黎明編 信じて疑わない
『ヒーローや正義の味方に守られる側は、ヒーローや正義の味方が持つ攻撃性が自分達に向けられることはないと信じて疑わない』
ヒーローや正義の味方を主人公として描く物語の中では基本的にそうだ。ヒーローや正義の味方は<敵>と<守るべき対象>については非常に明確に分けていて<敵>に対しては容赦のない攻撃性を見せても<守るべき対象>に対しては不自然なくらいに温厚に振る舞う。
それは大体の物語において<守るべき対象>はあくまで善良な存在として描かれているからだろう? だから守ってもらえる。攻撃性を向けられることがない。
たまに<守るべき対象>から理不尽な扱いを受けてもなお守ろうとするヒーローや正義の味方の描写をテーマにした物語もあったりするものの、その場合は特に、
<理不尽な扱いを受けてもなお守りたい理由>
が示されてたりするように思う。まあそれ自体が<ヒーローや正義の味方自身が備えた素養>を前提にしたものだったりしつつも。
これはあくまで物語の話ではありつつ、結局は、
『攻撃性を向ける必要がない』
『攻撃性を向けないでいられる理由がある』
というのがいかに重要であるかを表している気がする。そして現実でも、強い攻撃性を持つ者がそれを向けない相手がいるのは『攻撃性を向ける必要がない』『攻撃性を向けないでいられる理由がある』からだと感じるんだ。
だとすればイザベラやキャサリンに対して、
『攻撃性を向ける必要を作らない』
『攻撃性を向けないでいられる理由を作る』
のが大事だとは思わないか? 自分がちょっとばかり気に入らないからといって攻撃を加えて、それで自分は他の誰かから攻撃されるのは許せないとか、よくそんなことを恥ずかしげもなく言えるものだと悪い意味で感心する。
だからイザベラやキャサリンが裸でいようが、恐ろし気な振る舞いを見せようが、彼女達が人間を攻撃しようとしないのならこちらからも攻撃する必要は感じない。お互いにそう思えてるのならそれでいいんだよ。
『他人を自分に都合よく操る』
なんてのはおよそ現実的じゃない。極めて限られた状況下ではたまに成立する場合もなくはないにしても決して一般的じゃないと強く思う。ならそんなのを期待するんじゃなくてもっと現実的で具体的な対処を心掛けるのがむしろ合理的じゃないだろうか。
『攻撃性を向けなきゃいけない理由を作らない』
のもそういうのの一つなんだよ。心掛け一つでできることだし。コストも大きくかからないし。




