黎明編 自ら証を立てる
『自分という人間がこの世で生きてることについて自ら証を立てる』
なんて言うと、
『子供を生んで親になることが人間として生きることの証明になるのか!?』
だとかキレるのもいるだろうが、まったく違う。
『子供を生まないという選択をした自分自身に責任を負う』
のなら<子供を生まないこと>もあくまで単なる、
<選択の一つ>
でしかないと思うんだ。実際、俺が暮らしてた頃の地球人社会は本質的にそうだったはずだし。
『子供を生んだから偉い』
『子供を生まないから人間として責任を果たしてない』
なんて考え方は明確に否定されてるしそのことを前提にした制度設計が行われているはずなんだ。生涯未婚率が高くても子供を持たない人間が多くても地球人の人口は緩やかな増加傾向にはあったそうだし。まあコミュニティによっては減少傾向を見せるところなんかもありつつ、全体としては。また、
<老後の面倒>
もロボットが見てくれるから、
『他人が生み育てた子供を当てにする』
必要もなくなったことで<不公平感>も大きく和らいだし。なのにいまだに、
『子供を生まないとか生き物としておかしい』
だの、
『子供を生み育てないのがいるとか不公平だ』
だの口にするのがいるんだから本当にどうかしてると思うよ。
『子供を生み育てる選択をしたのはあくまで自分自身である』
はずなのにその事実を認められないんだから。他人の選択は関係ない。
『自分が何を選択しその選択についてどう責任を負うか?』
が重要なはずなんだ。そうやって他人の選択についてとやかく言ってる時点で、
『他人の所為にしようという意図が透けて見える』
としか感じない。
『他人が自分と同じ選択をしないんだから自分も真面目にとかやってられない』
って感じで自らを甘やかしたいだけだろうとしか思わないんだよ。
本当に<自我>が確立されていれば、
『他人が何を選択しようと自分自身が何を選択しどうするかについて揺らぐことはない』
と思うんだよな。
親がそういう姿勢を自分の子供に示すのも、
<人間の親としての在り方>
だとつくづく思う。親がそれをしないから子供も他人ばかりを気にして、
『自分はどうあるか?』
を考えられないんだろうな。その点、俺達はそれぞれ、
『自分の選択について自分で尻拭いをする』
ことを是としている。子供達に対して大人としてそういう<手本>を示すことを心掛けてる。
もちろんそれだけですべてが上手くいくとも思ってないから、子供達の様子を見てそれに則したフォローもしなきゃと思ってるだけなんだよ。




