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きっと後世では格好良く名前が付けられるだろう、妹に泣きつかれた兄の報復。  作者: もこもこハダカデバネズミ


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3/3

講義【『王国正統編年史』 暁などと呼ばれた夜、あるいはオリオール侯爵家の簒奪について】

 後に「暁の更改」と呼ばれた一連の政変は、王国史において最も美しく語られ、したがって最も疑って読むべき事件である。


 オリオール侯爵家は王冠を救った。

 旧王家は腐敗していた。

 黎明王エリアス一世は闇の塔から救い出され、愛と正義と新しい朝によって玉座へ至った。


 ───────という筋書きである。


 なるほど、よくできている。たいへん読みやすい。吟遊詩人が弦を鳴らし、芝居小屋の看板絵師がペンキを塗り、貴婦人たちが涙を拭うハンケチを用意するには申し分ない。

 だが歴史書として読むには、いささか公平性に欠けている。


 これを「暁」と呼ぶ者がいる。便利な言葉である。夜明けと言えば、どれほど血に濡れた石畳も薔薇色に見えるらしい。まこと、詩人とは血痕の上に花弁を撒く職業である。もっとも詩人ならまだよい。詩人は自分が詩を書いていることを知っている。問題は、詩を書いているくせに史官の顔をしている連中である。


 オリオール派の史書には、この種の悪癖が多い。『黎明王戴冠記』はまだよい。題名からして、最初から読者を泣かせる気でいる。『王冠を支えし白き翼』に至っては、もはや王国史というより、令嬢向けの幻想小説であろう。せめて書架の分類を弁えてほしい。妖精譚、恋愛詩、あるいは「都合のよい男が都合よく遅れて来る物語」のあたりに置くべきである。


 まず確認しておかねばならない。アルマン三世は、断じて暗君ではなかった。


 ここで「晩年の失政はどうした」と、大喜びで目を輝かせる者がいる。落ち着きたまえ。失政がなかったとは言っていない。まず人の話を聞け。聞けないのであれば、部屋を出て右手の端に積んである、火の焚き付け用のモートン・パンデュールの書でも眺めているとよい。君には、そちらの方がよほど肌に合うだろう。


 若き日のアルマン三世は派手な征服王ではなかった。戦場で血を浴び、敵の首を掲げ、民衆の歓呼の中で王都へ凱旋する型の君主ではない。そういう絵面を好む読者には退屈な王だったろう。


 彼は即位後、北方三伯との境界争いを終わらせた。麦倉法によって飢饉時の備蓄制度を整えた。南部の河川工事を17年かけて成し遂げた。王都の下町に施療院を増やし、遠隔地の税負担を軽くし、神殿と諸侯の対立を少なくとも20年は燃え上がらせずに済ませた。


 分かりやすい名君とは言えないが、賢君であったことは確かだろう。争いを避け、王国の長き平和の時代を支えた王であった。


 むろん、晩年のアルマン三世に陰りがあったことは否定しない。持病は悪化し、長時間の会議には耐えられなくなった。側近の選別にも甘さが生じた。

 二度ほど、王の署名を得た命令書に明らかな矛盾があり、文官たちが慌てて差し戻した記録もある。老いは人を脆くする。だがそれは、王が神ではなく人であったという当たり前の事実だ。


 これをもって「国政を顧みなかった」と書くのは、戸口の歪みを見つけて家全体が腐っていると叫ぶようなものだ。

 王は王妃イザボー、王太子、信任した文官たちへ権限を分けた。老いた王がすべてを握りしめたまま国を殉死させるより、よほど理性的な判断である。


 王妃イザボーについても、悪しき噂ばかりが広められた。寵臣に溺れた、宮廷を乱した、王を操った。

 女が政治に口を出すと、たいてい男たちは「操った」と言う。自分の頭が空洞で糸を通しやすいから、他人もそうだと思うのだろう。可哀想に。


 イザボー王妃は諸外国語に通じ、隣国との婚姻外交を何度も成功させた。王都織物組合と女官教育院の庇護者でもあった。下町の施療院に王妃の名が残っているのは偶然ではない。冬に薪を買えぬ寡婦たちへ、王妃の私財から燃料が配られた記録もある。

 ある年、王都で流行病が出た際、彼女は神殿だけに祈らせるだけで終わらせなかった。医師を集め、孤児院へ湯と清潔な布を送った。病室の換気について細かく指示した書付も残っている。字は乱れている。急いでいたのだろう。王妃の侍女のひとりが、同じ流行病で妹を亡くしていた。


 こういう一行は、オリオール派の史書にはあまり出てこない。出したところで、「民心掌握のための慈善」と片づける。


 まったく便利な言葉である。パンを配れば買収。薬を送れば人気取り。病人を見舞えば演技。ならば逆に何をすればよかったのか。病人の枕元で「政治的中立のため、私は何もしません」と宣言すれば満足だったのか。それこそ人の心を戸棚にしまい忘れた行いではないか。

 「お前の血は不凍液で、精神の配合の八割を嫌味に設定された男」と評された私でさえ、家族が寝込んだ時には粥を作って持っていく程度の真心はある。ちなみにこの罵倒を口にしたのは、かのモートン・パンデュールである。どの口で何を言っているのか、当時は少し分からなかったが、今にして思えば自己紹介だったのかもしれない。


 ただし、イザボー王妃にも欠点はあった。これも書いておく。彼女は敵を作るのがうまかった。 賢いがゆえに、愚かな者を愚か者として扱いすぎた。

 王妃の書簡には、諸侯の名の横に短い評が添えられている。「仕事が遅い」「欲深い」「妻の方がまし」「馬以下」。最後のものは誰を指すのか長く議論されているが、私はヴァロワ伯ではないかと思っている。理由は時間の都合で省く。


 つまり彼女は有能だったが、愛される努力を途中で放棄した。有能な女が愛想を捨てると、宮廷の男たちは大変傷つく。傷ついた男ほど、大袈裟に自分を被害者において後世に長い悪口を残す。醜男が妙に攻撃的になる現象と似ているな。顔も性格も悪ければ誰にも愛されないのは仕方の無いことだと言うのに。


 王子たちについても、公平に述べる必要がある。公平に、という言葉は危うい。処断された者を語ると、どうしても筆が弁護へ傾く。死者は反論できず、死者を殺した側はたいてい記録庫の鍵を持っているからだ。


 第一王子レオナールは、確かに軽やかな性質の持ち主であった。軽やか、と書いたが、もっと率直に言えば浮ついていた。賭け事を好み、恋文の返事が早く、舞踏会に出れば三人の婦人に同じ褒め言葉を使った。賢明な王太子像を期待する者にとっては、やや残念な人物である。


 だが軽薄と社交の才は、紙一枚ほどしか離れていない。彼は人の名と顔をよく覚えた。初めて王城に来た地方貴族の緊張をほどくことができた。舞踏会で壁際に立つだけの娘にも声をかけた。ある冬、馬車事故で足を挫いた小姓を見つけ、自分の外套をかけて抱え上げたという話がある。翌朝には、その小姓の父親へ見舞金が届けられた。


 軽薄なだけの男ではない。華やかで気の利く社交的な王子だった。


 レオナールが名君になったかどうかは分からない。私は、彼が王になれば宮廷費は増えただろうと思っている。愛人も増えたかもしれない。祝宴も増えたろう。だが同時に、地方貴族の不満は減り、隣国の大使を酒席で丸め込み、民衆に手を振ることの意味を理解する王にもなったはずだ。


 処断に値する欠点ではない。

 それだけは確かである。


 第二王子ギヨームは粗暴と書かれる。これは、まあ、完全な嘘ではない。声が大きい。怒りが早い。食卓で椅子を鳴らす。字が汚い。王妃に週に3度叱られ、3 度とも翌週には忘れている。あまり擁護しすぎると、彼自身が墓の下で「いや、俺はけっこう暴れたぞ」と笑うかもしれない。


 だが兵士たちは彼を嫌っていなかった。これが重要である。


 ギヨームは訓練場で実際に剣を取った。寒中行軍にも加わった。泥水のそばで、兵と同じ煮込みを食べた。砦の記録には、彼が負傷兵を背負って戻ったことが二度出てくる。二度である。


 一度なら美談として作れる。二度目は面倒だ。作り話をする者は、同じ種類の善行を二度も書かない。読者を喜ばせたいのなら、敵将の首でも持って帰らせるだろう。だがギヨームが背負って戻ったのは、もはや戦力にはならない、手足を失った仲間だった。


 オリオール派の史書は、彼を「王家の暴力性の象徴」とした。都合がよかったのだろう。暴れ者とだけ書けば済む人物に、忠義や情があっては困る。


 第三王子オスカーについては、私は少し慎重になる。彼は陰湿とされる。実際、陰気ではあった。少年期の肖像画を見ても、目が笑っていない。12歳でこの目をする子供は珍しい。我が家の家族肖像に残る、生後三か月頃の私以外では見たことがない。


 だが陰湿と観察眼は違う。

 オスカーは余計なことを言わなかった。だから恐れられた。よく見る者より、よく喋る者の方が宮廷では好かれる。前者は嘘を見抜き、後者は嘘を飾るからである。


 彼は賭博に沈みかけた若い騎士を密かに救い、表沙汰にせず家へ戻したことがある。また、宿場町で通行税の一部が抜かれていることを、蝋燭の減りと馬丁たちの食事量から見抜いたという。

 この話を荒唐無稽と笑う史家がいる。笑いたければ笑えばよい。だが、その宿場町でオスカーが集めた証拠は、事件後に全て焼かれている。偶然だろう。王国史には偶然が多い。特に都合の悪い紙は不思議なことによく燃える。


 第四王子バスチアンは怠惰と罵られた。彼は病弱で、長く立つことが苦手だった。そのため舞踏会を好まず、書物と星図を愛した。夜更かしのせいで昼に眠そうだったことも、怠け者の印象を強めたのだろう。

 この人物について、オリオール派の筆は妙に冷たい。華がないからだ。

 悲劇の王子として泣かせるには静かすぎる。悪役として罵るには弱すぎる。治世を任せるには病みすぎている。だから彼らは、バスチアンを「怠惰」の箱に入れ、蓋をした。


 だが彼は治水と天候記録に関心を持っていた。南部の洪水予測に用いられる観測小屋の案を出している。机上の空論と笑う者もいた。実際、彼の案は未完成だった。観測者の賃金計算も甘い。雨量を測る器具の規格も揃っていない。

 しかし後年、黎明王の治世に同様の仕組みが採用された時、誰もバスチアンの名を出さなかった。


 死人から知恵だけ盗むのは、生者の得意芸である。


 さて、第五王子エリアスである。


 ここで話を止めたくなる。というのも、エリアス王子については、オリオール派の物語があまりに強い。異なる瞳の色ゆえに忌み子として幽閉された。言葉も与えられず、愛も知らず、冷たい塔で震えていた。そこへシモンとメリーエルが現れ、夜明けの手で彼を救い出した。


 実に涙を誘う。観客席のご婦人がハンケチを出すには申し分ない筋書きである。


 残された侍医の断片的な書付によれば、エリアス王子は幼少期に熱病を患い、人の多い場所を避ける必要があった。

 塔と呼ばれた場所も、牢ではなく、王城奥の小離宮であった可能性が高い。教育係の名も、乳母の名も、楽師の出入りも記録に残る。月に二度、王妃の女官が訪れている。王自身の訪問記録は少ない。ここは擁護しない。事実は事実として伝えることに意味があるからだ。私は誰かと違い、無駄な装飾で事実をねじ曲げることを好まない。


 十分だったとは言わない。

 王家にも冷たさはあった。

 病弱な幼子を政治から遠ざけ、厄介な噂ごと奥へ押し込めた部分は確かにある。


 だが、完全な闇ではなかったはずだ。


 完全な闇でなければ、自分たちが掲げる灯が目立たない。だからオリオール派は闇を濃く塗った。不都合な事実を黒で塗り固め見えなくして、そうして孤独な王子を作り上げた。



 ここで問題のオリオール侯爵家に入る。


 彼らは自らを王冠の守護者と称した。よろしい。では問おう。王冠を守る者が、なぜ王城を包囲し、王族を処断し、王の幼子を自家の影響下に置いたのか。


 オリオール家の公的な系譜には、代々の当主が王国を支えたとある。支えた、という言葉も便利だ。首に縄をかけて引いていても「倒れないよう支えていた」と言える。


 この時代のオリオールの力は、特に凶悪であったと考えられる。王都の門は「内側からほどけるように」開いた。王家に仕えていたはずの者たちは一夜にして沈黙した。諸侯たちは昨日までの恨みを忘れたかのように同じ旗の下へ集まった。


 これを人徳と呼ぶには、あまりにも気味が悪い。


 シモン・オリオールの祝福は秘匿された。

 秘匿されたという事実こそ、最も雄弁な証言である。


 麦を育てる祝福なら隠す必要はない。傷を癒やす祝福なら誇ればよい。水を清める祝福なら神殿が讃える。だが、彼の祝福は隠された。隠さねばならないものだったからである。


 では何であったか。


 洗脳、誘惑、感応、あるいはそれに類する精神への干渉。そう考えるのが最も自然であろう。


 もちろん、ここで「証拠がない」と言う者はいる。

 その通りである。完全な証拠はない。シモン本人が「私は人心をねじ曲げる祝福を持っております」と署名捺印した紙など残っていない。残していたら、それはそれで別の心配が必要である。


 だが、痕跡はある。


 シモンの言葉を聞いた文官、小貴族、神官たちが、次々と「これは反乱ではなく忠義である」と言い始めた。同じ理屈、同じ言い回し、同じ熱を帯びた目。自分の考えで立ち上がった者たちが、なぜこうも似た顔になるのか。


 オリオール派はこれを大義の共有と呼ぶ。

 私は別の名で呼ぶ。


 心の扉に油を差し、内側から開けさせる力である。


 フレデリック・オリオールについても、温厚な智将などという飴細工めいた描写が広まっている。彼は怒鳴らない。剣を振り回さない。笑わなくなった時には勝負が終わっている。なるほど、暗殺者を「静かな散歩好き」と呼ぶのと同じ品のよさである。


 彼の恐ろしさは、命令の形を取らないところにあった。

 「王国のために」と言う。

 「陛下の御名を守るために」と言う。

 「このままでは、より多くが傷つく」と言う。


 そして、誰かが勝手に扉を開ける。誰かが勝手に鍵を渡す。誰かが勝手に沈黙する。

 命じていない。だから罪ではない。

 この種の人物は、刃物を持たない。刃物の方から手に寄ってくる。


 オリオール家には、古くから不快な逸話が多い。


 西方街道の通行権を巡った「灰鳩の和議」では、反対していた小領主が侯爵家の晩餐に招かれた翌朝、突如として自らの主張を撤回し、しかも「これこそ我が本意」と繰り返した。彼の家臣たちは困惑し、妻は夫の筆跡でありながら夫の言葉ではないと訴えた。


 訴えは途中で消えた。

 消した者は不明である。これもまたたいへん便利な不明である。


 メリーエル嬢救出の物語も、疑うべき点が多い。


 ここで誤解されぬように書く。彼女が傷を負っていたことは事実かもしれない。王城側の誰かが暴走した可能性もある。王太子派に愚かな者がいたことも否定しない。あの時期の宮廷には、火種が多すぎた。しかも誰もが油を持って歩いていた。


 だが、それが即座に王家直系の処断へ結びつくのは、あまりに飛躍している。

 婚約破棄は醜聞であり、不当拘束は罪である。ならば裁判を開けばよい。諸侯会議を招けばよい。王に退位を迫ることもできたはずだ。神殿を証人に立て、文官に記録を取らせ、王国全土の目の前で旧王家を裁けばよかった。


 だがオリオール家は剣を選んだ。


 なぜか。

 最初からそのつもりだったからである。


 「来るのが遅いわ」「道が混んでいた」という有名なやり取りも、後世の芝居には都合がよすぎる。怒りと愛と機知を一口で飲ませる、たいへんよくできた菓子である。だが歴史は菓子ではない。甘ければ甘いほど、中に混ぜられたものを疑うべきだ。


 シモンとメリーエルがエリアス王子を養子として迎えたことも、美談として語られる。孤独な王子を抱きしめ、家族として迎え、愛を教えた。泣きたい者は泣けばよい。涙は自由である。


 だが、これこそ簒奪の核心ではないか。


 王家の最後の血を自分たちの家に取り込み、幼い王の耳元で言葉を教え、礼を教え、人を信じることを教えた。美しい表現で覆えば見えにくくなるが、幼王の人格形成を完全に握ったということである。王冠の隣に立つのではなく、王冠が何を愛し、何を憎み、誰の声に安心するかを決める位置に立った。



 黎明王エリアス一世が名君であったことは否定しない。ここを否定すると、私の筆はただの怨恨になる。いや、すでに半分ほどは怨恨だと言われるが、半分なら学問の範囲である。


 エリアス一世は勇敢で、寛大で、異なる者たちへ門を開いた。傷を負った者、出自の曖昧な者、祝福を恐れられた者たちを宮廷へ迎えた。王国が新しい形へ進んだことは事実である。


 だがそれは、旧王家の血が優れていた証でもある。


 オリオール派は奇妙なことに、エリアスの治世を称えながら、その父祖を腐った肉と罵る。腐った木から立派な果実が成ったと言い張るのは勝手だが、聞かされる側にも限度というものがある。


 アルマン三世の治世があったから、王国は更改の混乱にも耐えた。イザボー王妃の外交があったから、隣国は内乱に乗じて攻め込まなかった。レオナールの社交網、ギヨームの軍との結びつき、オスカーの監察眼、バスチアンの学識、それらはすべて、処断によって失われた王国の財産であった。


 いや、財産という言い方は冷たい。

 彼らは人間だった。


 軽薄な王子がいた。

 怒りっぽい王子がいた。

 陰気な王子がいた。

 病弱な王子がいた。

 奥へ押し込められた幼い王子がいた。


 彼らは美しい物語のための踏み台ではない。


 オリオール家は自らが救ったものだけを数え、壊したものには目を伏せる。実に貴族的である。高貴な者ほど、足元の死体を絨毯だと思い込むのだ。


 ゆえに、暁の更改は浄化ではない。


 それは、祝福という名の呪いを持つ家門が、王家の傷口へ指を差し込み、国家の血流を自分たちの望む方へ曲げた事件である。


 王冠は汚れていたのかもしれない。

 これは認める。汚れていた。埃も血も、愚かさもあった。


 だが、汚れを拭う手が清いとは限らない。むしろ、あまりに白い手袋をしている者ほど、その下に何があるか疑うべきである。


 王国の正統は、アルマン三世とその子らにあった。


 オリオール家は王国を救ったのではない。

 王国がまだ死んでいないことを利用したのだ。


 朝とは、ただ日が昇ることではない。

 誰かが灯を掲げたからといって、その者が救い主であるとも限らない。


 誘蛾灯もまた、暗闇の中では美しく見えるのである。


【著者紹介】


マシュー・マッコール

王立史料院附属・旧王朝研究室主任研究員。専門はアルマン三世治世後期の宮廷政治、王家血統史、および「暁の更改」期における侯爵家権力の肥大化について。祖父の代まで王都西区で法務書記を務めた家系に生まれ、幼少期より「勝った者が書いた歴史では、敗者の言葉は欄外に追いやられる」と教えられて育つ。


代表作に『処断された王子たち』『王妃イザボー再考』『黎明史観における装飾過多の害悪』などがある。特にオリオール家に対する筆致は辛辣で知られ、同家を称揚する史家からは「偏執的」「王家擁護に過ぎる」「性格が悪い」「史料批判の名を借りた悪口」と批判されている。マッコール本人は「最後の一点については、多少の自覚がある」とだけ返した。


史料の細部に執着する一方で、文章には皮肉と比喩を多用するため、学術書でありながら宮廷人の悪口帳のように読まれることも多い。また、オリオール派に偏った通俗史書については、「ファンタジー小説としては悪くない。歴史書としては、まずジャンルを弁えるべきである」と評した記録が残る。





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― 新着の感想 ―
アンチは何処にでも居るって事ですよねw 歴史はいつだって公平さに欠けるものだし、ホントの事は結局当事者にしか分かんないもんだし。ちょっと擁護してるつもりが、自分なりの確信にすり替わっていったってしょう…
シモンの祝福が詐欺師にピッタリだし、この考察もしっくりきちゃうね
驚愕しました。面白すぎて。 「ブラボォォォォ!!!(スタンディングオベーション)」
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