『失われた楽園』
翌日、俺達は『死の山』から南西に下った『失われた楽園』を目指している。
それぞれの領地は不可侵を原則にしている為クロに乗って来る訳にもいかず、俺やシズカ、アイリ、ツバキは走り。エレノアとナーサはガブリエラに掴まり飛んでの移動だ。
『失われた楽園』の領域に入って数分後、それは音も無く現れた。
「シンリ様!」
「シンリかなあ?」
「シンリかもよ!」
昨夜の寝不足と魔力消費によって注意力が低下していたのは否めないが、ここまで近くに接近される迄俺に気配を感知させないなんて大した『姉妹』だ……。
「久しぶりだね。クロート、ラクシス、アトロポス!」
「やっぱりだ!おかえり」
「やっぱり何?おかえり」
「やっぱりかも!おかえり」
俺の背後の大木に逆さになってしがみついているのは人間女性の上半身を持った蜘蛛。いずれもゴスロリ調の衣装に身を包み、そのフリフリのスカートから巨大な尾部と四対八本の足が見えている。
髪は全員黒髪でストレートのロングがクロート、肩までのストレートボブがラクシス、ツインテールがアトロポスだ。三人共に共通して人の目の部分と別に、まるでカチューシャの様に残り六つの目が頭に並んでいる。
三人に次々に抱きしめられ抱擁を受けていると、やっとエレノア達が状況に追い着いた様だ。
「我が君よ、彼女等がこの『失われた楽園』の主なのかえ?」
「エルフだ!でも黒い」
「エルフかな?でも黒い」
「エルフかも!でも黒いかも!」
止めなさい君達。黒いを連呼されてエレノアの魔力が溢れて来てるじゃないか……。
「彼女達は『蜘蛛女三姉妹』。ここの見張り番みたいなもので主では無いよ」
「こ、これ程の奴らが見張り番なんてどんだけじゃんよ!」
さっきから彼女達姉妹の気配に圧倒されているダスラは唯々驚き、ナーサに至っては昨日のパンドラ以降、怖がって自らは出て来たがらない。
「今日は『クグノチ』の爺様に挨拶に来た。案内してくれるかな」
俺がそう言うと彼女達は俺達の前を先導して『失われた楽園』の中心部へと案内してくれた。
もうお気づきの方も居られると思うが、昨日のパンドラや執事達の服を作ったのは彼女達だ。元々魔物である彼等に衣服などと言う概念は無い者が殆どだったが「お兄様の精神衛生上よろしく無い!」との理由でシズカが広めた。
それをシズカが作る訳にいかず見つけ出したのがこの『蜘蛛女三姉妹』。彼女達はシズカの指導でめきめき腕を上げると、今ではラクシスがデザインし、アトロポスが裁断してそれをクロートが縫製すると言う流れ作業を確立しており、そのスピードと丁寧な作りは見事の一言に尽きる。それは他の地域からも依頼が舞い込む程の腕前なのだ。
程無く森を抜け、辺りがぽっかり開けた場所に来るとそこには四体の直立した甲虫に守られた、あまりに巨大な木があった。この巨木こそ『失われた楽園』が主『クグノチ』だ。他の森と違い、自身が動けぬ主を持つが故に『失われた楽園』は『冥府の森』でも飛びぬけた組織化された軍事力を持っている。俺が仮に魔物を召喚して何処かに本気で攻め込むならば、まず思い浮かべるのはここの軍勢だろう。
「久しぶりだな。ユキムラ、カンベイ、マサムネ、コジュウロウ」
四体の甲虫に挨拶するが彼等が人語を話せる筈も無く、ただお辞儀してキチキチと音を鳴らすのみだ。だが彼等こそ、この『失われた楽園』最強の武将達である。もちろんゲームやアニメっぽいあの某有名人の名前はシズカが付けたものだが、本人達もまんざらでは無いらしい。
俺が近付くと巨木の幹がゆっくりと開き、大きな二つの目と口が現れた。
「久しぶりだなクグノチの爺様」
「これはこれはしんりどのではないですか。おひさしぶりですなあ」
そのゆっくりながらかなり大きな声が、辺りの草木を震わせる。
「今日は新しい家族を紹介に来た。エレノア、ツバキ、ナーサ、ガブリエラだ」
「これはこれはみなさんおうつくしい。くぐのちじゃよろしくの」
「エレノアと申します。偉大なる木の精霊様よ」
「ツバキです。爺様」
「ダスラじゃんよ……ってほらナーサも!」
「ナーサ……なの」
「老師よ、ガブリエラと申します。以後お見知りおきを」
各自の挨拶が済みクグノチがゆさゆさと枝を揺すると、キラキラとした光の粒が降り注ぎ、それを浴びた全員の疲れや心を癒していった。寝不足だった俺もかなりすっきりさせてもらった。
「ありがとうクグノチ」
「もりのあるじさまを、このままかえすはわれらのなおれじゃ。せめてほんじつはこのじいがもてなし、うけていかれなされの」
クグノチがそう言うと彼の大きな一本の枝から何万もの緑の蝶が一斉に飛び立ち、その蝶達により隠されていた樹上の屋敷が姿を見せた。
「いくよシンリ様!」
「いくの?シンリ以外」
「いくかも!その他」
『蜘蛛女三姉妹』が、飛ぶガブリエラ以外の俺達をそこへと連れて行ってくれる。中には多くの配下達が待っていて食事や飲み物も準備されていた。屋敷内に顔を開いたクグノチを交えて宴が始まる。
料理と言っても魔物の食糧。もちろんイモ虫や何かの幼虫、葉っぱや木の実と怪しげな果実が並んでいるのだがシズカやアイリは慣れたものでそのイモ虫に迷わず食いついた。
虫系が苦手なキャラだったのでは、と思った方もおられるでしょう。実はこのイモ虫[クリームワーム]はその名の通りまるで上質なカスタードクリームの様な味がする。その味はあのシズカにさえ虫嫌いを忘れさせる程。
二人があまりに美味しそうに食べるのとバニラの様ないい香りに誘われ、ツバキが意を決して一口食べると、瞬間至福の表情に変わった。それをきっかけにエレノア達も様々な料理に手を伸ばしだす。
ここでも俺は旅の話をせがまれ、アイリ、ツバキ、ガブリエラ達は甲虫四体と手合わせして汗を流していた。
結局今夜はここで一泊する事になり、俺以外は『蜘蛛女三姉妹』の用意したハンモックで眠り(縛られて眠らされてるとも言う)。俺はやはり『蜘蛛女三姉妹』に抱き着かれて眠ってるんだが…いや今夜も眠れまい。
彼女達は抱き着くと次々俺に顔を寄せキスをしようとするのだが、実はこれが危険なのだ。虫系の魔物の女性は好きな異性に対して性欲以上に食欲を駆り立てられるらしい。この口付けも実は強力な消化液を送り込み、俺の体内を溶かして吸う為の行為である。
今夜も俺の眠れない夜が続く……。
 




