7、仮面の交渉人と灰色の猫
「これ、買い取ってくれないかしら」
外套を深くかぶり、勧められたソファに腰を下ろす。
なるべく偉そうに見えるよう、足を優雅に──と自分では思っている形で組み、布袋に入れた魔石をテーブルの上にドン、と置いた。
(舐められたら終わり)
それだけを何度も心の中で繰り返しながら、私は顎を上げた。
その一心で、外套の奥から精一杯顎を上げ、見下ろすように、低い声を作って言う。
「……拝見しましょう」
そう言って、顔の上半分を覆う猫の仮面の奥で、男の口元だけがゆっくりと歪んだ。
男の前に座りながら、私は昨日の出来事を思い出していた——
「……!?」
(な、何が起こったの……!?)
突然強く光った魔石に視線を落とすと、ほんのり白く輝いていたはずの光が、すっと消えていた。
思わず呆然と手元を見つめ、そのまま鏡に映る自分の姿へと視線が移る。
そこにいたのは、目元の腫れも充血も消え、いつもと変わらない自分だった。
「……治ってる……?」
ついさっきまで、赤く腫れた目で泣いていたはずなのに。
驚きのあまり、しばらく鏡の中の自分を凝視してしまう。
「もしかして……今の、魔石が作用したのかしら……」
顔と魔石を交互に見比べる。
先ほどまで淡く白い光を帯びていた魔石は、魔力を込める前のような、ただの透明がかった石に戻っていた。
(……治癒の魔石、ってこと?)
疑問は尽きないが、少なくとも──魔力を込めた魔石の「使い方」はわかった。
念のため、今度は水属性と思われる青い魔石を発動してみる。
すると次の瞬間、何もないはずのコップに水が満ちていく。
ぽたり、ぽたりとではなく——最初からそこにあったかのように。
「……本当に、使えるんだ」
先ほどまでのエレナのことも忘れて、ひとりで少しはしゃいでしまう。
でも、それも仕方がない。
魔石の大きさによって、魔力の許容量も違うのだろう。
最大でどれほどの効果が出るのかはまだわからないが、それは今後の検証事項だ。
(ひとまず……第一関門は突破、ね)
小説ではミリアは、数日かけてようやく一個。
光っていても発動しない失敗作も多かったはずだが、その心配は杞憂に終わりそうだった。
(私の魔力量が多いのか、相性がいいのか……)
理由は不明だが、今の 感覚としては、まだ余裕がある。
……けれど、無理をすればどうなるかはわからない。
時間のない私にとって、細かい疑問は後回しでいい。
「問題は……どうやって売るか、よね」
いきなり「これは魔力入りです」と言って、信じて買う人がいるとは思えない。
どうせ売るなら、できるだけ高く売りたいが、相場も物価もわからない。
誰かに相談しようにも、エレナという選択肢はもう消えていた。
こんなにうまくいくとは思っていなかったから、何の準備もしていない。
魔石の色に関係なく魔力を込められる理由も不明だし、わからないことだらけだ。
(……前世みたいにオークションアプリがあれば楽なのに)
怪しさ満点ではあるけれど。
この世界にもオークションはあるらしいが、いつ開かれるかわからない。
そもそも今は小説が始まる前で、時間軸も曖昧だ。
生活知識が圧倒的に足りない。
その事実を、嫌というほど突きつけられる。
(……なら、あの組織を利用するのはどう?)
小説が始まる前から存在していた組織。
後に反乱に大きく関わり、王家の影として暗躍することになる存在。
今はまだ、ただの「何でも屋」のひとつ。
その名は『グレイキャット』。
水色と緑色のオッドアイを持つ、灰色の猫がトレードマーク。
本部は王都、支部も各地にある。
主人公であるお兄様も、留学中から情報屋として使っていた。
私が少し利用したところで、物語に影響はないだろう。
(……明日、こっそり行ってみよう)
そこでの交渉次第で、今後の計画は大きく変わる。
グレイキャットのマスターは飄々として気まぐれ。
だが、対価さえ払えば仕事は完璧──ただし、最初に舐められたら終わり。
(気合、入れないと……)
その日はエレナに「本を読みたいから、そっとしておいて」と伝えた。
ちゃんと普段通りに接せられるか少し不安だったが、それは杞憂だった。
エレナは、いつも通りだった。
——それが、少しだけ怖かった。
でもきっとあれが、彼女の日常なのだ。
夕食後、寝る前には図書館から上級魔法の本を持ってきてもらった。
祖父が生きていた頃は教師もついていたため、基礎は身についている。
基本魔法も使えるが、使う機会がなかっただけだ。
上級魔法は未習得だが、試す価値はある。
空間魔法は、最難関とされる魔法分野——でも、これが使えれば外に出られる。
中でも転移魔法は危険で、失敗すれば身体の一部だけが移動することもあるという。
長年研究されているが、使える魔法使いはごくわずか。
(……でも、使えたら便利よね)
行ったことのある場所なら移動できるらしい。
変装魔法もあるが、今さら必要はないだろう。
数百年前は、上級魔法を使える者がもっと多かったという。
平民でも魔法が生活の一部だった時代。
今は、魔法を使える人間は減り、貴族に偏っている。
原因はわかっていない。
魔力自体は誰もが持っている。
それを魔法に変換できる者が少ないだけ。
——そして明日、私はあそこへ行く。
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