黎明編 不自然なまでに
『幼い頃から親に虐げられてきた子供がそれなりに大きくなり力も強くなったら立場が逆転し親を虐げるようになった』
なんて事例も実際にはそこまで珍しくなかったそうだ。にも拘らず世間では、
『育ててもらった恩も忘れて』
『親が可哀想だ』
と、一方的なものの見方で片方だけを擁護する人間も少なくなかったとのこと。俺自身が<親>だからこそもし俺が子供達に理不尽に虐げられるようになったとしてもそれはあくまで俺が自ら招いたことだとしか思わない。俺の子供達はどんなに狂暴性をはらんだ猛獣の気性を備えていようとも、それを向ける必要のない相手にまでそんな振る舞いはしないんだ。ということは俺に対してもしそういう振る舞いをするのならその原因を作ったのは他でもない俺自身だという何よりの証拠なんだ。
イジメの件についても、
『イジメはイジメられる側にこそ問題がある』
などと口にしながらこと親が子供に虐げられるみたいな事例になると途端に『被害者側にこそ問題がある』みたいな話は出てこなくなるとも言われてた。俺も実際にそう感じる。不自然なまでに。
だから結局、
『被害者の側にも問題がある』
なんて話は自分にとって都合のいい時にだけ持ち出してくる浅はかな詭弁でしかないんだろうという実感しかない。自分が加害者寄りの立場になった時にだけ持ち出す。
客観的な事実として『被害者側にも問題がある』事例は確かにあると思う。けれどだからといって『何をしてもいい』という話にはならない。
『自分が子供の頃にされたことを親にやり返す』
というのも、単純に<法に触れる行為>となれば許されないだろうさ。俺もそこは譲るつもりはない。だからこそ<イジメ>の件にしても加害者を擁護するつもりは毛頭ないんだよ。<やったこと>を認めるつもりがないから。
でもそれとは別に子供達が俺に対して攻撃性を向けるなら、
<その必要性をなくせなかった俺自身の責任>
については目を背けるつもりもないというだけなんだ。俺個人の問題として。
そして同時に、
『狡い奴が得をする』
なんてのも子供達に見せるつもりもない。『狡い奴が得をする』という一面は確かにあるにしたって、それを認めていたらそのこと自体が、
『攻撃する必要性を作る』
流れにもなってしまうかもしれないし。それじゃ駄目なんだよ。人間という<力のアウトソーシングを使える生き物>でそれを認めていたら自分達の首を絞めるだけなんだ。
<戦争>なんてのはその最たるものだっただろうし。




