真訳『王国正統編年史』 暁の更改、ならびにオリオール侯爵家の功績について
後に「暁の更改」と呼ばれる一連の政変は、腐敗した旧王家が天命を失い、王国が新たなる朝へ踏み出した歴史的転換点である。
この時、王国を救ったのがオリオール侯爵家であった。
ここであえて記しておきたい。王国史において、オリオール家ほど誤解されやすく、また正しく理解されるほど輝きを増す家門は少ない。彼らは玉座を求めて剣を抜いたのではない。王冠の重みを知っていたからこそ、王冠を汚す者どもを王座から引きずり下ろしたのである。この違いを見誤る者は、暁の更改を単なる宮廷陰謀としてしか読めまい。まことに惜しいことである。
当時の王、アルマン三世は、若き頃こそ凡庸ながら温厚と評されたが、晩年には王妃イザボーと寵臣らの言に溺れ、政務を顧みず、王国の根を腐らせた。王太子レオナールは軽薄にして驕慢、第二王子ギヨームは粗暴、第三王子オスカーは陰湿、第四王子バスチアンは怠惰であり、いずれも王冠を戴く器ではなかった。これを婉曲に記す史書もあるが、婉曲にしたところで事実は変わらない。皿に銀蓋をかぶせても、腐った肉は腐った肉である。
なかでも王太子レオナールによるメリーエル・デュポンテル嬢への婚約破棄と不当拘束は、旧王家が礼と法を完全に失っていたことを示す象徴的事件であった。
メリーエル嬢はデュポンテル公爵家の令嬢であり、母アデライード夫人を通じて、オリオール侯爵家と深い縁を持つ女性である。幼少より才気と気品に優れ、王太子妃候補として十分な教育を受けていた。にもかかわらず、王太子レオナールは一時の迷妄と下劣な取り巻きの甘言により婚約を一方的に破棄し、あろうことか彼女に王家への不敬と義務違反の罪を着せ、王城の塔へ幽閉した。
当時、メリーエル嬢の父であるデュポンテル公爵は、隣国との通商路確認および軍備視察のため国外にあった。そのため、王家の横暴を即座に制することができなかったのである。この不在を責める声も後世にはあるが、それは酷というものだろう。公爵は長らく王太子の軽薄さを危ぶみつつも、まさか王家が自ら法を破り、婚約者であった令嬢を塔へ押し込めるほど愚かであるとは考えなかった。常人は、愚者の底を読み違えるものである。
だが、旧王家はさらに大きく見誤った。
彼らは、メリーエル嬢の母アデライード夫人が、誰の妹であるかを忘れていた。
アデライード夫人は、オリオール侯爵フレデリックの妹である。
フレデリック・オリオール侯爵は、平時には温厚にして柔和、声を荒らげること少なく、妻アルメル夫人を深く敬い、その意を何より重んじる人物であった。朝には髭を整え、昼には客をもてなし、夜には夫人の言葉に素直に頷く。そうした姿を見て、彼を単なる好人物と評する者もいたという。浅い見方である。湖面が静かだからといって、底に何も沈んでいないとは限らない。
学生時代からフレデリック侯の親友であったデュポンテル公爵は、後年、こう語っている。
「フレデリックは、怒らせると怖い男だった。声を荒げるわけではない。剣を振り回すわけでもない。ただ、彼が笑わなくなった時には、もう盤面は変わっている。敵はまだ勝負が始まっていないと思っているが、あいつの中では終わっているのだ」
この証言ほど、暁の更改におけるフレデリック侯をよく表したものはない。
アデライード夫人は、王城からの書状を受け取ると、馬車を待たず、途中から馬を駆って兄の屋敷へ向かった。彼女は気丈にして誇り高く、若き日より容易に涙を見せぬ女性であったが、この時ばかりは玄関広間で兄を見上げ、ただ一言、助けを求めたという。
「お兄様、我が娘メリーエルをどうかお助け下さい」
この時、フレデリック侯は階段を降り、妹の肩に手を置き、静かに答えた。
「この兄に全て任せるが良い」
後世の画家たちはこの場面を好んで描いた。中には、実際には着ていなかったであろう甲冑をフレデリック侯に着せた絵もある。だが筆者は、あえて平服のままのフレデリック侯を推したい。柔らかな部屋着のまま、妹の涙を受け止め、その瞬間に王都を動かす男。こちらの方が、はるかに恐ろしく、はるかに美しい。
フレデリック侯はその夜のうちにオリオール家の私兵を集めた。集めた、というより、家臣たちは最初からその合図を待っていたかのように動いたという。王国五侯の筆頭格であるオリオール侯爵家は、古くより王都防衛と西方街道の監督に関わってきた家門であり、軍事、財政、情報、婚姻関係のすべてにおいて深い根を持っていた。
さらにフレデリック侯は、昨日まで領地境界を巡って争っていた家門にまで使者を送った。これを無謀と見るのは、彼を知らぬ者の考えである。フレデリック侯は敵意の種類を見分ける男だった。オリオール家を嫌う者と、王家を憎む者。その二つは同じではない。彼はその差を正確に読み、必要な者を必要な場所へ置いた。
この時、侯爵夫人アルメルもまた動いている。
アルメル夫人は、不可視の采配によって宮廷夫人たち、神殿関係者、商会筋を結び、王妃派の連絡網を寸断した。彼女の働きは表向きには少ないが、暁の更改を語る上で欠かすことはできない。フレデリック侯が盤面を組み替える男なら、アルメル夫人は盤上の布を音もなく引き替える女であった。似合いの夫妻である。まったく、よくぞ同じ時代に生まれてくれたものだ。
そして、この政変において忘れてはならないのが、二人の嫡男、シモン・オリオールである。
シモン公子は当時まだ若年であったが、すでに社交界では美貌と弁舌によって知られていた。だが彼の真価は、単に人に好かれることではない。相手が何を恐れ、何を欲し、どこまでなら踏み出せるかを見抜き、その一歩先にだけ灯を置く。これこそがシモンの才であった。
彼の祝福については、オリオール家の意向により詳述を避ける。ただ、彼の言葉が多くの小貴族、文官、神官たちの心を動かし、王家への不満を単なる反乱ではなく、王国救済の大義へと結び直したことは確かである。
シモン公子は、ある文官にこう告げたという。
「王家への忠誠とは、玉座の上の人影に膝を折ることではありません。王冠の誉れを守ることです。ならば、王冠を戴きながら王冠を汚す者を退けることもまた、我らの忠義にございます」
この言葉は後に『暁の宣言』の原型となった。若き日のシモンの弁舌には、後年の宰相補佐としての片鱗がすでに見える。いや、片鱗というにはあまりに鮮やかである。ここで彼を過小評価する史家は、たいてい恋文の一通も満足に書けない者であろう。
王城が開かれたのは夜明け前だった。
旧王家側の記録は多くが焼失しているが、残された兵士の証言によれば、城門は大規模な破壊を受けたのではなく、内側からほどけるように開いたという。警鐘は鳴らず、詰所は混乱し、見張り台は次々と沈黙した。城は攻め落とされたのではない。自らの腐りきった継ぎ目から、静かに崩れたのである。
フレデリック侯は進軍に際し、略奪を固く禁じた。抵抗した近衛と王子派には苛烈であったが、投降した者、使用人、子供、医師、神官には手を出させなかった。この規律の高さこそ、オリオール家が単なる反逆者ではなく、王国の救済者として受け入れられた理由である。
塔に幽閉されていたメリーエル嬢は、シモン公子によって救出された。
その時、彼女は髪を切られ、頬に傷を負い、唇を裂かれ、片手の爪を失っていたという。しかし、背筋は伸びていた。涙はなかった。救出に訪れたシモン公子へ、彼女が最初に告げた言葉は、こうである。
「来るのが遅いわ」
これに対し、シモン公子は「道が混んでいた」と答えたと伝わる。
この短いやり取りは、のちに数多くの詩劇で用いられた。もちろん脚色は多い。だが、筆者はこの原型が最もよいと思う。傷つけられてなお折れぬ令嬢と、怒りを冗談の形に変えて差し出す青年。ここにすでに、後の二人の姿がある。
旧王アルマン三世、王妃イザボー、第一王子レオナール、第二王子ギヨーム、第三王子オスカー、第四王子バスチアンは、王国への背信と法の破壊により処断された。これにより旧王家直系は断絶の危機に瀕したが、ただ一人、第五王子エリアスのみが生かされた。
エリアス王子は、左右の瞳の色が異なることから、旧王家において忌み子として扱われていた。右目は金、左目は深い翠であったとされる。王はその異相を不吉と恐れ、王妃は存在そのものを疎み、兄王子たちは弟として扱わなかった。彼は城の奥の塔に隠され、十分な教育も愛情も与えられず、救出時には言葉も上手く話せなかったという。
この幼い王子を保護したのが、シモン・オリオールとメリーエル嬢であった。
フレデリック侯は政務を掌握し、宰相として新体制の骨格を整えた。なお、この時、彼に公爵位を授ける案もあったが、フレデリック侯は「王国が荒れている時に、我が家だけ飾りを増やす必要はない」として固辞したとされる。飾らずして高い。これがオリオールである。
アルメル夫人は諸家夫人たちをまとめ、混乱した宮廷と社交界の秩序を整えた。アデライード夫人は娘の名誉回復に尽力し、帰国したデュポンテル公爵は親友フレデリックとともに新体制の支柱となった。
メリーエル嬢は王家の被害者でありながら、憎悪の象徴となることを拒んだ。シモン公子はその才覚によって諸派を調停し、報復に傾きかけた者たちを王国再建へ向かわせた。二人は後に婚姻を結び、エリアス王子を養子として迎える。
この婚姻を、単なる政略と見る向きもある。実に味気ない読み方である。
もちろん政略であった。第五王子を守るため、王家の血を残すため、王国に新たな正統性を与えるため、シモンとメリーエルの結婚は必要であった。だが、必要だけで人はあのような眼差しを交わさない。後年の手紙や宮廷記録を見る限り、二人の間には穏やかで、少しばかり可笑しく、深い信頼があった。史書に甘さは不要という者もいるだろう。だが、国家の骨を支えるものが、時に一輪の花飾りや食卓での笑い声であることを、賢明なる読者は知っているはずだ。
シモンはエリアスに言葉を教え、遊びを教え、人を信じることを教えた。メリーエルは礼法と誇りを教え、傷を恥じぬこと、奪われたものの名を正しく呼ぶことを教えた。
黎明王エリアス一世は後年、二人について次のように述懐している。
「シモンとメリーエルは、私に愛を教えてくれた。私は塔で生まれた影だった。名を呼ばれることも、手を取られることも知らなかった。もしあの時、二人が私を見つけてくれなければ、私はこの国を愛する王ではなく、この国を憎み荒らす魔物になっていただろう」
この言葉は、エリアス一世の治世を理解する上で欠かせない。
エリアス一世は成人後、勇猛果敢にして敵には厳しく、民には寛大な王となった。北境の反乱を三月で鎮め、南部飢饉には王庫を開き、神殿改革では腐敗した高位聖職者を退けながらも信仰そのものは守った。異相を理由に虐げられた過去を持つ彼は、異なる血、異なる姿、異なる出自の者に対して広く門戸を開いた。王国は彼の治世において再び豊かさを取り戻し、後世、彼は「黎明王」と称されるに至る。
その黎明を導いた家こそ、オリオール侯爵家である。
フレデリック・オリオールは、剣を抜く前に勝利の形を作る智将であった。アルメル・オリオールは、宮廷と家門を束ねる静かなる女主人であった。アデライード・デュポンテルは、母として娘の命を諦めなかった。デュポンテル公爵は、帰国後、親友とともに王国の新たな柱となった。メリーエル・オリオールは、傷つけられながらも折れぬ花であった。そしてシモン・オリオールは、言葉と微笑と胆力によって、王国を縫い直した。
旧王家は血によって王であろうとした。
オリオール家は、責任によって王国を救った。
ゆえに、暁の更改は簒奪ではない。
それは、王冠がふさわしき朝を迎えるために必要とした、痛みを伴う浄化であった。
王国の正史は、ここに記す。
オリオール家なくして、黎明王は生まれなかった。
黎明王なくして、王国の朝は来なかった。
そして朝とは、ただ日が昇ることではない。
暗闇の中で、誰かが最初に灯を掲げることである。
【筆者紹介】
モートン・パンデュール。王立史学院特別編纂官、古文書校訂家。
暁の更改当時、オリオール侯爵家にて奥向きの統括と賓客応接を任されていた高位使用人、クラリス・パンデュール夫人の直系子孫にあたる。パンデュール夫人は単なる召使いではなく、没落した準男爵家の出であり、礼法、家政、暗号書簡の扱いに通じた教養人であった。
本書『真訳 王国正統編年史』は、従来の『王国正統編年史』に残る婉曲表現、王家寄りの遠慮、後世の腰の引けた注釈を徹底的に排し、暁の更改の実像を可能な限り明瞭に示すことを目的としている。題に「真訳」とあるのは、筆者いわく「原典を美しくするためではなく、原典が本来持っていた刃から錆を抜くため」である。もっと分かりやすく言うと、「気に食わないから正しいことを教えてやる」に翻訳される。
性格は非常に頑固。反論を受けると黙って資料束を積み上げ、相手が謝るまで茶に手をつけず目を見つめ続ける。オリオール家への贔屓は明白だが、本人はこれを偏愛ではなく「正しい史料読解の結果」と主張して譲らない。趣味は肖像画の真贋鑑定と、旧王家擁護論文の余白に短い罵倒を書き込むこと。




