黎明編 拒絶していただけ
『想像の余地がなくなるからあまり詳しく説明されるのは白ける』
フィクション作品についてそう考えるのは個人の勝手だろう。だから考える余地がある作品を楽しめばいいと思う。けれど相手が生きている人間の場合は勝手な想像で勝手な解釈を加えるのは相手の尊厳を蔑ろにしている以外の何ものでもない。
<電脳化>は相手の考えてること感じてることを直接齟齬なく理解できると期待された技術だったが結果的には、
『人間は自らの解釈によって物事を理解しているため、相手の考えていること感じていることそのものも独自の解釈を通してしか自分の中に落とし込めず、どうしても齟齬が生じてしまう』
のを確認するだけになってしまったんだ。つまり、
『自分の解釈は自分自身のものでしかない』
ということであってそれが<真実>にはなり得ないんだよ。<近似値>になることは有り得ても完全に一致することはない。ましてや断片的な情報しかなければなおさら誤差は大きくなる。だからなるべく酷い乖離なくある程度は理解してもらおうと思えばなるべく多くの情報を提供するしかないんだ。自分の勝手な解釈をまるで<正答>のように喧伝する輩も現にいる以上、それを阻止しようと思えば当然ながら<詳しい説明>は必須なわけだ。
加えて俺自身が黎明のことをなるべく理解しようと思えばより多くの情報を求め、それを丁寧に咀嚼していくしかないし。
これが受け取り手にとっては<ノイズ>になっても関係ない。むしろ自分に都合のいい姿を想像して悦に入ろうとする人間については邪魔をしたいとさえ思う。
『自分には理解できないものを理解できないという前提の上で受容する』
のが、
<人間として生きていくには必要なこと>
のはずだし。身勝手な犯罪によって他者を傷付ける輩は根本的にそれがピンとこないらしいとも聞く。特に、
『被害者側に訴えられたことを逆恨みする』
ようなタイプは。<犯罪>を行っている時点でもう一方的に自分が悪いってのに、それを恨まれても当然なのに、恨まれたことについて被害者面するその感性が本当に救いようがないよなあ。
俺は子供達にそうなってほしくないんだよ。ゆえに理解するために努力はするし、理解するための努力はしつつも完全に齟齬なく理解することは実際には無理であることも分かった上で子供達の存在そのものを受け入れたいと思うんだ。
そしてこれは俺が朋群に来たからこそ得られたものでもある。地球人社会にいた頃の俺は自分に都合の悪いものを拒絶していただけだったんだろうさ。




