16、赤い花
「……サラさんは、どちらのご出身なんですか?」
「私は……王都の近くです」
「王都の近く、ですか……そう言われて納得しました。田舎育ちという感じがしませんから」
「え、そうですか?」
「はい。いいところのお嬢様っていうほうが、しっくりきます」
内心、ぎくりとする。
けれど顔には出さずに軽く笑って、誤魔化した。
(……溶け込めてるつもりだったんだけどな)
「あ、はは……それは、嬉しいですね」
「……ご家族は?」
「……実家にいますよ」
「では、ご家族を残してここに。……心配でしょう?」
「そうですね……まあ、元気にやってると思います」
両親はきっと好き勝手に暮らしているだろう。
兄も音信不通だけど、あの人なら心配はいらない。
そう自分に言い聞かせる。
「僕には、歳の離れた妹が一人います」
すり鉢を回す手は止まらないまま、ラルフさんは淡々と続けた。
「体が弱くて。昔はよく薬代がかさんで……それで、自然とこういう仕事を覚えました」
「あ……そうだったんですね」
「貧乏でしたから。大したことは何もしてあげられなかったんですけど」
そこで、ほんの少しだけ目を細める。
「帰り道に野花を摘んで渡すと、やたら喜ぶ子で。……あれだけで笑ってくれるんだから、安上がりですよね」
そう言って、ラルフさんは冗談っぽく小さく笑った。
──けれど、その目は一瞬だけ、どこか遠くを見ていた。
その言葉で、幼いころの記憶がふと蘇る。
まだお兄様と仲が良かった頃。
王宮の庭園で花冠を作って遊んでいた。
……そこには、婚約者もいた。
(あの頃は、ただ楽しかった)
胸がわずかに締めつけられたが、すぐにその感情を押し込める。
今は立ち止まっている暇なんてない。
「……それは素敵ですね。妹さんは今どこに? もしかしてこの街に?」
「……いえ」
ラルフさんは、ほんのわずか目を伏せた。
「流行病で──もう、いません」
「……そう、ですか」
それ以上、言葉が出てこなかった。
「花が好きな子だったんです。摘んで渡すと、いつも大げさなくらい喜んでくれて」
懐かしむように、少しだけ笑う。
「だから……同じように病で苦しむ人を、放っておけなくて。気づいたら、薬師を目指してました」
静かな声だった。
「……まあ、あの子の分まで働けたらいいなって。それだけです」
胸の奥が、かすかに痛んだ。
そう言って、ラルフさんはやわらかく笑う。
どこか懐かしむような、優しい笑みだった。
──励ましたつもりだったのに。
気づけば、何も言えなくなっているのは私のほうで。
胸の奥に、静かにあたたかいものだけが残った。
(私が死んだ後……)
もし誰かが、私の分まで前を向いてくれたら。
それだけで、少しは報われるのかもしれない。
前の人生には、そんなことを思ってくれる人はいなかった。
でも今度は──違う未来があってもいい。
……疑った自分が、少しだけ恥ずかしくなった。
気づけば、最後の薬草をすり潰し終えていた。
「これで終わりです。手伝ってくださってありがとうございました。慣れない作業だったでしょう?」
「いえ。いい勉強になりました」
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
それ以上何も考えないようにして、軽く頭を下げる。
「また、時間があるときで構いませんから」
「……はい」
軽く会釈して、その場を離れようとしたときだった。
「あ、サラさん少しだけ」
呼び止められて振り向くと、袋と小さな花束が差し出された。
「え……?」
「妹が好きだった花なんです。余ってしまって……もし邪魔じゃなければ」
躊躇うように、少しだけ視線を落とす。
「それと、これは乾燥させて粉にしたものです。焚くと、よく眠れると聞きました」
「……ありがとうございます。大切にします」
そっと受け取ると、赤い花弁がやわらかく揺れた。
──そしてほんのわずかに、甘い香りがした。
「この色、きれいですね。……昨日も思ったんですけど、ラルフさんの瞳みたい」
「……妹にも、同じことを言われました」
ラルフさんは、少しだけ目を細めて笑う。
その表情が、なぜか胸の奥に引っかかった。
◇◇◇
その晩、もらった花を昨日の分と合わせて花瓶にいけると、甘い香りがふわりと部屋に広がった。
赤い花弁を見るたび、ラルフさんのあの寂しげな笑顔が胸の奥に浮かんでくる。
(あんな優しい人を疑うなんて……私も、ヴォルも、見る目ないわよね)
そういえばとお香も試してみようかと思い、棚のほうへ振り返った、そのときだった。
背後に気配を感じた。
振り返ると、いつの間にかヴォルが部屋の中に立っている。
「……入るとき、ノックくらいして」
「今さら?」
呆れた声が返る。
「で。何かわかった」
挨拶も前置きもない、最初から仕事の顔だった。
小さくため息をついて、私は今日の出来事をかいつまんで話し始めた。
「ふーん……で、他は?」
ヴォルは気のない声で続きを促す。
「薬を作るのが、とにかく早くて……」
「薬師なんだから当然でしょ。調薬でもたついてたら、逆に怪しいって」
ばっさり切り捨てられて、思わず言葉に詰まる。
「で、でも……亡くなった妹さんのために薬師になったって……」
「……はいはい、情に流されないの。とりあえず引き続き様子見て」
軽くため息をつきながら、ヴォルは眉間に皺を寄せる。
そして視線が、何気なく花瓶へ向かった。
「何その花」
「ラルフさんにもらったの。部屋に飾ってって。あと、お香みたいに焚く粉も。とっても優しい人よね」
「……粉?」
低い声に、私は袋を差し出した。
赤褐色の粉末を見た瞬間、ヴォルの目が、ほんの刹那だけ鋭くなる。
次の瞬間にはいつもの気だるい笑みに戻っていたけれど、片側の口角だけが不自然に吊り上がっていた。
「へぇ。そういうこと」
「なに、その笑い……」
「別に。でも、それ香として使うのはやめときな」
「え?」
「痛い目見たくなければ」
軽い口調なのに、目だけが冗談じゃなかった。
「痛い目……? よくわからないけど……わかった。やめとく」
ヴォルは「ん、いい子」と軽く言って、ぽん、と私の頭を撫でる。
その仕草があまりにも自然で、
怒るタイミングを失った。
このときの私は。
あの粉が、まさか──“あんなもの”だったなんて、想像もしていなかった。
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