8、はじめての交渉
転移魔法のためにも、まずは街に出る必要がある。
そのためエレナに用事を言いつけ、私は遮断魔法で気配を消し、そっと後を追った。
一瞬だけ浮かんだ、あの嫌そうな表情。
(ここまで顔に出ていたのに……なんで気づかなかったんだろう)
とはいえ、不思議と傷ついてはいなかった。
昨日の今日なのに、もう割り切れている──のかもしれない。
王城の外れだからか、遮断魔法は問題なく使えた。
「……ここは……」
やがて、大きな広場に出た。
城下町の中心、噴水広場だ。
前回の人生では、ここで処刑されたはずの場所。
けれど今は、多くの人が行き交い、活気に満ちている。
雰囲気があまりにも違いすぎて、自分が処刑された場所だというのに特に感情は湧かなかった。
(……私、意外と神経太いのかもしれない)
そう思いながら、黒い外套をさらに深くかぶる。
初めて城の外に出た私は、目を輝かせつつも、不自然にならないよう周囲を観察した。
人々の表情は、私が処刑されたときよりもずっと生き生きしている。
しばらく眺めてから、はっと目的を思い出した。
(時間、あまりないんだった)
小説の記憶を辿る。
噴水広場の大通りから、三つ目の路地を抜けた先。
(たしか……こんな感じの道だったはず……)
土地勘がないため、確信はない。
恐る恐る、慎重に進む。
やがて見つけた店は、ひどくこじんまりとしていた。
周囲の店に紛れていて、注意しなければ見過ごしてしまいそうだ。
扉に掛けられた看板で、かろうじてカフェだとわかる程度。
隠れ家のように感じるのは、ここが情報屋だと知っているからだろう。
看板には《カフェ・グレイキャット》。
オッドアイの灰色の猫が描かれている。
(……本当に、あった)
想像通りの店構えに、少し感動してしまう。
カラン、と音を立ててドアを開けた。
中は意外と広く、客はまばらだった。
どこにでもありそうな普通のカフェ。
——ここが情報屋だなんて、誰も思わないだろう。
周囲を観察していると、店員が近づいてきた。
「席のご希望はございますか?」
「……そうね。ゴールデンチップスの、またたびを買いたいんだけど」
後半は小声で、店員にだけ聞こえるように伝える。
(……恥ずかしい……)
なぜこんな合言葉なのか。
内心で盛大にツッコミを入れていると、店員は一瞬だけ固まった。
けれどすぐに、にこやかな笑顔に戻る。
「かしこまりました。では、こちらへご案内いたします」
案内されるまま、店の奥へ。
この店員も一見普通だが、情報屋の諜報員だ。
最奥には、重厚な扉があった。
店員はノックし、声をかける。
「マスター、お客様です」
「……どうぞ」
心臓が跳ねる。
それでも何事もない顔で、ゆっくり中へ入った。
──そして、今に至る。
目の前の男は足を組み、こちらを射抜くように見つめている。
仮面で顔の上半分は隠れているが、整った顔立ちは隠しきれていない。
緩くウェーブした黒髪。座っていてもわかる長身と、鍛えられた体躯。
研ぎ澄まされた、近寄りがたい雰囲気。
目の奥だけが笑っておらず、獲物を値踏みするような視線が、肌を刺す。
(……この人が、グレイキャットのマスター)
圧倒されつつも、小説の人物像を思い出して納得する。
有能で賢く、そして謎だらけ。
「これは……」
布袋を開け、中身を確認したマスターは、一つだけ取り出して目を見開いた。
「……見てわかったでしょう?魔力入りの魔石よ。そう簡単に手に入るものじゃない。売れるかしら?」
普通の人には見抜けない。
だが彼は鑑識眼を持っている。
「……これは、普通に手に入るものじゃない。価値は計り知れません。どうやって手に入れたんですか?しかも、売ろうだなんて……」
「それを話すつもりはないわ。あなた、情報屋でしょう?情報が欲しいなら、対価を払って」
やはり価値はあるらしい。
安堵しつつ、ぷいっとそっぽを向く。
横目で様子を窺うと、仮面の下の口元が、にぃっと歪んでいた。
「これはこれは……失礼を。ご依頼は、これらの売却だけで?」
「まだあるわ。マイザーへ行きたいの。案内人を用意してちょうだい」
「……マイザー、ですか。それはまた、遠いですね……」
マイザーは国境近くの街。
お兄様とミリアが出会う場所とは、真逆の方向だ。
単純に、関わりたくない。
それだけでなく、別の理由もあるが、今は伏せておく。
舐められないよう、強気に。
内心は少し震えながら、言葉を選ぶ。
身分を知られずに話すのは、今世で初めてだ。
小説の中の“悪役王女エリザベス”を思い浮かべる。
いい人であろうとして周囲相応の期待をするより、悪役として振る舞うほうが、ずっと楽なのかもしれない。
この情報屋は、マスターに気に入られるかどうかで依頼の幅が変わる。
価値なしと判断されれば、切り捨てられる。
しかも──暗殺も請け負う。
それをこなすのは、マスターただ一人。
つまり、彼はとても強い。
余計なことを知れば、消される——跡形もなく。
だから、気を抜けない。
それでも──第一印象は大事だ。
そして——信用を買う方が、価値がある。
一瞬だけ、息を整える。
「……この魔石、ひとまず全部あげる」
「──は?」
仮面越しでもわかるほど、マスターは目を丸くした。
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