狂王の誕生
「どけっ!」
翌日の午後になって屋敷に戻ったガルデンは疲れ切っていた。
つい先程まで『緑』が本部としている元ギルド帝都本部に夜通しつめて、ある案件の検証を行っていたからだ。それは先日行われた、冒険者シンリ他の御前試合。会場に仕込んだ暗殺者や狙撃手の尽くが被害に遭った謎の『糸使い』に関する事だが、該当者の捕獲はおろか、被害に遭った者の誰一人として対象を目撃した者はいない。
あの会場にはありとあらゆる手が打ってあった。食べ物や水への薬物の混入。通路内での暗殺や魔法攻撃、会場内の各所に配置した総勢五十名規模の狙撃手。その全てが彼等に一切の手傷を負わせる事も出来ずに無力化され、見た事も無い『糸』で拘束された状態で見つかった。
「奴等の仲間全てはこちらの監視下にあった。なのに何故だ?一体誰がそんな……ミツクニか、いや堅物の奴が皇帝陛下の許を離れる等考えられん……」
「あの、ガルデン様……」
「何だうるさい!」
「ひいぃ、し、しかしガイウス様が……」
自室に急ぐガルデンに侍女の一人が恐る恐る声をかける。苛立ち混じりに一蹴しようとしたガルデンだったが愛する弟の名前を聞かされ表情を一変させた。侍女は恐怖から話が拙いが、どうやら弟は目を覚ましたという事らしい。
「それを早く言わんか!」
「しかし、しかしガイウス様はもう……」
侍女は必死で言葉を選びながら何かを伝えようとしている。しかし心逸る彼の耳にはそんなもの届きはしない。足早に過ぎていく彼の後ろ姿を見送ると侍女は力無くその場に座り込んだ。
三階に上がりガイウスのいる部屋へと廊下を進むと、その部屋の前には数人の人だかりがあった。ある者は傷付き血を流し、ある者は顔面蒼白になってガタガタ震え、ある者は廊下の床に嘔吐している。
「……何があった?」
「が、ガイウス様が、ガイウス……うげぇぇ」
余程の事があったのか誰も状況を説明出来そうな感じではないようだ。ガイウスが欲望に身を任せて使用人を傷付ける事は珍しくない。今回は特にあの敗戦の後だ、多少やり過ぎてるのかも知れないな。彼はそう考えて廊下の清掃のみを命じると全ての者をこの場から下がらせた。
ゆっくりと扉を開けた彼が見たのは、ベッドの上に全裸で座るガイウスの姿。周囲には先程の使用人達の物だろうか、あちこちに血飛沫が飛んだ跡がある。しかしガイウス本人は全くの無傷。
「ガイウス起きたのか?今帰ったぞ」
愛しい弟自身が怪我を負っていなければ、大した問題でない。そう思って話しかけた彼を虚ろで光の無いガイウスの瞳が見つめ、そして言葉を発した。
「ら、お兄ひゃんらね、あひゃあひゃひゃ……」
「な、ガイウスお前……」
何という事だろう、口をだらしなく開いて垂れる涎を拭おうともしない弟の変わり果てた姿。呆気に取られる彼の目にガイウスが右手に持った手斧が見えた。
「……お兄ひゃん、僕ひゃ最強になっらんらよ。見れてれ」
「ば、馬鹿止せ、やめろぉぉ!」
彼が止めるより早くガイウスが手にした手斧を振り下ろすと、鮮血と共にガイウスの左手が宙に舞う。呆然と立ち尽くすガルデンだったが、次の瞬間自ら切断した筈のガイウスの左手は流れた血と一緒に、巻き戻したように元に戻って再生した。
「ほられ、僕は死なにゃいやうになったんら、もう何も怖くなひひょ」
あらゆる武器を試したのだろうか、ベッドの上には数々の武器が散乱している。彼はユニークスキル『精霊の武器庫』所持者。一つや二つ武器を没収したとて何の解決にもならない。恐らくそれを実行しようとした使用人は斬りつけられて傷を負い、肉体の再生という異様な光景を目の前で見た者が耐え切れず嘔吐までしたのだろう。
「そ、そうか凄いな。流石はオレの弟だ!」
何とか事態を把握したガルデンはベッドに乗り弟の隣に腰かけた。そして賞賛を込めて頭を撫でる。
頭を撫でられている間も、ガイウスは自らを傷付ける事を止めようとしない。短剣を腹に刺して、それが再生によって押し出されてくる様子を見たり、自分の指を噛み千切って吐き出し、それが自分の手に戻る様子を観察したりしている。
「お兄ひゃんも、しへ」
刺して欲しいという事だろう、ガイウスは短剣を彼に手渡した。先程から再生の様子は何回も見ている。大丈夫、間違いなく何らかの特殊スキルに目覚めたであろうガイウスは、人間の限界を超越したのかも知れない。そんな思いが彼に躊躇無く愛しい弟の腹を刺させた。
「お、おにいひゃんのが、入ってぐるぅぅ」
声を上げて恍惚とした表情を見せるガイウス。その仕草に刺したガルデンも味わった事の無い興奮を覚えた。もちろん短剣は押し出され、傷は全く残らない。
「もっと、欲しいかガイウス?」
「うん、もっとぉもっろぉぉ」
本来の異常性癖が暴走し出したガルデンは弟の乞うままに武器を愛しい弟の身体に突き立てた。その度に弟は仰け反りながら声を上げ、身悶える。そして何をしても瞬時に再生していくのだ。未知なる快楽に身を委ねる彼の欲求は愛しい者を更に深く斬りつけたいと望み、それを欲望のままに実行する。
「ハアハア、今度はコレだ。分かるか?俺の愛用の大剣だ。これでお前を鳴かせてやるからな」
「うん、来てぇもっろ来れぇぇお兄ひゃん」
大剣を振りかぶったガルデンはそれを上段から力任せに振り下ろし、ガイウスの左肩から臍の辺りまで袈裟斬りに切裂いた。辺りに激しく飛び散る鮮血も、彼を一層興奮させる。
「ご、ごぼぁっ!……おにぃ」
「どうだ、なかなか効いただろう。次はどこを斬ってやろうか?」
彼が大剣を構えて待つが、一向に再生が始まる様子が無い。それどころかガイウスはもうぴくりとも動く気配がしなくなっている。
「何だ、やけに焦らすじゃないか?どうした……おい、まさか」
既に絶命した弟が、その兄の問いに答える事はもう二度と無い。
彼が大剣をガイウスに向かって振りかぶったあの時、シズカの『一日限りの不死者』はタイムリミットを迎え、その効力を失っていた。それを知らずにガルデンは、ただの生身である弟に渾身の一撃を斬りつけたのだ。
それからどれくらいの時間が経過しただろう。ただの屍と化した弟の頭を愛おしそうに撫で続けるガルデン。一言も発さない彼の、その瞳には明らかな『狂気』の光が宿っていた。




