30、言葉にした瞬間、何かが壊れた
(……そこまで、私のことを憎んでいたの?)
脳裏に、あのときの言葉がよみがえる。
『この世界は、私のためにあるの。あんたを初めて見たときから、ずっと殺してやりたかった。本当は視界にも入れたくないくらい、あんたが大嫌い。何もかも恵まれているくせに、自分が一番不幸だとでも言いたげな顔をして……本当に、不快だった』
そこまで憎まれていた実感は、なかった。
あの言葉を聞いた直後に、死んでしまったからだろう。
——けれど今なら、わかる。
(私、そこまで不快になるようなことを……)
——きっと、していたのだろう。
衣食住に困ったことはない。
外から見れば、何不自由ない王女にしか映らなかったはずだ。
けれど。
私に目をかけてくれていたお爺様が亡くなり、お兄様は「口うるさいから」と留学へ追い出された。
そして残った私は、「顔も見たくない」と離宮に押し込められた。
気づけばずっとひとりだった。
エレナはいてくれたけれど、彼女にも仕事がある。
いつもそばにいてくれるわけじゃない。
ミリアと出会った頃、お兄様もサイラス様も音信不通で、あの頃の私はただひたすらに寂しかった。
さすがに、自分が一番不幸だとまでは思っていなかった。
けれど——孤独だったのは、紛れもない事実だった。
だからだろうか。
ふいに、幼い頃の記憶が蘇る。
『こんな髪色の子など、私の子ではないわ!』
『お前、浮気をしたんじゃないだろうな!?』
『そんなわけないでしょう! それはひどい侮辱だわ!』
『では、なぜこやつはこんなにも不細工なのだ!!』
『そんなの知らないわ!──』
母の部屋の前で、息を潜めて聞いていた。
両親の、あの怒鳴り声。
愛情を求めて、扉に手をかけた——あの日。
そのとき、そっと耳を塞いでくれたのはお兄様だった。
私よりずっとつらそうな顔をして、お兄様はまだ言い争う両親から私を静かに遠ざけた。
声が届かない場所まで来て、ようやく手が離れた。
そしてそのまま、何も言わずに私の手を引いて歩き出した。
あのときの手の温もりだけは、今でも覚えている。
『……お兄様……?』
『……エリザベス。誰がなんと言おうと、お前は俺の妹だ』
まっすぐ私を見て、真剣な声でそう言った。
『父上と母上が何を言おうと、気にするな。俺が……俺とお爺様が、ずっとお前の側にいる』
『ずっと……?』
『ああ。ずっとだ』
その言葉が、胸の奥に落ちた瞬間、堪えていたものが決壊した。
私は、大声で泣いてしまった。
お兄様は驚いたように私を部屋に連れて行き、泣き止むまで、ただ黙って手を握ってくれていた。
──そんな昔の出来事が蘇ってくる。
唯一の拠り所だったお兄様と音信不通になり、私はひどく気落ちしていた。
それが、いけなかったのだろうか。
依存するみたいに、二人だけを拠り所にして。
たしかに私には、お兄様とサイラス様しか大切な存在はいなかった。
お兄様に望まれるのなら、死んでもいいと思えるくらいに。
処刑されることになっても構わないと、思ってしまうほどには。
『だからあんたの全てを奪って、壊して、とてつもない苦痛の中で殺してやりたかったの』
——その言葉どおり、きっとミリアはやり遂げたのだろう。
達成感がどうの、などと言っていたのだから。
「──……エリザベス!」
はっと我に返る。
いつの間にか、お兄様が目の前に立っていた。
「……大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
心配そうに覗き込まれて、言葉が喉につかえる。
「あ……」
「自分が死んだときの話なんて、気分のいいものじゃないよな。無理するな。何かあったら、どんな些細なことでも言ってくれ」
その優しい声音に、胸の奥がじわりと熱くなる。
——今なら。
私は、思い切って口を開いた。
聞くなら二人に、いや……記憶のないお兄様より、きっとサイラス様に、だろうけれど。
「お二人は……その、ミリアのこと……お好きなのでは……恋愛的な意味で……」
「……は?」
「っ……ぷはっ」
お兄様は目を丸くしたまま固まり、ヴォルは吹き出して背中を向け、肩を震わせている。
サイラス様に至っては、石像みたいに動かない。
三者三様の反応に、私だけが取り残された。
(……え。そんなに変なこと言った?)
そこでようやく、自分の言葉が場違いだったことに気づく。
陥れるような人を好きだったか、なんて——無神経にもほどがある。
(違う、そういう意味じゃなくて……)
慌てて言い直そうと口を開いたのと同時に、お兄様がはっと息をのみこんだ。
そして血の気の引いた顔で勢いよくサイラス様のほうを振り向く。
そのただならぬ様子に、私の言葉は喉の奥で止まった。
私もつられてサイラス様を見ると、ほんの一瞬呆然としていた。
けれど次の瞬間、口元だけがにこりと笑う。
笑っているのに、感情が何もなかった。
こめかみに薄く血管が浮き、空気がひりつく。
「……エリー。今のは……俺の聞き間違いかな?」
やけに穏やかな声だった。
「もう一度、言ってくれるか……?」
かた、と家具が小さく鳴る。
室内の空気が重く沈み、気づけば背筋を冷たい汗が伝っていく。
——言い直さない、という選択肢はどうやらなさそうだった。
お兄様が「落ち着け!」とサイラス様に声をかけているのが聞こえたが、当の本人は私から一切視線を逸らさなかった。
瞬きもせず、ただ、逃げ道を塞ぐみたいに私を見つめ続けている。
その視線に耐えきれず、私はしばらく目を泳がせながら言葉を探した。
けれど焦るばかりで考えはまとまらず、結局ごまかすこともできないまま、正直にもう一度同じことを口にする。
「あの、ええと……その、ミリアのことを……恋愛的な意味で、す、好き、なのではないかと……」
次の瞬間、乾いた破砕音が室内に響き、サイラス様の背後に置かれていた花瓶が砕け散った。
(な、何……!? こ、怖い……! どういう状況なの!?)
「おい! サイラス!!」
「くっ……ははっ」
「ヴォルは黙ってろ!!」
お兄様は焦った声でサイラス様をたしなめ、横から面白がるように笑ったヴォルを鋭く一喝した。
けれど、誰が何を言おうと空気の重さは少しも変わらない。
状況がまるで呑み込めず、胸の奥だけがぎゅっと締めつけられて、気づけば視界が滲んでいた。
声を出そうとしても、喉が張りついたみたいに動かない。
そんな私の様子に気づいたのだろう。
サイラス様はふっと目を伏せ、深呼吸なのか、ため息なのか分からない呼吸をひとつ落とした。
そして感情を押し殺すように自分を整えてから、ゆっくりと——もう一度、私を見つめた。
読んでいただきありがとうございます!




