうし。それについて、
『考え過ぎだ』
『気にし過ぎだ』
『面倒臭い女は嫌われるぞ』
的に揶揄されることもない。揶揄されないということはそちらからのストレスもかからない。シンプルなストレスが掛かるだけだからそれを和らげるのにも面倒な手法は必要ない。<狩り>という形で発散できればそれで概ね解消できてしまう程度で済んでるんだ。
なのに地球人はストレスそのものすら複雑怪奇な形に拗らせてしまったからなあ。
『一つのストレス源を解消する』
だけじゃ十分じゃなかったりする。解決のために行うべきことが多岐にわたる場合もある。そうして解決に時間を要している間にまた別の問題が生じてしまったりもすると。
今から思い出しても本当に頭が痛くなる状況だったな。
野生の生き物の場合は、
『生きるか死ぬか』
であって本質的にはただそこに帰結するだけのはずなんだ。人間(地球人)とはまるで違う。生きるために最善を尽くせばそれで問題の大半は解決してしまう。
もし自身の遺伝子を残すことができなかったとしても、それすら人間(地球人)ほどは気にしたりもしない。悔んだりもしない。人間(地球人)は<子供を持たないという選択>を自らしたにも拘わらず年老いて取り返しがつかなくなってから、
『子供を生んでおけばよかった』
だの後悔することがあるからなあ。子供を持たない選択をしてその分だけ自分だけの人生を謳歌したのならそれで満足しておけばいいのに。




