第2話「増幅」
風が、重い。
さっきまでの観光地の空気は——もうない。
ざわつき。
怒号。
人の感情が、むき出しになっている。
「なんで俺がこんな目に!!」
「評価されてへんのはおかしいやろ!!」
押し合い。
掴み合い。
ほんの数分前までは、ただの他人同士だったはずの人間が——
ぶつかっている。
ななが低く吐き捨てる。
「最悪やな……」
神父が静かに分析する。
「感情の閾値が下がっています」
一拍。
「普段なら抑えられる不満が、表に出ている」
ゆたかが舌打ちする。
「全部あいつのせいか」
視線の先。
“影”。
巨大な存在。
ゆらぐ輪郭。
そして——
中心にいるはずの
桃太郎
だが。
動かない。
完全には。
止まっているわけじゃない。
でも——
迷っている。
『ほらな』
影が笑う。
低く。
歪んだ声。
『見てみぃや』
腕を広げる。
周囲を示すように。
『あいつらも同じや』
一拍。
『比べて、負けて、腐っとる』
その言葉。
さらに空気が荒れる。
「なんやと!!」
「お前の方が無能やろ!!」
怒りが、連鎖する。
ななが前に出る。
「うるさい!!」
一喝。
だが——
止まらない。
むしろ、視線が向く。
「お前何様や!!」
「偉そうにすんな!!」
ななに矛先が向く。
ゆたかがすぐ横に立つ。
「下がれ」
短く言う。
ななが歯を食いしばる。
「……分かっとる」
神父が言う。
「直接の制圧は逆効果です」
一拍。
「感情が燃料になっています」
ゆたかが影を見る。
「厄介やな」
そのとき。
“ドン”
地面が揺れる。
影が一歩踏み出す。
まっすぐに。
桃太郎へ。
『お前は違うんか』
低く。
問いかける。
『選ばれて、満足か?』
桃太郎の手が、わずかに震える。
握る。
開く。
呼吸が乱れる。
頭の中に——
声。
「正しくあれ」
「迷うな」
「選ばれたのだから」
過去の声。
消えない。
だが——
今は、それだけじゃない。
ゆたかの声が重なる。
「決めろ」
桃太郎が、顔を上げる。
影を見る。
逃げない。
だが——
まだ、揺れている。
『答えろや』
影が迫る。
圧。
重さ。
空気が沈む。
そのとき。
一人の男が、叫びながら突っ込んでくる。
「ふざけんなあああ!!」
鉄パイプを振り上げている。
完全に正気じゃない。
ななが反応する。
「危ない!!」
だが——
間に合わない。
その瞬間。
“ガンッ”
音。
男が吹き飛ぶ。
数メートル先へ。
地面に転がる。
全員が止まる。
何が起きたか分からない。
ゆたかが見る。
その先。
桃太郎。
腕を振り抜いた姿勢。
静かに立っている。
呼吸は荒い。
だが——
目は、はっきりしている。
ななが呟く。
「……やったな」
神父が確認する。
「致命傷ではありません」
一拍。
「適切な制止です」
桃太郎は何も言わない。
ただ——
自分の手を見る。
そして、ゆっくりと握る。
『ほら見ぃ』
影が笑う。
『結局それや』
一歩。
さらに近づく。
『力で押さえるしかない』
一拍。
『それが“正義”やろ?』
空気が張り詰める。
ゆたかが前に出る。
影と桃太郎の間に立つ。
「ちゃうな」
静かに言う。
影が視線を向ける。
『何がや』
ゆたかは答える。
「それしか知らんだけやろ」
一拍。
「他にもあるで」
沈黙。
ほんの一瞬。
影が止まる。
『……例えば?』
問い。
ゆたかは少し考える。
そして——
言う。
「まだ分からん」
なながズッコケそうになる。
「はあ!?」
神父が静かに言う。
「正直です」
ゆたかは続ける。
「でもな」
一拍。
「それ探すんが“選ぶ”ってことやろ」
風が吹く。
空気が、少しだけ揺れる。
桃太郎が、その言葉を聞く。
ゆっくりと。
目を閉じる。
そして——
開く。
さっきよりも、少しだけ強い目。
『……甘いな』
影が言う。
『そんなもんで変わるか』
その瞬間。
“ドンッ!!”
影の体が膨れ上がる。
さらに巨大に。
さらに重く。
周囲の人間たちが、膝をつく。
「う……ぐ……」
圧倒的な圧。
ななが叫ぶ。
「強なっとる!!」
神父が言う。
「感情の臨界点です」
一拍。
「これ以上は危険です」
ゆたかが歯を食いしばる。
「ここからやな」
桃太郎が、一歩前に出る。
今度は——
迷いが少ない。
まだ消えてはいない。
だが。
確実に、前に進んでいる。
影が笑う。
『ええで』
拳を握る。
空気が軋む。
『証明してみぃや』
一拍。
『お前の“正しさ”』
風が止まる。
次の瞬間——
激突。
■ 第7章 第2話 終




