間話③ あの男の心情
「す、すまな……い!?」
──衝撃に息が止まるかと思った。
もちろん、飛んでいった羽のように軽い体が自分にぶつかったことを言っているのではない。
綺麗なペリドットの瞳と目が合い、固まる。
心臓がどくんと大きく跳ねた気がした。
心臓が、壊れたみたいに鳴った。
触れたら壊れると思ったのに──それでも、手を伸ばしたくなる。
(ああ……)
念願の彼女に会えたのに。
いざそのときになると何も言葉は出て来ない。
数年越しの美しい彼女の姿に心が満たされた。
──今すぐ彼女を抱きしめたい
彼女が戸惑ったように俺を見上げている。
隣から声が聞こえるが、それももはや耳には入ってこなかった。
ただ彼女を陶然とみつめていた。
彼女の幸せのために必要であれば身を引こう──
それをきちんと確認することができたのなら、その時は潔く身を引くことが出来るだろう。
彼女が生きているなら、それでいい。
そう思うつもりだった。
しかし一目、彼女の姿をみただけでその決心は覆されてしまう。
自分の胸の中に広がったのは、ずっと一緒にいたい、という想い。
抱きしめたい。
キスをして、それ以上も──体が、勝手に前に出かけた。
今じゃない。まずは誤解を解かなければ。
自分の中で欲望と理性の戦い繰り広げられ、気がつけば体が動けなくなってしまっていたようで。
「……──はい、大丈夫です」
そのとき、惹きつけられる軽く柔らかな声が耳朶を打ち、はっと意識が戻った。
「おい、しっかりしろ。今のお前は不審者でしかないぞ」
その言葉に今まで周りの会話も耳に入らずに、ただ自分が固まっていたことを認識した。
「仕方がないだろう、夢にまで見たんだ……数年振りの威力は予想以上で……やっと……やっと、会えた……はっ!髪が……」
隠すことでもないが大声でも言えなかった。
彼女に見惚れていたことを認めるも、改めて確認した彼女の姿に顔から血の気が引く。
髪が、短くなっている──
王侯貴族の女性の象徴でもある、あの美しい長い髪が。
短くても可愛いし、美しさは損なわれていない。
どんな髪型でも似合ってしまう彼女には髪の長さなど些細なことなのだと思い知らされる。
しかし髪をここまで短くするほどの決心を、彼女にさせてしまったのだ。
それは彼女が前回の記憶があると、わかってはいたが、それを俺に思い知らせるには十分だった。
「失礼しました。私はサラといいます」
──サラ、だと……?
(それは、俺の名前から……?)
俺のことを忘れてはいないと。
想ってくれていると烏滸がましいことまでは思わないが、そういうことなのか。
※違います(念のため)
それなら、俺は彼女の名前から名乗らなければならないだろう。
その気持ちで偽名を名乗った。
「──……エリックだ。先ほどはすまない」
「いえ、怪我もしてないので大丈夫です」
「それならよかった。あの……その」
しかし、そう思うともうダメだった。
彼女と会話をしながらも、頭は別のことでいっぱいで。
── 手放せるはずだった。
そう決めたはずなのに──どうしても、離せない。
そして本当は偽名でなく真名を呼んでほしい。
彼女を失ってからも、その前からも、ずっとそう願ってた。
1度でいいから、昔みたいに。
柔らかな甘い声で俺の名前を、愛しい彼女に呼ばれたい。
それでも今は本名を名乗るわけにはいかない。
きっと彼女は俺を恨んでいる。だからすぐに正体を明かすわけにはいかない。
俺は一目でわかったのに、髪の色が違うだけで気づいてもらえない。
逆に彼女は幼さがなくなってきて、大人としての色香がでて美しく成熟してきている姿に、その過程を見ることができなかったことがひどく悔やまれる。
そんな気持ちを言葉にできず、なぜ彼女の前だとこんなに言葉が出て来ないのかと自己嫌悪に陥りそうになっていたとき、彼女の隣に男が立っていることに気づいた。
──誰だ、こいつは
自分以外の男が彼女の近くにいる。
そう思っただけで、怒りが腹の底からこみあげてくる。
「ねぇ、サラはどこかに行く途中だったんじゃないの?」
そのときヴォルの声がした。
しかしこんな状態で逃がしてしまうわけにはいかない。
聞くと同僚だという。彼女の様子から特別な感情は見受けられない。
その返事と様子にひどく安堵してしまう。あの男が目障りなことには変わりないが。
これから先も彼女と共にいるためにはどうすればいいかと、彼女を手に入れる方法を得るべく頭が物凄い勢いで計算を始める。
二度と逃がさない ──いや、違う。
逃げる必要なんて、なくせばいい。
ふと、彼女が震えたような気がした。はっと我に返り、荒れ狂う心の内を綺麗に隠す。
名残惜しく思いながらも足早に去っていった彼女を見送る。
◇◇◇
離宮で手紙を読んだ後、日記があった隠し棚を確認すると、前回と同じように日記があった。
しかし、その日記は俺が戻ってきたと認識した日の前日が最後になっていた。
やはり──
エリーも俺と同じように回帰した。そう確信するには十分だった。
「サイラス、どうした?」
「これは……エリーの日記だ。ただ俺がお前にあのことを話した日からは書いていないようだ」
「それは、つまり……」
ジークも察したようだ。そしてそれはつまりエリーは俺たちが自分を殺した人、として認識しているということになる。
「……そういうことだ。そうなると、俺たちはエリーには恨まれていると思う……間違いなく」
「あのエリーに、か……でも何よりもまずはエリザベスの体調も気がかりだ。すぐに探さなくては」
そう、何よりもまず、彼女に会わなければ。
頭を無理やり切り替えて、エリーの調査を任せていたヴォルに連絡を取った方が早そうだ。
急いで連絡をしたが、しばらく待ってもこない。このままジークが王宮にいることがバレても面倒くさいことになる。
そう判断した俺とジークは城下の宿屋に行くことになった。
連絡が待ちきれないため虱潰しに城下を見て回るもやはり見つけることができない。
そして数日経った時にやっときた連絡がまさかのマイザーにエリーといるというもので。
端的にそれだけ連絡がきた。
連絡が来たことを喜ぶべきか、連絡が遅かったことに怒るべきか、それともエリーといることに嫉妬するべきか……
ひとまず、俺たちのとる選択肢はひとつ。
すぐさまマイザーに馬を休ませることなく向かうことになった。
ようやくついたマイザーは閑散としており、異様な雰囲気に包まれていた。
たまたま空いていたパン屋で話を聞くことができた。この街の人ではない、見た目が目立つ2人はよく覚えていたようで。
「あぁ、あの新婚さんな!美男美女でお似合いだったからよく覚えているよ」
「し、しんこん……?!よく、おにあい……?!」
その言葉に衝撃を受ける俺をよそにジークが話を進めていく。
「実は知り合いで探しているんだ。どこにいるか知っていたら教えて欲しい」
「ああ知ってるよ。今は治療院で手伝いをしてくれているらしい。パンを時折届けているんだ。伝染病の関係で直接会ってはいないが……」
「伝染病…?!」
驚くジークの隣で、伝染病の話を前回ちらっときいた記憶が蘇る。
しかし留学中だったため、あまり情報がない。
でもどこにいるかはわかった。すぐさまその治療院に向かい、追い返されそうになっていたところヴォルを見つけることができたのだった。
◇◇◇
でもそんなこんなで、まさかエリーと一緒の家で生活できるようになるなんて。
そんな夢のようなことがあるだろうか。
そんなことを簡単に了承してしまったエリーは心配だが。
もう、彼女から離れる気がない俺にとっては暁光だ。
彼女の体調も近くで観ることができる。幸い、今は細すぎるのが心配だが、そこまで体調も悪くなさそうだ。
あの幻の薬草に関しても情報は集めているが芳しくない。
今はまだ、これでいい。
ここから、関係をまた築いていければ。
──身を引く覚悟?
そんなもの、とっくに壊れていた。
読んでいただきありがとうございます!
なんか書いているうちに怖い人になってしまったかもしれません......




