黎明編 前提がおかしいように
一口に<戦争>といってもその<発端>や<目的>には様々なものがあったと聞く。
文明がまだそれほど進んでいなかった頃にはそれこそ、
『生きるために奪う』
的な理由があってのものが多かったらしい。それがやがて、
『国内の不満を外に敵を作ることでそちらに逸らす』
目的の戦争が行われるようになり、さらには、
『自分達がよりよい生活をするために奪う』
ものになり、その<奪う>行為が直接的なものでなく<搾取>という形になると今度は<搾取される側>がそれに憤り反抗するための戦争という形も出来上がっていったと聞く。
『生きるために奪う』という形なら単純な<生存競争>とも言えるかもしれないにしても、『自分達が贅沢な暮らしをしたいから奪う。搾取する』なんてのはもうとても<正義>とか言えるものじゃないと個人的には思うんだが、それでもなお<正義>を掲げてたそうじゃないか。
なるほど野生の生き物であれば<身勝手>や<利己的>であることが生き残るための第一条件にもなるだろう。どんなに身勝手で利己的な振る舞いをしたところで世界に与える影響なんて非常に限定的だから。世界大戦なんて起こせないし、核兵器も使えない。
でも、人間は違う。今の俺達が使える技術でさえ核兵器を作ることはそんなに難しくない。核兵器に使用可能な核物質が存在することはすでに確認済みだし手間さえかければ数年以内には作れると思う。
しかも威力は核兵器には及ばなくても大変な殺傷力を発揮する<燃料気化爆弾>ならそれこそ一年とかからずにこの台地の生き物すべてを皆殺しにできるだけの数を揃えることもできる。
俺達でさえその程度のことはできてしまうんだ。人間というのはそういう生き物だ。そんな人間が身勝手や利己的を前面に押し出せばどうなるか、俺は嫌でも考えさせられる。考えずにはいられない。
地球人社会では確かに『狡い奴が得をする』みたいなことも少なからずあったのも現実ではある。しかし最初からそれが当たり前というのは好ましくないはずなんだ。それに倣おうとする人間が出てきてしまうから。不公平を感じてしまえばそこでもう攻撃性を発揮する理由ができてしまうから。
で、そこで生じた攻撃性を抑え込むために<力>を誇示することになると。
最初の時点でもうズレてる気がするよ。前提がおかしいように思う。
『野生の生き物には決してできないことができてしまうのが人間という生き物だ』
というのを忘れちゃいけないと思うんだよ。
それを考えれば身勝手や利己的を『当たり前』で肯定できないはずなんだ。




